遠藤 愛己(えんどう・まなみ)さん 熊本県益城町・26歳・看護師 取材●長谷部匡彦(本誌)撮影●中橋博文

遠藤 愛己(えんどう・まなみ)さん
熊本県益城町・26歳・看護師
取材●長谷部匡彦(本誌)撮影●中橋博文

 熊本市の病院で看護師をする遠藤愛己さんは、昨年(2016)4月、最大震度7の熊本地震を、益城町(ましきまち)の自宅で経験した。直後から看護師として、怪我(けが)をした被災者などへの医療活動に追われたが、被災地が落ち着きを取り戻しはじめると、今度は自らボランティアに参加するようになった。

 熊本空港から車で約15分、熊本県益城町の一角にある遠藤愛己さんの自宅を訪れると、付近の街並みや道路はすでに整備され、熊本地震の爪痕(つめあと)は思っていたほどには残っていなかった。

 災害時に医療援護活動の拠点となる基幹災害拠点病院に指定され病院で看護師をする遠藤さんは、大きな瞳(ひとみ)と笑顔で出迎えてくれた。看護師をしているせいか、話をしていても自然に安心感がこちらに伝わってくる。

 ここ益城町は、平成28年4月14日、16日と二度にわたって、震度7の大きな地震に見舞われた。

「14日は、自宅で夕食を終えて両親や弟と過ごしていた時に、大きな揺れがきました。16日の本震は、寝静まった午前1時頃に突然、ドン! と下からの突き上げが来て、14日の時よりも大きく長く、横に揺れ始めました。『大丈夫! 大丈夫!』と言いながら、母親と弟を守るように引き寄せて、ただ揺れが収まるのを待っていました」

 幸いにも、遠藤さんの自宅は倒壊することなく、家族も全員無事だった。

 遠藤さんの勤務先の病院では、震度5強以上で緊急招集がかかる。1回目の前震では人手が足りたため呼び出しはなかったが、2回目の本震では招集がかかり、遠藤さんは家族が落ち着くのを待って、車で病院へと向かった。

 午前4時過ぎに病院に着くと、緊急時に患者を受け入れる救急棟の非常電源が落ちて、使用ができなくなっていた。

母親の孝子さんと、自宅の庭で。「父がウッドデッキもテーブルも作ってくれました」

母親の孝子さんと、自宅の庭で。「父がウッドデッキもテーブルも作ってくれました」

「急遽(きゅうきょ)、停電していなかった一般診療の総合受付がある1階ロビーや廊下で、一時診察を行うことになりました。割れた窓ガラスが散乱して危ない状況の中、多くの人が診察に来られていて、ごった返していました」

 遠藤さんは一般病棟に勤務する看護師だが、熊本地震では、災害時などに患者の重症度に応じて治療の優先度を判断する「トリアージ」の準緊急治療のチームに配属された。そこで医者の指示に従い、患者の採血、CT室やレントゲン室への移動、与薬などの対応に追われた。

 午前9時頃に、ようやく混乱が落ち着くと、遠藤さんを含めた一般病棟の看護師は、通常の業務に支障をきたさないように退勤が指示された。

ボランティア活動で

 震災の翌月に入り、病院も次第に平常に戻り始めると、看護師として職務を全(まっと)うしている遠藤さんの心に、ある想いが溢(あふ)れてきた。

「6歳の時に、父親の仕事の関係で、北海道から熊本に家族で移り住み、その後、引っ越したのが益城町でした。益城の人たちがたいへんな思いをしているのに、私は家も家族も無事でしたから、看護師の仕事以外でも町のために、もっと出来ることがあるんじゃないかって」

 それから遠藤さんは、休日に益城町のボランティアセンターを訪れて登録し、指示された場所でボランティア活動を行うようになった。

「清掃や、ゴミの回収だけの時もありましたし、瓦礫(がれき)の撤去もしました。大きな避難所を訪れた際には、一般のボランティアでは不慣れな高齢者の入浴介助もしました。その高齢者の方が、絆創膏(ばんそうこう)をずっと交換していないことに気づいて、傷口を水で洗い流してから、常駐されているボランティアの看護師さんに引き継いだりして、病院での仕事の経験を生かす事ができました」

 遠藤さんは、ボランティア活動での交流で感じた喜びを、涙を浮かべながら話す。

「全国各地から、わざわざ休みをとってボランティアに来られていて、依頼されたことを協力して行うことに一体感を感じました。みなさん、『少しでも誰かの役に立ちたい!』という優しい気持ちを持たれていることが、本当に嬉しかったです」

人の役に立つ喜び

 遠藤さんは、小学2年生の時から母親に連れられて生命学園(*)に通いはじめ、生長の家の教えに触れた。

「生命学園で『人間は神の子で、無限の力がある』と教えられ、母がいつも『あなたは神の子さんだから、なんでもやれば出来るのよ』って言ってくれていたので、色々なことに抵抗なく取り組めるようになりました」

 人の役に立ちたいと思うようになったのは、自衛官だった父親の影響だった。災害派遣の際などに、被災者のため、被災地域のためにと、黙々と仕事に向かうその姿に、「父のように人のお役に立ちたい」と、漠然と意識するようになったという。

「高校2年生のときに、母が家庭での健康療法について興味を持ち、解剖生理学を勉強していた影響で、医療の仕事で人のお役にたちたいと思うようになり、看護師になることを決めました」

 平成22年4月、高校を卒業して熊本保健科学大学看護学科に入学。大学生になると勉強のかたわら、生長の家の行事に参加するようになった。行事では、青年会の先輩達が楽しそうに話し、生き生きと行事を運営している姿に惹(ひ)かれた。

「始めの頃は、先輩たちに頼まれて手伝っていましたが、それでも『手伝ってくれて、ありがとう!』と言われるのが嬉しくて、自発的に手伝うようになりました。何とも言えない清々(すがすが)しさとともに、自分のなかに喜びと自信が溢れてくるのを感じました」

誰もが愛を表現できる

 平成26年4月に大学を卒業後、現在の病院で看護師として働きはじめた。

 仕事上の制約もあり、看護師としてできることは限られているが、ストレスを抱えた入院患者のため、少しでも安心させてあげたいと努力する中で、相手の役に立っていると思えたときには、喜びを感じるという。

「手術前の不安な気持ちになっている患者さんや、手術後の痛みに耐えている患者さんを、励ましながら笑顔で接するようにしています。患者さんからは、『あなたの笑顔でホッとしたわ』って言ってもらうことが度々(たびたび)あって、気持ちを和(なご)ませることができたと思うと嬉しくなりますね」

遠藤さんが自作したアクセサリーの数々

遠藤さんが自作したアクセサリーの数々

 相手に笑顔で接するということは、不安な人の心を癒(いや)すことのできる大切な愛の表現だと実感している。仕事や、普段の生活を通して、愛を表現したいと思うようになった理由を、こう振り返る。

「私は、愛情深い両親や、素晴らしい友人たちに恵まれていると思います。両親や友人たちから与えられている、たくさんの愛に満たされていることに気づいたとき、誰かに愛を与え返したいという思いが自然に湧いてきました。誰もが、すでに与えられている『大きな愛』に気づくこと、それが愛を表現する原動力になるのだと思います」

*   幼児や小学児童を対象とした生長の家の学びの場