中濵真之(なかはま まさゆき)さん 大阪府柏原市・29歳・会社員 取材●長谷部匡彦(本誌) 撮影●遠藤昭彦

中濵真之(なかはま まさゆき)さん
大阪府柏原市・29歳・会社員
取材●長谷部匡彦(本誌) 撮影●遠藤昭彦

 パソコンやスマートフォンなどの頭脳となる部品を作るための、電源システムの開発に携(たずさ)わっている中濵真之さんは、高等専門学校5年生のときに企業と共同で、コンセントを必要としないバッテリー駆動タイプのレントゲン装置の研究開発を行った。その研究成果は、2011年3月の東日大震災により、ライフラインが途絶えた仮設の医療現場で活躍した「バッテリーで動くレントゲン装置」として実用化された。

 奈良県との県境に近い大阪府柏原市の自宅から、小高い丘を道なりに登り、大阪平野を見渡せる道のガードレールに、中濵さんは柔和な表情で腰掛けた。

「仕事が行き詰まったときには、よくこの場所に来て、大阪平野の夜景を眺めながら気分転換をしているんですよ」

誰もが素晴らしい神の子

 中濵さんは、生長の家の教えを学んでいた祖母に教えられ、幼い心からいつも寝る前に唱えていた言葉がある。

〈わたしは神の子、強い子、良い子、何でもできます。あぁーうれしい〉

 教えられた通り、素直に毎晩唱え続けていたからか、誰とでも気軽に話せる明るい性格が養われたという。

 中学2年生の夏に、両親に勧められて、生長の家の練成会(*1)に参加した。そこで「人間は神の子で、無限の力がある」と教えられ、生長の家独得の座禅的瞑想法である「神想観」の実修の仕方も学んだ。

 模型作りが趣味だった父親の影響で、模型作りが大好きになり、「ものづくり」に楽しさを覚えるようになっていた中濵さんは、将来、技術者になりたいと漠然と思うようになった。

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 だが、夏休み明けに受けた模擬試験の成績は思わしくなく、進学を希望していた奈良工業高等専門学校(以後、奈良高専)の合格ラインである偏差値には程遠い、厳しい結果だった。

 それでも不思議と気持ちは落ち着いていたという。

「両親が、『合格する』と信じてくれていました。それに練成会で、『人間には無限の力がある」と教えられて、努力してそれを引き出せばいいと思ったんです」

 それからは、机の前に、「奈良高専へ既に合格!」と書いた紙を貼り、練成会で教えられた神想観を実修して、そのなかで「奈良高専に合格して喜んで通っている自分の姿」を思い描いた。神想観を続けるうち、自然と勉強に集中できるようになり、徐々に成績も上がり始めた。

 そして、中学3年生の秋頃には合格ラインに届き、入試試験では、希望の奈良高専の電気工学科に合格することができた。

企業との共同研究

  平成14年、奈良高専に入学した中濵さんは、電気回路、制御(せいぎょ)工学など電気に関わる幅広い分野について学んだ。また、ロボットコンテスト(*2)への出場をめざす部活にも所属して、ロボット制作にも携わり、「ものづくり」の面白さにのめり込んでいった。

 やがて、3年生になると、新任の教授が部活の顧問になった。後に恩師となるその教授とは、電気工学に関する話題で話し込み、ときに仏教や神道(しんとう)といった宗教の話になることもあった。

「話題の豊富な、とても面白い先生でしたが、あるとき、真面目な表情で、『新しい技術を生み出すのに大切なのは、それがいかに人の役に立ち、世の中に受け入れられるかどうかじゃないか?』と言われて、その言葉が心に響きました」

 そして、5年生で行う卒業研究では、その恩師の紹介により、東京の企業と共同してレントゲン装置を研究開発する機会を得た。企業が開発を求めていたレントゲン装置は、馬やイルカなどの動物を対象とした、バッテリーで駆動する手持ちタイプのものだった。

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「研究を始めた当初は、夜遅くまで、恩師と技術について語り合っていました」

 そんな研究生活が楽しくて没頭しているうちに、瞬(またた)く間に時間が過ぎた。しかし、一年近く研究を続けたが、企業が希望する装置の開発には至らなかった。

「積み重なった試行回路の山を見て、自分は時間とお金をムダにして、共同研究先の企業に、ただ迷惑をかけているだけではないかと気持ちが沈み、自分はなぜこんなことを続けているのかと、研究の目的を失いそうになりました」

困難は向上のとき

 それでも、途中で研究をあきらめなかったのは、中学2年生の練成会のときに教えてもらった、こんな言葉を思い出したからだった。

〈困難は困難にあらず、向上のときである。神様に全托(ぜんたく)すれば導いてくださる〉

 その時から、神想観のなかで、「製品を造っているのは自分ではない。神様からアイデアを頂き、創(つく)らせて頂いている」と祈るようにした。すると、「新たなレントゲン装置を開発する目的は、多くの人々や動物のお役に立つためのものだから、必ずこの開発は上手(うま)くいく」と思えるようになった。

「あるとき、新しいレントゲン装置は何を求められているのかをいろいろ見直しているうちに、まだ研究されていない領域がふっと湧いて出てきたんです。従来の技術を応用するものですが、誰も気づかなかった方法でした」

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 そのアイデアにより、レントゲン装置の新技術が開発され、特許を出願することとなり、製品として世の中にデビューさせる目処(めど)がついた。

 その後、この研究開発は後輩へと引き継がれ、製品化されたレントゲン装置は、東日本大震災でライフラインが途絶えた医療現場で活躍したという。

 高専時代の共同研究のことを楽しそうに振り返る中濵さんは、現在、電気機器メーカーで、電源システムの開発に携わっている。「自分の才能に目覚めるには?」と問いかけると、こんな答えが返ってきた。

「誰しも、世の中の役に立ちたいという思いがあれば、神様からそれぞれに与えられている能力に必ず出合えると思うんです。これからも仕事のなかで、人々の幸せを支えるものづくりを通して、愛を表現していきたいです」

*1 合宿して教えを学び、実践する集い
*2 「アイデア対決・全国高等専門学校ロボットコンテスト」のこと