千葉県佐倉市に住むNさん(17歳)と、妹のYさん(14歳)は、一輪車競技の全国大会で活躍しているアスリート姉妹。一輪車競技には、マラソンやトラックなどでタイムを競うレース部門と、音楽に合わせて演技し、表現力などを競う演技部門がある。姉のNさんは、昨年(2018)11月に開催された「2018年全日本一輪車マラソン大会」のフルマラソン24インチ女子高校生以上の部で優勝し、妹のYさんも、フルマラソン24インチ女子中学生の部で準優勝した。さらに二人は、同年12月に開催された「関東OPEN一輪車競技大会」のペア演技高校生以上の部でも優勝している。そんな二人が、両親を通して先祖から受け継いだものは何だろうか……。姉妹、母親、祖母、親子三代による家族座談会。

Mさん 母・49歳 Nさん 17歳・高校3年生 Yさん 14歳・中学3年生 Sさん 祖母・77歳 取材●長谷部匡彦(本誌)

Mさん 母・49歳
Nさん 17歳・高校3年生
Yさん 14歳・中学3年生
Sさん 祖母・77歳
取材●長谷部匡彦(本誌)

 Y おばあちゃんは、どんなところで育ったの?

祖母 私は昭和17年に、埼玉県飯能市と秩父郡横瀬町の境にある山奥の正丸峠(しょうまるとうげ)(現在の旧正丸峠)というところで生まれて、23歳の時に結婚して東京に行くまで、そこで育ったのよ。実家はもう廃屋になっているわ。子どもの頃は水道もなくて、飲み水は山からちょろちょろと流れてくる水をタンクに貯めて、そこに炭を入れて濾過して使っていたの。お風呂などの水は、山から流れてくる清水を汲んできて使っていたのよ。近くの川で水浴びをしたり、岩から飛び込んで遊んだりして、今から思うと本当に原始的な環境だった。

 私は何度も、おばあちゃんの実家に遊びに行ったことがあるから覚えているわ。薪でお風呂を沸かしたりしていて、「こんな山奥でも暮らせるんだ」って思ったものよ。

Y おばあちゃんは、何人家族だったの?

祖母 6人姉妹の4番目が私で、弟が2人いたから、両親と祖母を合わせて11人家族。Yちゃんから見れば曾祖父である私の父は建具(たてぐ)職人をしていて、昭和39年に55歳で亡くなったの。その後、母は85歳の時に娘たちの家族と同居するまで実家で生活し、平成18年に94歳で亡くなったわね。

N おばあちゃんは、すごくきょうだいが多いね。

祖母 あの頃は、きょうだいが7、8人いるというのは普通だったのよ。

 Nたちも、曾(ひい)おばあちゃんの家に遊びに行ったことあるのよ。Nは4歳の頃だったかな、Yはまだ赤ちゃんだったけど、曾おばあちゃんに抱っこしてもらったわね。

Y えっ?  そうなんだ。

N 私は、曾おばあちゃんの家の裏山で、カゴを背負っていたような記憶がある。

祖母 実家は車道から山の坂道を10分くらい登っていったところに建っていたから、曾おばあちゃんはカゴを背負って、何度もその道を往復していたわね。私も小学生の頃は、お小遣い稼ぎに、業者が山の上で伐採した薪の束を背負って車道まで下ろしてきたのよ。1束5~10円くらいだったかな。それを3束下ろしてくるんだけど、おかげで足腰は強くなったわね。

N 私たちの足腰が強いのは、おばあちゃんの遺伝もあるのかなあ。曾おばあちゃんは、厳しかったって聞いたことあるけど……。

祖母 そうね。曾おばあちゃんは畑と山の手入れをいつもしていたし、生活に余裕がなかったから倹約には厳しかったわね。昔、お蚕さんを飼っていて、私たち姉妹は学校から帰ってくると、桑畑の草取りを手伝ったりしていたわ。それに、お米がとれない所だったから小麦を育てていて、それを挽いて小麦粉にし、手打ちうどんを毎晩のように作っていたわね。曾おばあちゃんから作り方を教わったお陰で、私たち姉妹はみんな、手作りうどんを作れるようになったのよ。 

N そう言えば、私がおばあちゃんの家に遊びに行った時、作ってくれた手打ちうどんがとっても美味しかったな。その時、私とお兄ちゃんが、うどんの作り方をおばあちゃんから教わったけど、それは曾おばあちゃんの味だったんだね。

 曾おばあちゃんの家は、なんにもなかったけど、山で収穫したくるみを味噌であえたものとか、畑で育てた野菜とか、食べ物が美味しかったわね。

祖母 季節毎にヨモギを摘んできてヨモギ餅を作ったり、お彼岸に大きな牡丹餅(ぼたもち)を作ったりしていたわね。そう、当時は鶏やヤギも飼っていて、鶏から卵をもらったり、ヤギから乳をもらったりしてたね。

Y 動物と一緒に暮らすなんて、なんか楽しそう! そういう生活を体験してみたいな。

 体験するくらいならいいけど、毎日じゃ大変だよ。(笑)

代々伝わる手作り

 振り返れば、おばあちゃんの手打ちうどんが私の生活の原点かもしれない。

Y お母さんが作ってくれるおにぎりやパンやお餅は、どれもほっぺたが落ちるほど美味しいよ(笑)。特にお母さんのお餅は、そのまま食べても美味しいの。やっぱり家庭の味だよね。

 一輪車の練習を週6日も頑張っている二人には、どこかに連れて行ってあげる時間がとれないから、せめて手作りのものを食べさせてあげたいからね。

hidokei112_rupo_4祖母 Mは朝4時半に起きて、6時には家を出て午前中はパートで働き、帰宅して家事と夕飯の準備をすませたあと、学校から帰ってきた二人を練習に連れて行っているんだから、すごいと思う。時間がないなかで、普通だったらコンビニのおにぎりやパンで済ませるところだけど、手作りの夕飯を食べさせているのは本当に偉いわ。

N それにお母さんは、いつも私たちの演技用の衣装を上手に手作りしてくれるからうれしい。専門学校に行ったり服飾関係の仕事に就いていたりしたわけでもないのに、すごいなって思う。お母さん、いつも本当にありがとう!

 一年間に、NYの二人分の衣装を何着も作るのは正直大変よ。でもね、いい指導者に巡り会えて、衣装に関してもアドバイスをいただけるので感謝だよね。二人が頑張っているから、私が出来ることはこれくらいかなって。

Y お母さん、いつも綺麗な衣装を作ってくれてありがとう!

N お母さんの負担を減らしたかったから、私も演技用の衣装を作れるようになりたいと思ったの。だから、高校は家政科に進学したんだよ。

祖母 我が家では代々、手作りを大切にしてきたけれど、それが受け継がれていることがうれしいわね。

生長の家の教えが支えになって

祖母 Nたちが、いつも一輪車の練習と勉強を両立して頑張っているから、自然と応援したくなるんだよね。

hidokei112_rupo_8Y 頑張れるのは、お母さんとお父さんが応援してくれているし、大会前には必ず、おばあちゃんが応援のメールをくれるからだよ。それに小学1年生の時に参加した小学生練成会(*1)で、「我が魂の底の底なる神よ、無限の力よ、湧き出でよ」って唱える言葉を教えてもらったからかな。この言葉を大会の演技前に唱えていると、不思議と頑張れるんだよね。

N その時、私は小学4年生だったけど、「人間は神の子で、無限の力がある」って教わったのが印象的だったよ。お母さんは、なんで生長の家の教えを信仰するようになったの?

 私が30歳の時だったかな、当時3回も流産していて、気持ちがすごく落ち込んでいたのね。その頃、おばあちゃんが生長の家の教えを信仰されていた知人から『白鳩』をすすめられて家に置いてあったのを、私が読むようになったの。

 ちょうどお腹に、あなた達のお兄ちゃんがいたんだけど、医者からは、流産の可能性が高いと告げられていたのね。それで藁にもすがる思いで、生長の家本部練成道場(*2)の10日間の練成会に参加したら、「心が変われば世界が変わる」ということが分かってきたのね。すぐには変われなかったけど、母親教室(*3)に通い続けていたら徐々に考え方が前向きになれて、再検査したら、お腹の赤ちゃんは大丈夫だと分かったの。

Y そうだったの? 初めて聞いてびっくりした!

N 私は何となく聞いた覚えがあるんだけど、詳しい話を聞いたのは初めてかも!

 お兄ちゃんやNYが無事に生まれてきてくれて、本当にうれしかったわ。だからあなたたちは、お母さんやお父さんにとって、みんな大切で、ありがたい存在なの。憶えてないかもしれないけど、Yは2歳の時に肺炎になって、何日も入院したことがあったのよ。なかなか熱が下がらないから、東京の病院に転院することになって、友希菜の枕元で『甘露の法雨』(*4)を一晩中あげていたら、翌朝には奇跡的に熱が下がってくれたの。

Y 全然、記憶に残ってないんだけど、最近おばあちゃんから教えてもらったよ。生長の家に守られているみたいだね。

N おばあちゃんは、もともと生長の家の教えを信仰していたの?

hidokei112_rupo_9祖母 じつはおばあちゃんは、7年前におじいちゃんとの関係がよくなくて悩んでいた時に、あなた達のお母さんから生長の家を勧められて、練成会に参加したのよ。その後、毎月の先祖供養祭で霊牌(れいはい)(*5)をたくさん書いたり、生長の家の講師から指導を受けたりして、行を積んでいくうちに、おじいちゃんへのわだかまりが消えていったの。それも生長の家の教えのお陰よね。おじいちゃんとは離婚することになったけど、おじいちゃんは会社を経営していて、今は息子が継いでくれている。だから、私はマンションで一人で暮らしているのよ。

 そんなことがあったから、おばあちゃんは私たちの近所に引っ越してきてくれて、二人を応援してくれるようになったんだよね。

Y そうだったんだ、知らなかった。

一輪車を通して家族の絆が深まる

 Nが小学1年生の夏休み前に、環境の変化によるストレスから、視力が一気に下がったことがあったの。どうしようって悩んでいたとき、訪れた児童センターにたまたま一輪車が置いてあって、それにNが乗り始めたら、すぐに夢中になっちゃって……。そうしたら、視力が落ちるのが止まったから、お父さんが一輪車クラブを見つけてきてくれて、そこに二人で通い始めるようになったのよね。

祖母 Nが小学6年生の時に、一輪車のフルマラソンの全国大会で準優勝したことがきっかけで、新聞などで取り上げられるようになって、練習する環境が整いはじめたんだよね。それからは、NもYも全国大会で優勝とか上位入賞するようになったから二人とも凄いわよ。

Y それは、お母さんが体育館練習をするために色んな場所を借りてくれているからだよ。屋外では大技の練習は危なくてできなかったけど、それができるようになったのはお母さんのお陰だよ。本当にありがとう!

祖母 親はね、子どものために何でもしてあげたいって思うものなのよね。

N お父さんも鍼灸マッサージ師の仕事の後で疲れているのに、私たちの体をマッサージしてくれるから本当にありがたいって思う。私は自分一人で生きているんじゃなくて、お父さんとお母さんを通して、その前に生きていた多くのご先祖様から、大切ないのちを受け継いでいるんだなって思えてきて、感謝したくなった。

 将来はきちんと親孝行をしたいし、いつか私も結婚したら、家族仲良くして明るい家庭を築いていけたらいいな。

*1 合宿して生長の家の教えを学び、実践するつどい
*2 東京都調布市飛田給にある生長の家の施設
*3 母親のための生長の家の勉強会
*4 生長の家のお経のひとつ
*5 先祖及び物故した親族・縁族の俗名を浄書し、御霊を祀る短冊状の用紙