逸崎  綾(いつさき・あや)さん 奈良県・日本語学校講師 取材●長谷部匡彦(本誌)写真●永谷正樹

逸崎 綾(いつさき・あや)さん
奈良県・24歳・日本語学校講師
取材●長谷部匡彦(本誌)写真●永谷正樹

 逸崎綾さんは昨年(2018)7月から、大阪市中央区にある約1,200人の学生が通う日本語学校で、外国人に日本語を教えている。

「担当クラスはスリランカ人の学生が多いですね。彼らは日本で仕事に就くことや、自分のお店を開くことなどを目標にしていて、日本の専門学校に進学するために日本語を学んでいます。私は『一人一人にとって最も相応しい専門学校に入ることが出来ました。ありがとうございます』と、希望が成就したことを神想観(*1)の時に思い描きながら、感謝の祈りをしています。日本と世界の架け橋になっているいまの仕事に誇りを感じています」

「日本と世界のお役に立ちます」

 逸崎さんは、生長の家の教えを信仰している祖母に連れられ、幼児の頃から生命学園(*2)に通うようになり、そこで「人間は神の子である」という教えを学んだ。さらに、「私は使命を持って生まれてきました。日本と世界のお役に立ちます」という言葉を学び、毎朝母親と唱えるうちに心に刻み込まれていった。

『日時計日記』に書いた生徒たちへの感謝の言葉

『日時計日記』に書いた生徒たちへの感謝の言葉

 平成21年6月、逸崎さんが中学3年生の時、世界的アーティストのマイケル・ジャクソンが亡くなったことをニュースで知った。その追悼番組で、マイケルがアフリカの飢餓を救済するプロジェクトに参加したり、児童福祉を中心にした基金を設立したりしていたことを知り、感銘を受けた。

「それからマイケルのファンになり、マイケルをはじめポップス界の有名アーティストら40人以上が集まって、アフリカの飢餓救済のために歌った『We Are The World』という曲が好きになりました。でも、その歌詞の日本語訳が、訳す人によって微妙に違うことに気づいたんです。それで自分の力で歌詞の意味がわかるようになりたいと思い、英語科がある高校に進学しました」

 高校2年生の時には、アメリカ・オハイオ州にある姉妹校で、学生生活を共にしながら語学研修をする約3週間の海外ホームステイに応募。ホストファミリーを探す書類には、マイケル・ジャクソンのことが好きで、アメリカに行きたくなったと書いた。すると、家族ぐるみでマイケルのファンだった黒人の一家が、ホストファミリーを引き受けてくれた。

「ホームステイ中に、ホストファミリーの女子学生と授業に参加する機会があったんですが、そのとき中国人の先生が、英語で中国語を教えていたんです。その姿を見て、英語で日本語を教えられるようになれたらいいなと思いました」

 だが、ホストファミリーがゆっくり話してくれる英語は聞き取れたものの、それ以外の自然なスピードの会話は速すぎて聞き取れず、もっと英語力をつけ、日常会話が出来るまでになりたいと感じた。

 平成25年4月に、県内の大学の英米語専攻に進学すると、大学の交換留学制度に応募し、選考試験に合格。27年8月から翌年5月までの約9カ月間、アメリカ・ケンタッキー州にある大学に留学した。

「大学には多くの日本人がいて、つい日本語で話してしまうので、日本人がいないところに留学した方が、もっと英語が身につくのではないかと思いました。でも、日本語の授業があり、日本人の担当教授にお願いして、授業を見学させてもらえたのが良かったです。その体験があったから、『日本語教師になって日本と世界の架け橋になる』という夢を明確に描けるようになりました」

 その日本人教授に、どのようにして日本語教師になったのかを尋ねると、ALLEX(アレックス)プログラム(*3)を紹介してくれた。帰国後、逸崎さんは大学4年生の平成28年10月に、ALLEXプログラムに応募し、書類選考に合格。翌年1月に行われた二次選考の面接にも合格し、1年間、奨学金を受けながら、アメリカで日本語教師の経験が積めるフェロープログラム参加の資格を得た。

「派遣先を決めるアンケートでは、『黒人の方が多い大学でも大丈夫ですか?』という質問がありました。私はマイケルのファンだったこともあって、大歓迎な感じでした。もともと生長の家で『人間は神の子である』という教えに触れて、すべての人は皆、神の子として尊い存在であることを学んでいたので、人種的偏見とか差別意識は全くなかったです」

「祈り」と「感謝の言葉」で

 平成28年3月に、日本語教員養成課程を修了し、大学を卒業すると、同年6月に希望を抱いて渡米。ミズーリ州セントルイスで、ALLEXの7週間の研修を受け、8月から、サウスカロライナ州にある、1,800人ほどの学生の約9割が黒人という大学の教壇に立った。

「クラフリン大学の最後の授業で、日本語のクラスの学生に感謝の気持ちを込めたプレゼントをしました」

「大学の最後の授業で、日本語のクラスの学生に感謝の気持ちを込めたプレゼントをしました」

「ところが、私が授業を始めても、帽子を被ってガムを噛んだり、普通に食事をしたり、教科書も持たず授業に遅れて来ても平気な顔で『こんにちはー』と挨拶する学生がいたりして、驚きの連続でした」

 スマホをいじっている学生に注意すると、逆に南部なまりの英語でまくしたてられて理解できず、聞き返すと、学生は他の言語の授業に移っていった。

「相談する相手もなく、寮に帰ってから大泣きしましたね。学生たちが不真面目だったのは、希望したスペイン語やフランス語などの授業が取れず、止むを得ず日本語の授業をとることになった経緯があったことを、後になって人から教えてもらいました」

 日本にいる母親に電話で相談すると、母親から、国によって文化の違いがあることを理解することと、神想観をして学生たちへの祝福のお祈りをすること、そして『日時計日記』(生長の家白鳩会総裁・谷口純子監修。生長の家刊)に感謝の言葉を書くように勧められた。

「母も日本から、学生たちへの祝福のお祈りをしてくれると言ってくれたのが心強かったです」

 逸崎さんは、まず学生たちにメールで「私の授業を選択し、初めての学生になってくれて感謝しています」と送った。また、神想観の中で、「私は神の子で、無限の力がある。学生たちも神の子で、日本語が好きな素晴らしい学生たちである」と祈りはじめた。さらに、『日時計日記』には、「日本語クラスの学生さん、私のはじめての教え子になってくれてありがとうございます」といった感謝の言葉を毎日書き続けた。

「その後も、授業を休んだり、宿題をしなかったりする学生に悩まされましたが、その奥にある相手の本当の姿を拝み、良い所をほめるようにしたら、徐々に関係が良くなり、放課後に個別に授業をして欲しいと頼んでくる学生も出てきました。他の言語のクラスから、私の日本語のクラスに移ってくる学生も現れて、祈りが通じていることが実感できました。授業の最終日には、不真面目だった学生からも、『最初の頃に、色々とひどいことを言ってごめんなさい』と謝られて、理解し合えたのがうれしかったです」

 昨年(2018)5月、1年間のフェロープログラムを終えて帰国した逸崎さんは、アメリカでの日本語教師としての経験を買われ、2カ月後の7月、現在勤める日本語学校への就職が決まった。 

「アメリカで教えた学生は、ほとんど黒人でしたが、アジア人の私を差別することなどありませんでした。日本でもヘイトスピーチなどの差別問題が話題になりますが、それはお互いの文化や価値観の違いから来ているだけで、根はみんな優しくて、誰かが困っていたら助けてくれますし、本当は人を困らせることは望んでいないんです。必要なのは心の壁をつくらずに相手を受け入れることです。それには、生長の家の『人間は神の子である』という教えが、もっと世界に広まることが大切だと思います。これからも、わずかな力ですが、日本と世界の架け橋となれるように日本語教員を続けていきます」

 学生たちを見守るような柔らかな眼差しで、逸崎さんは未来を見据えている。

*1 生長の家独得の座禅的瞑想法
*2 幼児や小学児童を対象にした、生長の家の学びの場
*3 アメリカにおける日本語教員の育成プログラム