阿弥陀如来(あみだにょらい)、薬師如来(やくしにょらい)、弥勒菩薩(みろくぼさつ)、普賢菩薩(ふげんぼさつ)……。信仰の対象として崇められ、人の心を癒やし、魅了してきた仏像。その仏像を彫る人は何を思い、何を伝えんがために仏を彫り出すのか。その“心の軌跡”を紹介していきたい。

昭和62年、一尺(像高40センチ)の楠木で制作した宝生大黒天 (筆者提供)

昭和62年、一尺(像高40センチ)の楠木で制作した宝生大黒天 (筆者提供)

松村智麿(まつむら・ともまろ) 1963年、大阪府生まれ。大阪府の摂南大学卒業。19歳の時に、京仏師、松久朋琳氏の講演会を聴いたのがきっかけで、仏像彫刻の道へ。以来35年、仏像彫刻に精進し、仏教美術展などに作品を出品してきた。生長の家相愛会兵庫教区連合会事務局員。生長の家地方講師。

松村智麿(まつむら・ともまろ)
1963年、大阪府生まれ。大阪府の摂南大学卒業。19歳の時に、京仏師、松久朋琳氏の講演会を聴いたのがきっかけで、仏像彫刻の道へ。以来35年、仏像彫刻に精進し、仏教美術展などに作品を出品してきた。生長の家相愛会兵庫教区連合会事務局員。生長の家地方講師。

 昭和62年の初夏、師から「去年、基本の大黒天(*)(像高10センチ)を彫ったやろ。今度は、一尺(像高40センチ)の楠木で大黒天を彫ってみいひんか」と勧められたことがあった。

 大黒天に限らず、それまでは、仏像教室で習う生徒さんやお弟子さんが彫った後の、おが屑同然の小さな木片で仏像を彫っていた私は、思わず、「楠木のような高価な香木、しかも大きな木で彫るんですか?」と聞き返した。すると師の答えは、「そや。でもな、大きく高価な木で彫ると、それだけ重要な意味を帯びてくるんやで」というものだった。

 大黒天についての知識があまりなかったため、再び「大黒天とは、台所の守護仏、穀物の仏さんのことですか」と尋ねると、師は、「それも働きの一部やけど、楠木で彫った大黒天は、身体を張って人々を救う働きも持つようになるんや」と言った。楠木で彫り参らせた大黒天は、祈る者に恵みを与えるだけでなく、人々の命を護るという意味合いが強くなるというのである。

 その一つ、宝生(ほうしょう)大黒天は、別名、宝海(ほうかい)大黒天とも言われる。宝生とは、宝を生み、恵みを与えるという意味だが、「生(う)み」が「海(うみ)」になると、また働きが違ってくる。

 宝生大黒天の被る頭巾を押さえる冠(かんむり)の模様は、太陽が地平線から昇る形で、立脚する足下は観音像が立つ蓮台(れんだい)ではなく岩座(いわざ)となっている。つまり、宝生大黒天は海沿いの岸壁の岩の上におられるのである。

 火山国であり、地震、津波が起きやすい日本にあって、宝生大黒天は、海沿いの岸壁に立って、遠く地平線を見つめながら、地震や津波の兆しがあると、渾身の力を込めて右手に持った打ち出の小槌で叩き、大地を鎮める。津波が起きたら、左手に持つ袋の口を開け、襲い来る波を一滴残らず袋に収め、人々に被害が及ばないよう護ると言われている。

 師から勧められた後、仏師間には、「香木で彫る仏像は、その大きさが救いの大きさに比例する」という言い伝えがあることを知った。師の真意が理解できたように思い、納得した気持ちで宝生大黒天を彫り参らせていただいたのだった。

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*=本誌No.105(2018年12月号)に掲載