工藤 洋(くどう・ひろし)さん│46歳│長野県辰野町 自宅のアトリエで制作する工藤さん。全てを忘れて没頭する至福の時間だという 取材/佐柄全一 写真/堀 隆弘

工藤 洋(くどう・ひろし)さん│46歳│長野県辰野町
自宅のアトリエで制作する工藤さん。全てを忘れて没頭する至福の時間だという
取材/佐柄全一 写真/堀 隆弘

 伊那谷の北端、長野県辰野町に住む工藤洋さんは、介護の仕事の傍ら洋画家として活動し、その作品を自宅敷地内の土蔵に展示している。

「土蔵は、明治時代に造られたもので、物置にしていたんですが、5年前に父がギャラリーに改装してくれました。私としても、作品が増える一方なのでとても助かりますし、人にも観てもらえるので嬉しく思っています」

工藤さんの作品に溢れた自宅の土蔵ギャラリー。「作ってくれた父に感謝です」

工藤さんの作品に溢れた自宅の土蔵ギャラリー。「作ってくれた父に感謝です」

 重厚な土蔵の扉が開き、照明が点くと、そこには別世界が広がっていた。壁やイーゼルに置かれた20点近い作品が、舞台上の役者のように浮かび上がり、目に飛び込んでくる。光をモチーフにした独特の幻想画、人物や風景などの緻密な具象画が、観る者の心を和ませる。

「ジャンルや画法に囚われず、心に響くものを素直に描いているだけなんですが、迷いなく無心に描いていれば、一つ一つの作品に神様のいのちが現れてくると信じています」

 もともと絵が好きだったが、本格的に制作を始めたのは、10年前の36歳の時。するとその年、辰野美術展で奨励賞を受賞したのを皮切りに、2年置きに公民館や銀行で個展を開くようになった。生長の家芸術家連盟美術展(生光展)にも出品し、5度入選している。

 高校時代、教師や先輩とうまくコミュニケーションができず、対人恐怖症になって不登校になった。どうにか卒業して映像関係の専門学校に入ったものの、心の病は治らず中退。唯一安らぐのは、子供の頃から好きだった絵を描いている時だったという。

 母親に連れられて、民間療法や心霊療法などに頼った末、たどり着いたのが、母親の知人に紹介された生長の家だった。

諏訪湖を描いた『湖畔の光』(10号)。昨年の生光展で、準会員奨励賞に輝いた

諏訪湖を描いた『湖畔の光』(10号)。昨年の生光展で、準会員奨励賞に輝いた

「厳しい父を恨んでいましたが、地方講師(*1)の人から、感謝の大切さを教えられ、その場で和解の祈りを実践しました。すると、幼い頃にキャッチボールをしてくれたことなど、父の優しい姿を思い出して涙が込み上げ、父に感謝できたんです」

 練成会(*2)に参加し、青年会(*3)にも入会して教えを学ぶうちに、いつしか病が癒え、手放せなかった精神安定剤も不要になった。ようやく立ち直った平成20年、最愛の母親ががんで他界した。

「人間は永遠不滅の生命と教えられていましたが、やはりショックでした。でも、『このままではだめだ。何かしなければ』と考えた時、『そうだ、俺には大好きな絵がある』と思って、本格的に絵を描くようになったんです」

 水彩やアクリル画から始めたが、ほぼ独学で油彩の技法を習得し、100号の大作にも挑戦。5年前からは、隣町のリハビリ施設に勤務し、介護福祉士の仕事と画業を両立させている。

*1=生長の家の教えを居住地で伝えるボランティアの講師
*2=合宿形式で生長の家の教えを学び、実践するつどい
*3=12歳以上40歳未満の生長の家の青年男女の組織