吉川三郎(よしかわ・さぶろう)さん│71歳│広島県坂町(さかちょう) 「普段は水量も少なく穏やかな天地川が氾濫し、住宅が流されました。ここにも、アパートや家屋が建っていたんですよ」と語る吉川さん 取材/多田茂樹 写真/堀 隆弘

吉川三郎(よしかわ・さぶろう)さん│71歳│広島県坂町(さかちょう)
「普段は水量も少なく穏やかな天地川が氾濫し、住宅が流されました。ここにも、アパートや家屋が建っていたんですよ」と語る吉川さん
取材/多田茂樹 写真/堀 隆弘

夏の夜、豪雨に見舞われ1階が泥水まみれに

瓦礫と化した近所の家屋。その奥の家々も、1階部分は壊滅状態だった

瓦礫と化した近所の家屋。その奥の家々も、1階部分は壊滅状態だった

 広島県安芸郡坂町小屋浦地区に住む吉川三郎さんは、昨年(2018)7月6日の夜、自宅1階の居間で、プロ野球の広島対巨人戦をテレビ観戦していた。その日、一日中降り続いていた雨は、夜になって激しさを増していたが、まさかそれが、「平成30年7月豪雨」と言われる大洪水を引き起こすことになろうとは、夢にも思っていなかった。

「テレビなどで、西日本が豪雨に見舞われているという情報が流れたため、午後8時を過ぎた頃から、親戚や生長の家の信徒仲間からの心配する電話が何本か入るようになりました。でも、全然心配していなかったので、『ありがとう。大丈夫だよ』と明るく答えていたんです」

 ところが、9時過ぎに玄関に出て見ると、ドアの下の隙間から濁った泥水が入ってきているのが分かった。泥水は見る間に勢いを増し、家の中にまでなだれ込み、あっという間に1階部分を飲み込んだ。

「あわてて2階に避難し、10時頃になって窓から外を見ると、辺り一面、濁流に覆われていました。それからすぐ停電になったため、真っ暗になったんですが、手探りで泥水に浸かった1階に下り、冷蔵庫から飲み物や食料を取り出して2階に持って上がったんです。広島ファンなので、携帯ラジオで野球中継を聞いて、元気をもらっていました」

 12年前に妻を亡くし、2人の娘も自立しているため、独り暮らしをしている吉川さんは、こうした状況に追い込まれても、「よし、こうなったら持久戦だ。自分一人なら何とでもなるし、神様がついているから大丈夫」と落ち着いていた。

 真っ暗な2階で一夜を明かし、翌日になってようやく救助のボートが到着した。高齢者と子供の救出が優先ということで、71歳の吉川さんにもその資格があったが、遠慮した。

「自分は大丈夫だからと、他の近所の人たちの救出を優先してもらったんです。結局私が、ボートに乗せてもらって脱出できたのは、8日になってからでした」

救援活動に立ち上がる仮設住宅で人が喜ぶ集まりを開催

 その頃、生長の家広島県教化部(*1)では、信徒の安否確認に追われていた。大森健志・相愛会(*2)事務局長は、相愛会広島教区連合会長を務める吉川さんと、7日に携帯電話で連絡を取った。しかし、通話中、吉川さんの電話が電池切れとなり、詳しい状況確認ができなかった。

 そのため、寺川昌志・広島教区教化部長(*3)と大森さんは、吉川さんの安否を直接確認しようと、車で坂町の小屋浦地区に向かった。途中、道路が寸断されていたため、6キロ手前で車を降り、徒歩で何カ所かの避難所を訪ねたものの、吉川さんの姿はなかった。

「お二人が諦めて帰ろうとしていた時、ちょうどボートで救出され、避難所に向かうところだった私と遭遇したんです。こうしたタイミングで出会えたのは、神様に導かれたとしか思えないと、三人で喜び合いました」

 その後、臨時避難所として開放された広島県教化部に移った吉川さんは、すぐ救援活動に立ち上がった。まず着手したのは、断水になっている地域への水配りで、真夏の太陽が照りつける猛暑の中、精力的に被災地を回った。さらに、半壊状態の自宅で誌友会(*4)を開催した。

 吉川さんは、27歳の頃、書店で見つけた『生命の實相』(生長の家創始者・谷口雅春著、全40巻)を読み、「人間は神の子で、本来罪も病もない」と説く教えに感動した。それから青年会(*5)活動をし、平成23年からは相愛会の活動をするようになり、誌友会を開き続けてきた。

上:骨組みだけとなった吉川さん宅の1階。「家を修復したら、この1階部分は、生長の家の道場にしたいと思っています」/下:流れてきた大木に外壁を突き破られた近所の家屋。3カ月以上経っても手が付けられないまま、土砂が残っている

上:骨組みだけとなった吉川さん宅の1階。「家を修復したら、この1階部分は、生長の家の道場にしたいと思っています」/下:流れてきた大木に外壁を突き破られた近所の家屋。3カ月以上経っても手が付けられないまま、土砂が残っている

「だから、こういう時こそ誌友会を開いて、皆さんと物事の明るい面を見る日時計主義の素晴らしさを学ぼうと思ったんです」

 災害から2カ月も経たない8月28日、床がなくなって骨組みだけとなった吉川さん宅の1階で、地域の相愛会員たちが集まって誌友会が開かれた。

「床上110センチまで泥水に浸った跡が、はっきりと残るわが家での誌友会は、それまでにない感動がありました。どんなことがあっても何が起こっても、必ず善くなるという、生長の家の教えをいただいていることが、心からありがたいと思いました」

 この日の様子は、SNSのフェイスブックで紹介され、吉川さんは次のような投稿をした。

「家財は何もかもすべて捨てました。思いきって捨てて、初めて気づいたんです。長年、何かを持っていることを自分の喜びだと間違って生きてきたことを。持ち物をすべて捨てて、幸福は持ち物の中にはない、神の子の自覚にこそあると知りました」

 その後、吉川さんは仮設住宅に移ったが、ここでも日時計主義の生き方を貫いている。「歌う、笑う、お茶する会」を企画し、自らパンフレットを作って配布。仮設住宅の集会所に人を集めて、楽しく歌い、語り合う場を提供した。この会の様子は、9月29日のNHKニュースや中国新聞で、「日時計主義を伝えるボランティアを立ち上げる」と大きく取り上げられて反響を呼び、打ちひしがれていた人たちの心に光を灯した。

「皆さんに喜んでいただけて何よりです。私は今回この災害を通して、生長の家が説いている人間が自然と調和して生きることの大切さを、改めて実感しました。これからますます環境保全に努め、自然と共に生きることを実践するとともに、多くの人に伝えて、美しい地球を後世に残していきたいと思っています」

豪雨災害をバネに新しい道に踏み出す

 取材に訪れた昨年(2018)10月中旬、その後の状況を見せてもらうため、吉川さんの車に同乗し、小屋浦地区に向かった。吉川さん宅のすぐ近くで車を降りて、辺り一帯を見回すと、建物が流されて更地となった土地、流れてきた大木に突き破られ、壁に大きな穴が開いた家など、目を覆いたくなるような、豪雨の爪痕が残っていた。吉川さんは、当時の様子をこう振り返る。

「地域内を流れる天地川(てんちがわ)が、山間の砂防ダムの決壊によって溢れ、さらに、瀬戸内海に注ぐ河口地点に掛かかる橋桁に、押し流された樹木などが引っかかって水路が堰き止められて、濁流がどっと町に流れ出したんですね」

 吉川さん宅は、2階は無事だったものの、1階は床も畳も家具もすべて泥水に飲まれ、木の梁や骨組みが露出する状態で、「大規模半壊」の認定を受けた。しかし、それから2カ月あまりを経たこの時は、泥が取り除かれ、きれいになっていた。

広島カープファンの吉川さん。赤い野球帽とユニフォームで、周囲の人たちを元気づけている

広島カープファンの吉川さん。赤い野球帽とユニフォームで、周囲の人たちを元気づけている

「生長の家国際本部のSNI自転車部(*6)のメンバーや、その他各地から来てくれたボランティアの皆さんが復旧作業をしてくださったお陰で、1階を埋め尽くしていた泥が撤去され、異臭もしなくなりました。本当に感謝しています」

 近所を歩いていると、水害で営業できなくなっていた小さなお好み焼き屋さんが、営業を再開した光景に出くわした。それを見た吉川さんは、「これは、本当に嬉しいできごとです。待ち望んだ復興の第一歩ですよ」と、我がことのように喜んだ。

 復興の兆しは、吉川さん自身にもある。亡くなった妻が火災保険に入った時、水害などの災害も対象となるオプションプランに入っていてくれたため、保険金によってリフォーム工事に取りかかることができ、今年の初め頃には完成する見通しが立っている。

「改築したら、1階部分を地元の相愛会誌友会、生命学園(*7)、青年誌友会などに使ってもらうため、道場のような形で開放し、この地区の生長の家の活動の拠点にしたい。今回のことをバネに、新しい道に踏み出そうと思っています」

 豪雨災害をものともせず明るく前向きに生きる吉川さんの姿を目の当たりにして、どんなことが起きても、人は必ず立ち上がれると改めて痛感させられた。

*1=生長の家の布教・伝道の拠点
*2=生長の家の男性の集まり
*3=生長の家の各教区の責任者
*4=生長の家の教えを学ぶ小集会
5=12歳以上40歳未満の生長の家の青年男女の組織
6=生長の家が行っているPBS(プロジェクト型組織)の一つ。他にSNIオーガニック菜園部、SNIクラフト俱楽部がある
7=幼児や児童を対象に全国各地で開かれている生長の家の学びの場