寺田京子(てらだ・きょうこ)さん│70歳│愛知県田原市 取材/久門遥香(本誌) 写真/遠藤昭彦

寺田京子(てらだ・きょうこ)さん│70歳│愛知県田原市
先祖の写真を背に、「神様、ご先祖様に守られ、生かされていることに感謝でいっぱいです」と寺田さん
取材/久門遥香(本誌) 写真/遠藤昭彦

神想観で一日を始め、先祖供養で一日を終える

 一年を通して温暖な気候に恵まれ、野菜、果物、花などの栽培が盛んな愛知県田原市。寺田京子さんは、この地で長男の真吾さん、佳世子さん夫婦の力を借りながら、夫の喜六さんとメロンやキャベツを作っている。

「寺田家は私たちで6代目になる農家で、ずっとご先祖様が残してくれた畑を守り続けてきました。メロンやキャベツの出荷の時期は、猫の手も借りたいほど忙しいんですが、家族で力を合わせて頑張っています」

 そう笑顔で語る京子さんは、朝起きると、和室にある仏壇の前で神想観(*1)を行い、夜には、聖経『甘露の法雨(*2)』を読誦して、寺田家や実家である高橋家の先祖を供養することを日課にしている。

「朝の神想観で、神様、ご先祖様に『今日も一日よろしくお願いします』と祈り、清々しい気持ちで畑に出かけます。夜には聖経を読み、『今日も一日ありがとうございました』と神様やご先祖様に感謝して眠りに就く毎日を送っています」

ある日、長男夫婦が家を出て音信不通の状態に

 昭和45年に結婚した京子さんは、義父との関係に悩んでいた平成2年、生長の家の教えに触れた。

「生長の家を信仰していた実母に勧められて、練成会(*3)に参加したんです。その時、講師の個人指導を受けると、『嫁ぎ先の義父母のことを本当の父母と思いなさい』と教えられました。それから感謝の思いで義父に接するように努めるうち、だんだん心のわだかまりが消えていったんです」

一枚一枚、丁寧に霊牌を書いて先祖を供養している

一枚一枚、丁寧に霊牌を書いて先祖を供養している

 その後、誌友会(*4)などに参加して教えを学び、先祖供養の大切さを知って実践するようになった。だが、現在のように熱心に行じるようになったのには理由がある。

「平成6年の5月に結婚した長男が、同居して農業を手伝ってくれるようになり、喜んでいたのも束の間、嫁の佳世子さんが農家の生活になじめなかったのか、長男夫婦との関係がだんだんぎくしゃくするようになりました。そして半年後には、長男夫婦が何の相談もなく家を出ていってしまったんです」

 行き先も連絡先も告げられないままだったため、その後、音信不通の状態になってしまった。

「今思えば、お互い遠慮せず本音で話し合っていれば、そんなことにはならなかったと反省するんですが、あの時はただ驚き、あきれるだけで、主人も『もう帰ってこなくていい』と憤っていました」

 京子さんは、「なぜこんなことになってしまったのか。ご先祖様にも申し訳ない」と仕事が手につかなくなるほど落ち込んだ。しかしその一方で、「代々続いた家の後を継ぐはずの長男がいなくなってしまうというのは、このことを通して、ご先祖様が何かを伝えようとしているのではないか」と直感したという。

 早速、信頼する地方講師(*5)や信徒仲間に相談すると、異口同音に「それは、もっと先祖供養をしなさいということ」という答えが返ってきた。

「これは、私の魂が成長するために与えられた課題に違いないと思い、本気で先祖供養に取り組もうと決意したんです」

仏壇の前で手を合わせ、先祖に感謝の思いを捧げる。毎日欠かさない大切なひと時だ

仏壇の前で手を合わせ、先祖に感謝の思いを捧げる。毎日欠かさない大切なひと時だ

 そこで、戸籍や菩提寺の記録を基に寺田家の先祖を調べ、一人一人霊牌(*6)を書いて供養した。

「調べ始めると、結婚が上手くいかずに大変な苦労をした人や、流産児がいた人なども分かり、ご先祖様に思いを馳せながら聖経を読み、感謝の思いを込めて供養させていただきました」

 続けるうちに、「長男夫婦との関係もきっとよくなる、必ずよくなる」という思いが湧き上がってくるようになった。

思わぬことがきっかけで長男夫婦と涙の再会を果たす

 すると、長男夫婦と音信不通になって13年が過ぎた平成19年の年末、真吾さんから、佳世子さんの母親が亡くなったという知らせが入ったのだ。

「再会できることは嬉しかった半面、今更という思いもあって複雑な気持ちでしたが、来るべき時が来たのかもしれないと思い直し、とりあえず葬儀に参列しようと、同じ市内に住んでいた長男夫婦のところに、主人と一緒に行きました」

 久しぶりに再会した長男夫婦は、右も左も分からないまま、葬儀の準備に追われていた。見かねた京子さんは、喜六さんとともに相談に乗り、葬儀の手配やさまざまな手続きを段取りよく済ませた。

「二人に、亡くなったお母さんを感謝の思いで見送るのが大切だという話をしながら手伝いました」

 そんな京子さんの思いが伝わったのか、無事に葬儀を終えると、長男夫婦との心の距離は、13年間も音信不通だったことが嘘のように急速に縮まった。それからすぐの平成20年の正月には、3人の孫を連れて長男夫婦が寺田家を訪れた。

「二人とも緊張した様子で家の門の前に立っていたので、『帰ってくるのを待っていたんだよ。ここはあなたたちの家だからね』と笑顔で迎えると、二人とも涙ながらに門をくぐって家に入ってきてくれて、胸がいっぱいになりました。やっぱり親子ですから、それだけで昔のことはすっかり氷解してしまいました」

 先祖供養の時に抱いた「必ずよくなる」という確信が、まさに現実のものとなった瞬間だった。

神様、先祖を大切にする生き方で、家族の大調和が実現する

 その後、真吾さんは会社勤めの合間を縫って、佳世子さんはアルバイト代わりに、農作業を手伝ってくれるようになった。

「佳世子さんには、『人間は神の子である』と説く生長の家の話をすることもあるんですが、『いい教えですね』と聞いてくれるので、とても喜んでいます」

 先祖を大切にする京子さんの生き方に習うように、今では、佳世子さんも自分の実家の先祖を霊牌に書いて供養し、寺田家のお墓や仏壇もお参りしてくれるようになったという。また真吾さんは、生長の家の教えを学びたいと、相愛会(*7)の一員となって活動するようになった。

「いつも、『キャベツさん、ありがとう』と声をかけながら手入れをするんですよ」。収穫時期を迎えたキャベツ畑で、夫の喜六さんと

「いつも、『キャベツさん、ありがとう』と声をかけながら手入れをするんですよ」。収穫時期を迎えたキャベツ畑で、夫の喜六さんと

「家族で神様を敬い、ご先祖様を大切にする生活を送るようになって、一家が大調和しました。与えられた課題は大きなものでしたが、今は、『人生に無駄なことは何一つない』という教えを実感しています」

 今年3月には、こんな出来事があった。訪ねてきた真吾さんが、寺田さん夫婦の前で、「お父さん、お母さん、あの時は勝手に家を出て行って申し訳ありませんでした」と詫び、ゆくゆくは家業を継ぎたいと胸の内を明かしてくれたという。

「びっくりして主人と顔を見合わせましたが、『ああ、これも神様、ご先祖様のお導きに違いない』と心から嬉しく思いました」

 春の日差しを浴びて輝くキャベツ畑で、京子さんは、「今が一番幸せです」と穏やかな笑顔を浮かべた。

「家族で神様を敬い、ご先祖様を大切にする生活を送るようになって、一家が大調和しました」

*1=生長の家独得の座禅的瞑想法
*2=生長の家のお経のひとつ
*3=合宿形式で生長の家の教えを学び、実践するつどい
*4=生長の家の教えを学ぶ小集会
*5=生長の家の教えを居住地で伝えるボランティアの講師
*6=生長の家で、先祖供養や流産児供養の時に書く紙製の札
*7=生長の家の男性の組織