阿弥陀如来(あみだにょらい)、薬師如来(やくしにょらい)、弥勒菩薩(みろくぼさつ)、普賢菩薩(ふげんぼさつ)……。信仰の対象として崇められ、人の心を癒やし、魅了してきた仏像。その仏像を彫る人は何を思い、何を伝えんがために仏を彫り出すのか。その“心の軌跡”を紹介していきたい。

2019年、6月に制作した「寿老人」(筆者提供)

2019年、6月に制作した「寿老人」(筆者提供)

松村智麿(まつむら・ともまろ) 1963年、大阪府生まれ。大阪府の摂南大学卒業。19歳の時に、京仏師、松久朋琳氏の講演会を聴いたのがきっかけで、仏像彫刻の道へ。以来35年、仏像彫刻に精進し、仏教美術展などに作品を出品してきた。生長の家相愛会兵庫教区連合会事務局員。生長の家地方講師。

松村智麿(まつむら・ともまろ)
1963年、大阪府生まれ。大阪府の摂南大学卒業。19歳の時に、京仏師、松久朋琳氏の講演会を聴いたのがきっかけで、仏像彫刻の道へ。以来35年、仏像彫刻に精進し、仏教美術展などに作品を出品してきた。生長の家相愛会兵庫教区連合会事務局員。生長の家地方講師。

「七福神の一つ、長寿を意味する寿老人(じゅろうじん)はな、“寿”の字がついてるからと言って、“お目出度(めでた)い老人”という意味だけの神様とは違うんやで。これも仏像の一つなんや」

 師の言葉を聴いて、初めて七福神も仏像であることを知った私は、その後、寿老人を彫り参らす度に、師から念押しされたこの言葉を思い出すようになった。

 仏像である寿老人は、礼拝(らいはい)の対象となるが、人間の老人の姿をしており、祈る側にとっては親しみやすさを感じるお像である。その持ち物の大きな特徴は、「桃」を持っていることだ。桃は「茂茂(もも)」であり、「繁茂」という言葉があるように、物事の繁栄、発展を現していて、それも、自然に祈る人に相応しい、繁栄の仕方の知恵を授けてくださるというのである。

 師が小さな寿老人を彫り参らせた時、私は手に持つ桃を如意宝珠(にょいほうじゅ)と見間違え、「寿老人も、夢地蔵のように宝珠を持っているのが特徴なんですか?」と尋ねたことがある。見たそのままを尋ねたのだが、師の返事は、「よう似とるけど、如意宝珠は如意宝珠、桃は桃やで」という禅問答のようなものだった。

 今から考えると、如意宝珠は桃の形に似ているが、桃のように現実にあるものではなく、仏の法力を象徴した宝珠であろう。あるいは、仏の御心に叶うものであるならば、果物の桃の如く、祈る人に即した答えを顕現してあげやすいという意味ではなかったかと思う。

 また、仏画によっては、寿老人が鹿を連れている様を描いているものがある。鹿も桃と同様、繁栄、発展、平和の象徴とされ、京都にある金閣寺は、正式名称を鹿苑寺(ろくおんじ)金閣といい、「鹿」の字が冠されている。その鹿の字から、金閣寺が建立された地から仏教が広まり、人々が末永く平和に暮らせるようにという、施主のひしひしとした思いが伝わってくるのである。

 今回は、あの時師から聴いた言葉を噛みしめながら、髭を蓄えた、ほぼ三頭身の小型の寿老人を彫り参らせていただいた。

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