阿弥陀如来(あみだにょらい)、薬師如来(やくしにょらい)、弥勒菩薩(みろくぼさつ)、普賢菩薩(ふげんぼさつ)……。信仰の対象として崇められ、人の心を癒やし、魅了してきた仏像。その仏像を彫る人は何を思い、何を伝えんがために仏を彫り出すのか。その“心の軌跡”を紹介していきたい。

見ると、思わず手を合わせて拝みたくなる愛らしい夢地蔵。平成27年製作(松村さん提供)

見ると、思わず手を合わせて拝みたくなる愛らしい夢地蔵。平成27年製作(松村さん提供)

松村智麿(まつむら・ともまろ) 1963年、大阪府生まれ。大阪府の摂南大学卒業。19歳の時に、京仏師、松久朋琳氏の講演会を聴いたのがきっかけで、仏像彫刻の道へ。以来35年、仏像彫刻に精進し、仏教美術展などに作品を出品してきた。生長の家相愛会兵庫教区連合会事務局長。生長の家地方講師。

松村智麿(まつむら・ともまろ)
1963年、大阪府生まれ。大阪府の摂南大学卒業。19歳の時に、京仏師、松久朋琳氏の講演会を聴いたのがきっかけで、仏像彫刻の道へ。以来35年、仏像彫刻に精進し、仏教美術展などに作品を出品してきた。生長の家相愛会兵庫教区連合会事務局員。生長の家地方講師。

 仏像の立像、座像は、大体が蓮台(れんだい)、岩座(いわざ)におられるが、夢地蔵は、雲座(くもざ)という台におられて、衆生を導かれている。

 夢地蔵の名前の謂われは、祈る人の希望や夢を叶える役目を持つという意味からくる。しかし、ただ祈られたことを何でも実現するというのではなく、一見、雲を掴むような実現性のない祈りごとであっても、お地蔵様の慈悲によって、祈る人に相応しい叶え方をしてくださるのである。つまり、生長の家でいうところの「欲するもの好ましきもの自から集り来たり、欲せざるもの好ましからざるもの自から去る」という意味で、両手に如意宝珠を持っていると言われている。

 今から30年も前、師から、仏像がおられる各台座の意味を聞いたことがあった。その中でも、雲座の意味が大変珍しく、深く印象に残った記憶がある。

 雲座の台座は、文字通り雲のように、内から雲がもくもくと出てくるようなイメージで、円形の台座を基本とし、角張ったところがないように縁を半円形に彫る。そして、等間隔で彫り込んでいき、渦巻き状に面彫りを施して、雲のイメージを出す。

 また、その雲が台座より上昇し、地蔵本体から出る後光が、上った雲に反映して、船の先端の形に似た舟形光背(浄土宗系に多くみられる)を形成していると言われている。つまり雲とは、祈る側の「ああでもない、こうでもない」というさまざまな葛藤や迷いの現れであり、人間の力ではどうにもならなくなって、ひたすら仏に縋る気持ちになった時、雲間から明るい光が差すように仏が現れるというのである。

 故に、地蔵本体も雲のように丸く沸き立つイメージを持ち、ふくよかなお姿をされている。このふくよかな形に彫り上げるには、なるべく引っかかりがないよう、滑らかに彫り上げることが大事であり、像高わずか10センチ余りの小さな仏像だが、仕上げるまでにはかなりの時間を要する。

 しかし、出来上がって実際に手で触れてみると、温かみがあり、心が和らぐ感じを受ける仏である。

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