飯田芳実(はんだよしみ)さん│33歳│愛知県半田市  取材/佐柄全一 写真/堀 隆弘 自宅奥にある2畳ほどのアトリエで。机を自作し、壁も自分で塗ったという

飯田芳実(はんだよしみ)さん│33歳│愛知県半田市 
取材/佐柄全一 写真/堀 隆弘
自宅奥にある2畳ほどのアトリエで。机を自作し、壁も自分で塗ったという

 7年前、本誌がリニューアルされた時から目次に彩りを添え、今年(2017)3月号(No.84)で幕を下ろした「ぷちシアター」。飯田芳実さんはその絵と文を担当してきた。

上:大きな樹木に小さな2人の人間の姿が。もっとも多いモチーフである/下:自然体で制作に没頭する。「心が解放される楽しいひと時です」

上:大きな樹木に小さな2人の人間の姿が。もっとも多いモチーフである/下:自然体で制作に没頭する。「心が解放される楽しいひと時です」

「心に浮かぶイメージを思いのままに描いて、短い文を添える。簡単なようでいてとても難しく、『もう無理』と思ったこともありました。7年も続けられたのは自分でも驚きで、応援してくださった読者と編集部の皆さまのおかげだと感謝しています」

 絵の多くは、B5サイズの画用紙に描いた水彩画。樹木、草花、月、人物などをモチーフにした心象風景で、淡い色彩が心地よく印象に残る。

「イメージは、浮かんでは消えてしまうもので、不安と隣り合わせですが、心に引っかかったイメージを絵にすることで心が落ち着くんです。そのほっとした気持ちが読者に伝わるように、と思って描いてきました」

 愛知県半田市に生まれた飯田さんは、幼い頃から絵を描くのが好きで、高校を卒業後、名古屋芸術大学デザイン学科に進学。卒業制作では、古着や布切れを使って、目鼻のない、異様な格好をした人形を800体も作って展示したという。

「それでも他の人の作品はもっとすごくて、私のは目立ちませんでした(笑)。あの時の人形は、今も絵に登場することがありますから、私の“分身”なのかもしれません」

 生長の家との関わりが生まれたのは、大学を卒業後、将来への不安に苛(さいな)まれていた平成18年1月。中学時代、親戚の人から勧められた青少年練成会(*1)で感動したことを思い出し、生長の家宇治別格本山(*2)の練成会に参加した。

「神様に守られていると分かって不安が消え、研修生になって教えを学び、その年の3月から愛知県教化部(*3)で働くようになったんです」

 2年後の平成20年、縁あって当時、東京・原宿にあった生長の家本部(*4)に転職。広報・編集部(現在の広報・クロスメディア部)勤務になった時、上司の勧めで始めたのが、「ぷちシアター」の連載だった。

 気軽に始めたものの、東日本大震災による惨状(さんじょう)を目の当たりにして、恐怖のあまり絵が描けなくなったこともあった。そんな状態にいた飯田さんを支えてくれたのが、当時、交際中の尊博(たかひろ)さんだった。

趣味でアクセサリー作りもやっている。「根っからのインドア派です」

趣味でアクセサリー作りもやっている。「根っからのインドア派です」

 平成23年に結婚し、翌年本部を退職。2年前から、夫婦で飯田さんのふるさと、半田市に移り住んだが、尊博さんの温かい理解の下、「ぷちシアター」の連載を続けることができたという。

「締め切りがなくなると、モチベーションが保てるかどうか、ちょっと心配ですが(笑)、でもやっぱり今後も描き続けると思います。絵が大好きですから」

*1=合宿形式で生長の家の教えを学び、実践するつどい
*2=京都府宇治市にある生長の家の施設
*3=生長の家の布教・伝道の拠点
*4=現在の生長の家国際本部のこと