一枚の絵からは、そこに描かれている形象だけでなく、作者が何を思い、どう考えて生きたのかという、心の軌跡が浮かび上がってくるものです。絵が描かれたいきさつ、それにまつわる作者の人生を紹介していきます。(絵と文 川崎善張)

『誕生』(2017年作。F8号)

『誕生』(2017年作。F8号)

川崎善張(かわさき・よしはる) 大分県豊後高田市在住の画家。1957年、大分県生まれ。東京造形大学卒業。白日会会員を経て、現在、生長の家芸術連盟(生芸連)会員。2002年に生光展賞。生長の家地方講師、生長の家相愛会大分教区連合会副会長。

川崎善張(かわさき・よしはる)
大分県豊後高田市在住の画家。1957年、大分県生まれ。東京造形大学卒業。白日会会員を経て、現在、生長の家芸術連盟(生芸連)会員。2002年に生光展賞。生長の家地方講師、生長の家相愛会大分教区連合会副会長。

『誕生』は、2013年の春、自動車を運転していた時に見た光景を、絵にした作品である。ゴミ焼却場の煙突から立ち上る煙と、空に浮かぶ雲が白い帯で繋(つな)がり、新たな雲を生み出しているように見えたのだ。

 実はこの絵、2013年に描き始めてから二度、創作を中断している。ここに紹介している絵は、三度目に筆を入れたもので、今年2017年に完成したものである。

 当初は、視覚的な光景の組み合わせの面白さに魅(ひ)かれて描いたのだが、その奧で感じ、心に見えた風景を表現できないまま、4年以上が過ぎていた。しかしある日、描きかけの絵を前にして、車から見た光景をもう一度、記憶の引き出しから取り出した時、「固有色にとらわれるな!」という声が聞こえた気がした。

 肉体人間の感覚器官には限界がある。視覚に関しては、遠くになればなるほど形は小さくなり、そして見えなくなってしまう。また、すぐ近くにある物でも、あまりにも小さい物は見えない。色もまた然(しか)りである。

 当り前のことだが、改めてこうした現象の不思議さに驚き、「本当はあるのに、私の感覚器官では見えていないだけなのだ」と気づかされた。私が見ている現象の奧には、見えていないにもかかわらず、美しさに満ち溢(あふ)れた世界があることを思うと、私が見て感じた光景も、“特別の存在”として何かを語りかけているように思えてならなかった。

 この『誕生』における何かとは、煙突から立ち上る煙と空に浮かぶ雲が、白い帯となって繋がり、新しい命が誕生したということで、私は、そうした光景の一部を切り取り、自らの心に映し出していた。“特別の存在”とは、私だけの心の色であることも、その時はっきりと分かった。自然界の美しさに感動した時、固有色は、その感動を媒介し、絵として表現するための一つの手段であって、本当の色は自分の心の中にあるのだと思ったのである。

 自動車という、見えなかった光景が見えてきたり、見えていた光景が見えなくなったりすることを繰り返す移動空間に身を置いた時、そこに去来する心の想い。それを凝縮したのが、『誕生』である。