私は幼い頃から、喧嘩をする両親の姿を見て育ちました。母に暴力を振るう父を恨み、心はいつも不安定でした。引っ込み思案で、人前で話ができない自分にも悩んでいました。高校を卒業したものの、進学した看護学校に馴染めず、不登校になってしまったのです。その時、親戚から生長の家のことを聞いていた母が、私を佐世保教化部(*1)へ連れて行ってくれました。それが生長の家との出合いでした。

 しかし、看護学校を辞め、自分の居場所を求めて家出を繰り返しました。どこへ行っても居場所は見つからず、家に帰ってきた私を母は、「お前はこれで終わる人間じゃなか。母さんはお前を信じとるけんね」と言って温かく迎えてくれました。その言葉に励まされて、私は立ち直り、就職しました。

 その頃、生長の家の月刊誌を配布したり、家庭訪問をしたりして、生き生きと楽しく活動している生長の家青年会(*2)の人たちの姿を見て、「私の求めていたのはこれだった。これからは人のお役に立つ生き方をしよう」と思い、嬉しさが込み上げて来たのです。

イラスト/せのおりか

イラスト/せのおりか

 そして昭和57年に、ラーメン店を営む6歳年上の主人と結婚しました。店は繁盛し、私も店を手伝い、3人の子どもにも恵まれました。国道沿いに中華レストランをオープンし、宴会場も作りました。しかし過剰な設備投資の結果、平成元年に1億円もの借金を抱えて倒産してしまったのです。

 幸い主人の実家に田畑があったおかげで、不動産業を営む生長の家信徒の方のお世話になり、店の建物と土地、自宅周りの田畑を売って、1年で全額返済することができました。義母も生長の家を信仰しており、神様、ご先祖様のおかげと心から感謝しました。

 その後、主人は会社に勤め、義父の援助もあり、安定した生活を送ることができるようになりました。ところが、主人はまだ若かったため、もう一旗揚げたいと退職し、様々な仕事に手を出しました。私は生活の安定を考えると賛成できず、次第に主人への不信感が募りました。その結果、子宮と卵巣が癒着する病気に罹り、2度の手術をすることになったのです。父や主人への不満が体に現れたのだと思いました。

 平成14年、私は地方講師(*3)の資格を取りました。しかし、講師となって教えを真剣に勉強すればするほど、夫婦調和や主人への感謝が出来ていない自分を責め、部屋に引きこもってノイローゼのようになってしまいました。

 そんな平成18年2月、生長の家総本山(*4)の団体参拝練成会(*5)に思い切って参加しました。そこで聴いた体験談は、私が生まれ変わるきっかけとなったのです。それは、生長の家で教わった「笑いの練習」(*6)をすることで明るい性格になり、家庭もすっかり明るくなったという体験談で、「家で待っている主人への一番のおみやげは、この笑顔です」という最後の言葉が胸に響きました。

 家に戻ると、これまで主人にきつい言葉をぶつけてきたことを両手をついて謝りました。この優しい夫だから、3人の子どもも皆素直に育ち、幸せに恵まれていたのだと気づいたのです。

 このように様々な問題を、信仰によって乗り越えることができました。生長の家の恩師は、「今までの体験は、あなたの宝物よ」と言って下さいました。これまでの体験を生かして、悩める人の力になるのが、私の使命だと思っています。多くの方に信仰の喜びをお伝えしていきたいと思います。

siro110_sinkou_2

 

金﨑安代(かなさき・やすよ)(生長の家地方講師)
生長の家白鳩会長崎北部教区連合会長。現在は夫と2人で暮らす。長男と長女は家庭を持ち、次男は独立して東京で働く。今は2匹の犬が子ども代わり。


*1 生長の家の布教・伝道の拠点
*2 12歳以上40歳未満の生長の家の青年男女の組織
*3 教えを居住地で伝えるボランティアの講師
*4 長崎県西海市にある生長の家の施設。龍宮住吉本宮や練成道場などがある
*5 生長の家総本山に教区単位で参拝し、受ける練成会
*6 笑うことによって心を明るくし、心身を健康にするために行う行事