榎本一子(えのもと・かずこ)さん   生長の家本部講師補 榎本一子さんのプロフィール 昭和12年生まれ。平成11年、生長の家宇治別格本山の職員となる。平成12年、生長の家本部講師補。現在は練成部に所属。練成会に訪れる人々を信仰に導いている 取材/原口真吾(本誌) 撮影/遠藤昭彦

榎本一子(えのもと・かずこ)さん

プロフィール
昭和12年生まれ。平成11年、生長の家宇治別格本山の職員となる。平成12年、生長の家本部講師補。現在は練成部に所属。練成会に訪れる人々を信仰に導いている

取材/原口真吾(本誌) 撮影/遠藤昭彦

お盆などで墓参りに行く機会があっても、先祖供養の意義について改めて考えたことがないという人は多いのではないでしょうか。私たちはなぜ先祖に手を合わせるのでしょうか? 生長の家宇治別格本山(*1)で、長年多くの悩める人を導いてきた榎本一子・生長の家本部講師補に、先祖供養の意義や心の持ち方について聞きました。

──お盆になると、習慣的にお墓参りをする人は多いと思いますが、私たちはなぜ先祖を供養するのでしょうか。

榎本 故人を偲び、その想いを形に表したいというのは、私たちの本性に根ざしたものですね。「死んだら灰になっておしまいだ」と言っているような人でも、いざ肉親や親しい人の死に直面すると、そのように割り切って考えることはできないものです。心の底では、どこかで生き続けていてほしいと願い、何かできることはないかと考えています。だから、お仏壇やお墓など、故人を祀るものがあるんですね。

──故人にとっても、供養されることは必要ですか。

榎本 生長の家創始者・谷口雅春先生(*2)は、『新版 人生を支配する先祖供養』(日本教文社刊)の中で、「人間は神の子である。神の子はそれ自身で完(まつ)たい。外から何物かを附け加えてもらうことによって初めて完全になるようなものではない」(24ページ)と説かれています。神の子である人間の霊は、お宮やお堂を建ててもらわないと霊界での生活が困るというようなことはありません。

 ですが、現象的には、聖経『甘露の法雨』(*3)に「胃袋もあらざるに胃病に苦しめる霊あり、/心臓も有たざるに心臓病にて苦しめる霊あり」と説かれているように、肉体がすでに無くなっているにもかかわらず、それが分からずに苦しんでいる場合もあり、供養が必要になってきます。

──そんな迷い苦しんでいる先祖の霊が、子孫に影響を与えるということはあるのでしょうか。

榎本 先祖が望んでいるのは私たち子孫の幸せですが、先祖の霊が心の迷いによって痛がったり、苦しんだりしていると、その思いが心の波長の似ている子孫に意図せず伝わってしまい、同じような病気が現れてしまうことがあります。

 聖経(*4)や讃歌(*5)を誦げて供養をすると、真理の言葉を聴いた先祖の神性の自覚が深まり、神の創り給わない病気や不幸は本来ないものだと悟られます。病気の念は消え、子孫の幸せを願う思いだけが私たちに届いて、病気が治ったり、家が栄えたり、運命が好転したりしてくるんですね。

先祖供養は、自分を肯定することから

──生長の家での先祖供養の具体的な方法を教えて下さい。

榎本 生長の家では、「霊牌(れいはい)」という短冊状の用紙に、先祖の名前を記入し、現代語で書かれた聖経や讃歌の真理の言葉を読誦して供養します。

 霊牌には、自分の両親の二家と、配偶者の両親の二家を記入して、先祖代々の霊を供養する「先祖霊牌」と、昇天して50年以内の親族縁族の俗名を記入する「一般霊牌」があります。さらに、流産児用の「流産児霊牌」もあります。霊牌は位牌と同様に霊界に昇天された霊とのアンテナになるもので、これを目印にしてご先祖様や亡くなった方の霊が、霊界からいらっしゃいます。

siro112_rupo_2 長男の家に仏壇があるから、自分の家には仏壇を置いていない、という方もいらっしゃいますが、長男でなくても仏壇を用意するのが本当です。そういった方には、お菓子などのきれいな箱の内側に、コピー用紙でもいいので白い紙を貼り、この中は清浄な空間だと思って、霊牌を置くことをお勧めしています。

 供養は、毎日朝晩の決まった時間に線香をあげて行うのが一番良いのですが、朝は忙しくて時間がないという場合は、「いつもお守り下さって、ありがとうございます」と、手を合わせるだけでもいいんです。ご先祖様のお導きとお護りに、常日頃から感謝の思いを捧げることが大切です。

──先祖の導きと護りに感謝すると言われても、あまり実感できないという人は、どうすれば感謝の思いが湧いてきますか。

榎本 先祖の始まりは両親からですが、その両親に対して感謝できないという人がいます。そういう人は自分の存在を肯定できていないことが多いものです。自分の存在を肯定できていないので、自分をこの世に誕生させる縁になってくれた両親にも感謝ができないんです。

 そのような人のなかには、これまでに常に他の人と比べられて、自己否定感をもっている人もいます。だから両親に対しても、本当は生まれたくなかったのにとか、別の親が良かったとかいうように思ってしまうんですね。

 そういう人が練成会(*6)に参加して、「人間・神の子」の教えを学び、「自分は素晴らしい神の子だ」と自覚できるようになると、人生で無駄なことは一つもなかった、生きていて良かったと思い直したり、自分の美点に気づいたりして、自分自身に対する感謝の気持ちが湧いてきます。すると、まず両親の結婚を心から祝福することができて、両親に対して何とも言えない懐かしさと有り難さがこみ上げてくるんですね。そして、その両親がこの世に生まれる縁を紡いでくれた先祖に対しても、いのちの繋がりが感じられ、連綿と続くいのちの繋がりの中に自分があるんだということにも気づくことができて、自然と感謝の気持ちが湧いてくるんです。

 先祖は、供養をする私たち子孫の真心を何よりも喜んでくれます。「先祖供養は特にしていませんが、有り難いと思っています」という人がいますが、それでは感謝していることになりません。「お寺に永代供養を任せているから大丈夫です」というのも同じですね。本当に心の底から思っていたら、その思いが必ず形に現れてきますし、現さずにはいられません。形に現れない思いは、本当ではないのです。

いのちの根に感謝する

──先祖供養をすることで、運命が好転した体験例についてご紹介いただけますか。

榎本 ある40代の主婦の方は、中学生の息子さんが不登校になってしまい、心を痛めていたところ、生長の家の教えに触れました。講師からは「あなたの存在の大もとである先祖に感謝し、供養をしていますか?」と尋ねられたそうです。その方は、「子どもの問題で悩んでいるのに、なぜ先祖のことが関係あるのだろう」と思ったといいます。

 生長の家では、先祖供養の意義を「木」にたとえて、このように説いています。

 大地は神様、根は先祖
 幹は両親、子孫は枝葉
 枝葉に花咲き、よき果(み)を結ぶは
 親に孝養、先祖に供養

 自分のいのちの「根」である先祖に感謝しない生活は、いわば切り花のような生活です。一時は美しく咲いていても、やがて枯れ果ててしまいます。

宝蔵神社が建つ宇治別格本山の境内で

宝蔵神社が建つ宇治別格本山の境内で

 その方はその話を聴いて、先祖供養を始めるために仏壇を備えようと思いました。ところが、ご主人が宗教を毛嫌いしていて、「仏壇なんて縁起でもない!」と一蹴されてしまったのです。そこで茶箪笥の中に入れた本の間に四家の霊牌を挟んで、ご主人がいない時に聖経を誦げていると、先祖への感謝の気持ちが湧いてきたそうです。

 すると、それから数カ月が経った頃、息子さんが急に自分から学校へ行くようになりました。数年後にはご主人が「今度のボーナスで仏壇を買ってやる」と言い出して、とてもびっくりしたということでした。

──「根」である先祖を供養することで、「枝葉」である私たちの運命も好転していくんですね。

榎本 そのとおりです。先祖への報恩と感謝が子孫繁栄の礎になるんです。結婚もそうですよ。結婚は夫婦になる二人の結びつきと思われがちですが、実は家同士の結びつきでもあります。本人や両親以上に先祖が望まれていて、両家の先祖が力を結集して、素晴らしいご縁を結んでくれるんです。

 結婚を望んでいたある40代の女性は、生長の家の講話を聴いて、「そう言えば母は仏前で供養をしていたけど、自分はしたことがなかった」と気がつきました。そこで、お母さんと一緒に供養を始めたところ、ほどなくして良縁に恵まれました。「私はこの人と出会うために、今まで待っていたんだ」と思えるような人だったそうです。

 先祖供養を始めるきっかけは、自分の悩みを解決するためでもいいんです。たとえご利益のための供養でも、続けるうちに「私は間違っていた」と気がついて、純粋に感謝の心へと変わり、本当の先祖供養になっていきます。

感謝と喜びのみに満たされた供養

──流産児の供養がなぜ大切かについても教えていただけますか。

榎本 自然に流れてしまったことは重大な罪ではありませんが、問題なのは中絶児です。堕ろして、それで終わったように思っても、母親としての本能的な母性をごまかすことはできず、いつまでも後悔として残ります。遊んでいる他の子どもを見て、ふと「もし生まれていたら、あの子くらいかな」と考えてしまうんです。

 人間は神の子で、素晴らしい存在ですから、そこに少しでも“正しくないもの”が混ざると辛くなって、自己処罰することで罪をつぐなおうとするんです。そうした思いが、母親の機能を担う身体の器官に病気として現れたり、子どもが母親の思いに感応して非行に走ったり、引きこもったりして、順調にいかなくなります。

──流産児の供養は、どのようにすればよいのでしょうか。

榎本 流産児に名前をつけて、流産児霊牌に記して供養します。性別が分からないことが多いので、薫や操、圭、光など、男の子にも女の子にもつけられる名前がいいですね。この世に誕生できなかった子どもにも、ちゃんと存在価値を与えてあげるんです。真理が分かりやすく説かれた聖経を心を込めて誦げ、供養してあげてください。

 流産児供養の霊牌には、名前を書く場所の上に「実相妙楽宮地蔵」と書かれていて、人々を救う立場である地蔵菩薩様としてお祀りします。

 一般霊牌には、名前の下に、男性用は「比古命之霊位」、女性用は「比女命之霊位」と書かれています。比古命(ひこのみこと)も比女命(ひめのみこと)も、比較のしようがないほど尊いいのちという意味で、つまり神様のことなんです。病気や事故、自殺、中絶など、現象的には様々な状態を現してこの世を去っていった故人や流産児を、本来の姿である完全円満な神の位にまで上げて祀るのです。

 ですから、生長の家ではただ光のみ、感謝と悦びのみに満たされた先祖供養と流産児供養をしているのです。

*1 京都府宇治市にある生長の家の施設。宝蔵神社や練成道場などがある
*2 昭和60年昇天
*3 生長の家のお経のひとつ
*4 生長の家のお経の総称
*5 『観世音菩薩讃歌』『大自然讃歌』のこと
*6 合宿形式で教えを学び、実践するつどい