私は小さい頃から引っ込み思案で、人のあとに付いていくような子どもでした。大勢が集まるときには、一番後ろの端っこに、自分の居場所を見つけていました。自分に自信がなく、無意識のうちに、自分の心に制限をかけていたのだと思います。そのため独身時代には、円形脱毛症になったり、胃痙攣を起こしたりしていました。

 そんな私でしたが、結婚後、夫の姉を通して生長の家にご縁を頂きました。母親教室(*1)や誌友会(*2)、練成会(*3)などの教えを学ぶ場に誘われるまま参加するなかで、「人間は神の子」という真理の深い意味が、自分の心に沁み込んでいきました。「すべては自分の中にあり、無限の力をもった完全円満な私だった」という真理の言葉の一つ一つが心に響き、神の子の自覚が深まっていく中で、心の縛りを解いていく鍵は、「自分の中の神を知ること」と「自分を肯定すること」にあったと気づきました。 

イラスト/せのおりか

イラスト/せのおりか

 同時に、自分を縛っていたのは自分なのだから、その縛りを外すのも自分以外にはないと思い、「心の底からの笑い」で外そうと決めてから、練成会での「笑いの練習」(*4)での私の笑い方が変わっていきました。気がつくと、心の中にあった自己処罰の念いや、取り越し苦労、持ち越し苦労、自己限定から解放され、いろんなことに心が引っかからなくなり、放つ愛も学び、今を生きることを悦べる自分になっていたのです。

 毎朝の神想観(*5)の後、『真理の吟唱』(生長の家創始者・谷口雅春著、日本教文社刊)を声に出して、自分の魂に話しかけるように拝読することを楽しむようになったのが、ちょうど50歳の頃のことでした。人生100年とすれば折り返し地点、「これまで、いろいろな事があったなあ」と、自分の人生を振り返りました。私が10歳のときに、父が脳溢血で倒れ、母は家族を養うために朝から晩まで働くようになりました。そんな母は、自分の実家の傍にあった寺の日蓮宗を信仰し、朝晩の行は欠かさず、毎月母が寺に出かけて行をするときは私も付いていき、母の傍で何時間もじっと待っていたものでした。

 愚痴もいわず、家族のためにひたむきに生きる母の力に早くなりたいと、私は中学卒業と同時に、住み込みで看護の道に進むことを選びました。その時、兄は大学生、姉は高校生。母は私の担任教師から私の進路への思いを聞き、とても驚いたようでしたが、反対はせずに受け止めて、送り出してくれました。15歳で実家を離れ、見習いから始まり、看護師になるまでのこの間、素敵だなって思える、人生のお手本となるような方々にも出会いました。また、夫は私の内なる神性を事あるごとに引き出してくれる大切な存在でもありました。

 そんな50年を振り返り、これからの人生、私が接する全てへのご恩返しと思い、母のように一日を祈りで始め祈りで終え、善いコトバの種蒔きだけをしていこう。自分の置かれた環境は自分の魂の成長に必要なことと受け入れ、どんなことにも明るく前向きに向き合い、楽しみ悦ぼうと決意しました。

 心の縛りを放ち去ることで、自分の中の無限の力が湧き出てくることや、自分に与えられている環境が、こんなにも明るく優しく温かいものだと知った今、「人間・神の子」の教えを知らないで悩み、苦しんでいらっしゃる方に、そのままで素晴らしい自分に気づいていただけるよう、生長の家の教えをさらに多くの方にお伝えしていきたいと思います。

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栗林邦子(生長の家地方講師)

生長の家白鳩会長野教区連合会長。4人の子どもは独立し、現在は夫と猫2匹、烏骨鶏2羽と暮らす。『ターシャの庭』に憧れ、四季折々の花を育てている。

 

 

*1 母親のための生長の家の勉強会
*2 教えを学ぶつどい
*3 合宿して教えを学ぶつどい
*4 笑うことによって、心を明るくし、心身を健康にするために行う練習
*5 生長の家独得の座禅的瞑想法