伊敷優希(いしきゆうき) 石垣島在住。2010年10月に27歳で結婚。5歳、2歳の男の子の母。息子の幼稚園のお友達&ママと、公園遊びに日々奮闘。2017年2月から沖縄教区青年会委員長。光明実践委員。

伊敷優希(いしきゆうき)
石垣島在住。2010年10月に27歳で結婚。5歳、2歳の男の子の母。息子の幼稚園のお友達&ママと、公園遊びに日々奮闘。2017年2月から沖縄教区青年会委員長。光明実践委員。

 大晦日の夜、私の実家で年越しそばを食べた後、彼と私は初詣に出掛けた。私は心の中で結婚成就を願った。

 そして翌平成22年元旦、私は彼の実家に行った。二人だけになった時、彼が最近結婚した友達の話をした。そして少し間が空(あ)いて「今年、僕たちも籍を入れよう」と恥ずかしさを滲(にじ)ませながら、静かに言った。なんの演出もない、凝(こ)った細工もない、彼らしい真っ直ぐなプロポーズだった。私はそんな彼のストレートしか投げないところが好きだった。私も飾ることなく、「うん!」とだけ笑顔で返した。

 きっと、初詣で並んで手を合わせた私たちは、同じ願(がん)を懸(か)けていたのだろう。だとしたら、二人の願いは思ったより早く叶った。

 帰宅して、両親に話すと大喜びだった。二人で話し合い、色々な事情から、今年の10月10日に入籍する予定だと伝えると、「えー! もっと早くしたら!」と急(せ)かされたくらいだった。

 その年の8月、彼と私は、私の両親の前にいた。彼から言葉が出た。「優希さんをください!」力強いひと言だった。父はじんわりと涙を浮かべ、母はこの日が来たとばかりに、にこやかに微笑んでいた。両親の答えは、それだけで十分だった。父はひと言「どうぞよろしくお願いします」と言った。

 その2週間後、私の実家で両家揃って結納を済ませ、無事10月10日に婚姻届けを提出した。彼が30歳、私が27歳、交際から1年半目の入籍だった。翌年2月には披露宴を行った。沖縄らしく250人以上の近しい人々に祝福され、賑(にぎ)やかな宴(うたげ)となった。

イラスト/石橋富士子

イラスト/石橋富士子

 結婚後も夫は相変わらず、昭和初期の男性のように古風だ。公衆の面前では印象が悪いと、今まで手をつないで歩いたことはないし、いつも寡黙(かもく)で不必要に喋(しゃべ)ることもない。

 今になってわかることだが、私が若い頃にタイプだと思っていた、「今時の優しくて気が利き過ぎるような男性」より、私にはこういう、淡々として素っ気ないくらいの人が合っていたのだ。神様とご先祖様は良くぞ見抜き、私たちを引き合わせて下さったと思う。

 今、出会いから8年経つが、日々淡々としている夫は、年中安定感があり、かつ何故(なぜ)か全く飽きさせない人だ。必要以上に感情を出さないが、愛情は人一倍ひしひしと感じさせる愛すべき人だ。出会いを天に任せて正解だった。

 毎日穏やかに幸せであることが、何より有難い。日々、『日時計日記』(生長の家白鳩会総裁・谷口純子監修、生長の家刊)に感謝の言葉を記す。婚活、恋愛、結婚、妊娠、出産を通して、唯心所現(ゆいしんしょげん)(*1)を本当に強く感じることになった。

 そして、今も日々ビジョンが具現化していくことを感じている。5歳と2歳の2人の息子の子育ても、子どもの光明面だけを見て日時計主義(*2)でありたいと思いながら、日々奮闘中である。

*1 心で思った通りに現象が現れること
*2 日々の生活の中の喜びや明るい出来事などに心を向ける生き方