黒水幸子(くろみず・さちこ)さん (72歳) 宮崎県高鍋町 フィンランド在住の三女から送られてきたアルバムを手に。「遠く離れていてもいつも私のことを気づかってくれるのが嬉しいです」 取材/水上有二(本誌) 撮影/近藤陽介

黒水幸子(くろみず・さちこ)さん (72歳) 宮崎県高鍋町
フィンランド在住の三女から送られてきたアルバムを手に。「遠く離れていてもいつも私のことを気づかってくれるのが嬉しいです」

取材/水上有二(本誌) 撮影/近藤陽介

 宮崎県東部の日向灘に面した海岸にほど近い集落の中に、黒水幸子さん宅はある。庭の畑には九州野菜の水前寺菜が葉を広げ、アサギマダラ蝶が飛び交うなど、南国情緒が感じられる。幸子さんは股関節に障害があるので杖を使っているが、脚の不自由さを感じさせないほど張りのある声でよく笑う。

 一男三女に恵まれ、今は夫の國臣(くにおみ)さん(74歳)と二人で暮らす幸子さんは、この日、記者にお気に入りの料理を出してくれた。その一つは具だくさんの「いも団子汁」で、団子はジャガイモをふかして潰し、片栗粉を加えてこねたものという。

「これは母がよく作ってくれた私の故郷、北海道の郷土料理なんです。私は子どもの頃から大好きで、これを食べると北海道にいた頃を思い出します」

 幸子さんの出身地は、十勝平野にある士幌(しほろ)町。農場を営む両親の元、9人きょうだいの8番目に生まれた。子どもの頃から活発でスポーツに打ち込んだが、地元の農協で働いていた19歳の時、股関節に異変が起きた。

 盆踊りの練習中、右脚の付け根に、立っていられないほどの激痛を感じた。整形外科で診てもらうと、股関節亜脱臼と診断され、手術を受けた。

「5年間にわたって5回の手術を受けました。入退院とリハビリを繰り返しながら、普通に歩けるようになるのだろうかと不安な気持ちが続きましたが、その頃、交際していた主人が宮崎から手紙で励まし続けてくれて、勇気をもらいました」

嫁ぎ先でうつ状態になってしまい

 宮崎県出身の國臣さんは、通っていた農業高校の実習のため、幸子さんの親が営む農場で20日間過ごしたことがあった。その数年後、國臣さんが農場へ遊びに来たことがきっかけで、幸子さんとの文通が始まり、やがて國臣さんから結婚の申し込みがあった。幸子さんは5回目の手術を終えた24歳の時に結婚し、北海道を離れて宮崎県高鍋町の國臣さんの実家で暮らすことになった。

「人を心で裁くのではなく、良いところを見ることの大切さを知って、精神的に楽になりました」

「人を心で裁くのではなく、良いところを見ることの大切さを知って、精神的に楽になりました」

 宮崎では夏の暑さや強い日差しに慣れるまで何年もかかり、嫁ぎ先や地域の人との関係がうまく築けないことにも悩んだ。

「大らかに育った私は、気配りが行き届かず、義母から注意を受けてばかりいました。結婚した翌年に長男が生まれましたが、周辺はどこも農家で忙しく、乳母車を押していると遊んでいるように思われて外出が辛くなり、うつ状態になってしまったんです」

 30代の一時期、買い物や通院に不便だった國臣さんの実家を離れ、高鍋町の中心部に移り住んだことがあった。ある日、2軒隣の婦人が、「良い本だから読んでみて」と言って、『女の淨土』(生長の家創始者・谷口雅春著、日本教文社刊)という本を手渡してくれた。

「この本には、子どもは親の心の現れであることや、自分が変われば周囲が変わることなどが書かれていて、夢中になって読みました。自分の不幸を人のせいにしていましたが、人を裁く心では幸福になれず、許すことが大事だという言葉が印象に残りました」

自宅の全焼と股関節の手術

 40歳を前にして、持病のある義父母の世話をするため、再び國臣さんの実家に戻って同居を始めた。そんな矢先、近所の婦人から誌友会(*1)に誘われ、参加するようになった。

「『女の淨土』を読んでからは、人から厳しく言われて落ち込むことがあっても、その言葉に長くとらわれることはなくなっていきました。さらに、誌友会に通うようになってから、『人間は皆、神の子』『すべての生命は自分と一体である』という教えを学んでいると、より信念が強くなったと思います。精神的にも楽になり、私にとって誌友会は、明るい気持ちを取り戻すことができる場所なんですね」

庭の畑でネギを収穫。「家の野菜は無農薬だから、安心して食べられます」

庭の畑でネギを収穫。「家の野菜は無農薬だから、安心して食べられます」

 造園会社に勤務する國臣さんのために、幸子さんは苗木作りを手伝ってきたが、重い物を持つ作業が股関節の負担になり、痛みを感じることがあった。50代のある日、作業を終えて帰宅したところ、脚が思うように動かなくなって玄関で倒れた。以来、杖を突かないと歩けなくなってしまった。

 それから数年が過ぎた12月の深夜、自宅の一角から出火し、気づいた時には手の施しようがなく、家は全焼してしまった。消えたと思ってゴミ袋に入れた薪の灰が原因だった。けが人がなかったのは幸いだったが、自宅を再建するまで、敷地内にある古い離れ家で生活することになった。

 かねてより股関節を人工関節にする手術を受けたいと考えていた幸子さんは、火事の後、高齢の義母をしばらく親戚に預けることになったため、手術を受けるのに良い機会だと思った。リハビリも含めて3カ月ほど家を空けることになるので、札幌の姉を頼ってその地の病院で手術を受けることにした。

「長年の脚の不自由さから解放され、杖なしで歩けるようになりたいという願いから、手術前、『もし脚が元気に動くようになったら、神様の手足となって働きます』と、神様に誓ったんです」

 全身麻酔をして手術が始まったが、サイレンの鳴る音で目が覚めた。なぜか救急車の中にいることに気づき、同乗している看護師に尋ねると、けいれんが起きたので手術を中止し、脳外科のある病院に搬送しているとのことだった。搬送先の病院で脳の検査を受けたが異常はなかった。だが気持ちが萎えてしまい、手術を受けることなく宮崎へ戻ってきた。

必ず幸せに導かれる

 再建した家はバリアフリーの設計にしたので、部屋の移動が楽になって有り難く感じられた。帰省した長女から、「神様がお家をプレゼントしてくれたんだね」と言われたとき、幸子さんはハッとして我が身を省みたのだった。

「火事で何もかも焼けてしまい、なぜ自分がこんな目に遭うのかと落ち込んでいました。けれど長女の言葉を聞き、起きたことを悔やむより、何が起きてもすべて良くなるしかないと考えれば、火事にだって感謝できると思えたんです。神様に全托して、その日を明るく生きていれば、必ず幸せに導かれると、火事が教えてくれた気がします」

 手術が中止になったのも、神様が「手術をしなくてもいい」と言って下さっているのだと、前向きに捉えることにした。杖は必要なままだが、「神様の手足となって働きます」と誓った通り、白鳩会(*2)の活動に積極的に参加するようになった。

「活動に忙しく出歩いていると、股関節のことを忘れてしまい、気がつけば痛みもほとんどなくなりました。杖が必要でも歩けるだけ有り難いと思えるから、今では人工関節にしなくても良かったと思っているくらいです」

 幸子さん宅には、4人の子どもから送られてきた家族写真が部屋に飾られている。7年前、フィンランドで暮らす三女の出産後の世話をするため、単身で現地に渡って1カ月間滞在した。その行動力に感心すると、幸子さんは、観光地も巡って楽しんできたことをアルバムを手に話してくれた。

「年を取るのは仕方がないけれど、色んなことを見たり、やってみたいという気持ちはまだ衰えていないし、何をするにも、脚が悪いということで躊躇することはないですね」

 悪いことに目を向けて思い悩まず、毎日楽しいことを考えて生きていきたいと語るその言葉に、逆境すら楽しみに変えてしまうような心のゆとりを感じた。

*1 教えを学ぶつどい
*2 生長の家の女性の組織