金沢 健二さん、貴子さん(かなざわ けんじ・たかこ) 愛知県犬山市・31歳、29歳・団体職員 取材●長谷部匡彦(本誌)撮影●永谷正樹

金沢 健二さん、貴子さん(かなざわ けんじ・たかこ)
愛知県犬山市・31歳、29歳・団体職員
取材●長谷部匡彦(本誌)撮影●永谷正樹

 結婚前、金沢健二さんは名古屋に、貴子さんは東京に住んでいた。健二さんが、貴子さんのフェイスブックにメッセージを送ったのがきっかけで交流が始まり、その後、友人を交えて東京で会い、交際へと進んだ。遠く離れていても、恋を叶(かな)えて、幸せな結婚に至った理由を二人に聞いた。

──お二人が出会う前は、どんな毎日でしたか?

健二 私が自動車部品製造工場から生長の家愛知県教化部(*1)へ転職したのは、平成23年の4月でした。生長の家の信徒さんと接するのが仕事の中心で、出会いの機会が、その範囲に限定された感じがしていましたね。

貴子 私は当時、東京・原宿にあった生長の家国際本部(*2)で職員として働いていました。生長の家で「魂の半身は必ずいる」と教えられていたんですが、残業の日々が続き、休日も誌友会(*3)に参加したりして、気づいたら一日が終わってしまっているという感じで、「いつ魂の半身に出会えるのかな~」って思っていました。

 でも、素敵な恋愛はしたくて、生長の家の『日時計日記』(生長の家白鳩会総裁・谷口純子監修、生長の家刊)に「魂の半身に出会えました。ありがとうございます」と書いていました。

健二 教化部職員になったときに、先輩から「聖使命(*4)会員に『魂の半身さん』として入会させるといいよ」と言われて、なにか変化が欲しかったので入会手続きをしました。

貴子 私も職場の先輩から「『魂の半身さん』を聖使命会員に入れてる?」と言われて素直に入れました。これはあとで分かったんですけど、二人とも平成23年の4月に入れていたと知って、驚きました。

フェイスブックがはじめての出会い

──名古屋と東京と離れて住んでいて、どのように知り合ったのですか?

hidokei89_rupo_3健二 ちょうど私が教化部に勤め始めた頃に、『日時計24』が創刊されて、貴子さんの「雲の上はいつも青空」というマンガの連載がスタートしたんです。絵のタッチが今風で、内容も面白くて、すごいと思ったときに、フェイスブック上で貴子さんの名前を見つけたので、「いつも楽しみに読んでいます」って、感想のメッセージを送ったんです。

──「雲の上はいつも青空」の連載は、一昨年(2015)の9月号で終わりましたけど、読者に人気のページでしたね。

貴子 あの頃は毎日仕事が忙しくて、心に余裕がなくなっていたので、メッセージをもらった時は、本当に嬉(うれ)しかったです。「どんな人なのかな?」って気になって、健二さんのフェイスブックを見たら、友人たちとお酒を飲みながら「イェーイ!」って感じで(笑)、派手な人だなと、最初は印象が良くなかったんです。

 ──第一印象が良くなかったのに、どうしてお付き合いが始まったんですか?

健二 その年の6月に、東京の六本木で、「ONE PIECE展(*5)」が開催されていて、友達と見に行こうってなったんです。せっかく東京に行くなら、マンガつながりで貴子さんに会ってみたいと思い、「友達とONE PIECE展を見に行くので、一緒に行きませんか?」って、フェイスブックのメッセージで貴子さんを誘ったんです。

貴子 フェイスブックの印象から不安もあったんですが(笑)、同じ生長の家の信仰をもっているので、私の友人達も一緒に行くなら、いいかなと思いました。

健二 でも、「ONE PIECE展」の前売券も当日券も完売してしまっていることを、前日に気づいたんですね。だけど、東京行きのチケットも買ってあったので、上野駅で待ち合わせをして上野動物園に行こうということになったんです。

貴子 実際に健二さんに会って話をするうちに、フェイスブックの印象と違って、物腰が柔らかく落ち着いた人柄で、お店のドアを開けてくれたり、荷物を持ってくれたりと、自然体で気遣(きづか)いをしてくれるんですね。とても楽しくて、その時は、また会いたいなって思いました。

──それから、二人の関係はどう発展したんですか?

健二 その後は、メールで「雲の上はいつも青空」を読んだ感想を送っていました。そんな中で、ひょんなことから、貴子さんが名古屋に遊びに来てくれることになったんです。

貴子 今度は二人だけで、名古屋城と名古屋港水族館に遊びに行きました。名古屋城では、「天守閣なのにエレベータがある!」って突っ込みを入れたくなりましたけど(笑)、健二さんは前と変わらず、とても自然体で、私を気遣ってくれていたのが嬉しかったです。

健二 僕も貴子さんの気遣いが、すごく嬉しかったんです。食事のときに料理をとり分けてくれたりして、それまで、そんなことを女性からされたことがなかったので、ドキドキしました。

貴子 二人でいるのがとても楽しくて、健二さんも私に好意を抱いてくれているのを感じたので、私の方から自然に「好きです」という言葉がでました。

健二 「好きです」と言われたときは嬉しくて、「ありがとう。お付き合いをしませんか?」と返事をして、交際が始まったんです。

共感する時間を共有する

──その後、遠距離恋愛はどう乗り越えたんですか?

健二 付き合いはじめてからも、会えるのは3カ月に2回くらいでした。僕が気をつけたのは、妙に不安がらない、勘(かん)ぐらない。相手を束縛せず、負担にならないよう、お互いの生き方を尊重する、ということです。

貴子 私は恋愛をしながらも、生長の家で「執着の愛は、本当の愛ではない」と教えられていたので、愛の本質についてしっかり学ばなければと思いました。そのときに思ったのは、愛というのは、どこまでも相手を信じること、放つこと、相手に依存して、相手から欲しいものが得られないと不満を感じたりすることからは、卒業しようと思ったんです。

──具体的には、なにかされたんでしょうか?

貴子 自分や相手を「神の子」として認め、尊重することが大切だと思い、神想観(*6)の中で、私も健二さんも素晴らしい神の子として拝みました。また一日の生活のなかで、たとえ少しでも静寂(せいじゃく)の時間を持つことや、自分を見つめなおす時間を持つようにしました。

健二 いまは、いつでも手軽にLINEとかでつながることができるんですが、メールではお互いの顔が見えないし、相手に対する配慮がなくなりやすいと感じていました。遠距離だったこともありますが、スマホのテレビ電話機能を使って、その日あった出来事を話すようにしていました。

貴子 それと、テレビ電話で時間を合わせて、早朝から二人で神想観をしていたのが良かったのかも知れません。お互いに仕事に追われ、遠く離れていても、ほとんど毎朝同じ時間に、画面を通してですが、一緒に神想観をして、「善一元の神」と一つになる感覚を共有できたので、安心感がありましたね。「離れている今は、お互いの魂を磨(みが)く時間なんだ」と思えました。

両親に感謝すると恋愛が上手くいく

──交際が順調だった理由はなんでしょうか?

健二 生長の家の「神に感謝しても父母(ちちはは)に感謝し得ない者は神の心にかなわぬ」という教えのとおり、両親との関係が調和していないと、他の人間関係も上手(うま)くいかないですよね。お互いに両親を大切にする気持ちを持っていたから、交際が上手くいったのだと思います。過去にお付き合いした方がいましたが、父親を嫌っていたせいか、二人の関係も上手くいかなくなってしまい、結局別れてしまったことがありました。

──結婚までは、どのようにして進んだんですか?

hidokei89_rupo_2健二 結婚を意識するようになったときに、きちんと墓前(ぼぜん)で先祖供養をしたいと思うようになったんです。僕は日系三世のブラジル人で、4歳の時に両親と一緒に来日し、そのままずっと日本に住んでいます。僕が中学生の時に、祖父がブラジルから日本に一時帰国して、青森にある金沢家のお墓参りをし、その時に撮った写真を祖父からもらっていました。その写真を頼りに、青森にお墓参りに行くことを貴子さんに伝えたら、一緒にお墓を探してくれると言ってくれたんです。

貴子 健二さんとお付き合い出来ていることを、ご先祖様に感謝したいと思ったんです。いま思えば、そのときに私も結婚を意識していたんだと思います。

健二 青森県の車力村(しゃりきむら)(現在は津軽市)にある金沢家のお墓を見つけることができて、お墓とその周辺を掃除し、お花を供(そな)えて線香をたいて、二人で生長の家のお経『甘露の法雨(かんろのほうう)』を読誦(どくじゅ)しました。そして、遠い青森までついてきてくれた貴子さんに、ご先祖様の墓前で「必ず幸せにします。結婚してください」と、プロポーズしました。

貴子 「はい」と答えてプロポーズを受けました。それから、平成26年12月に、友人たちに祝福されて結婚式をあげました。そして、昨年にはが生まれて、今では家族3人になりました。

──どうぞお幸せに。今日はありがとうございました。

*1  生長の家の布教・伝道の拠点
*︎2 現在は山梨県北杜市に移転
*3 生長の家の教えを学ぶ小集会
*︎4 生長の家の運動に賛同して献資をする会
*5 尾田栄一郎作の人気漫画
*6 生長の家独得の座禅的瞑想法