反抗期だった高校1年のときに、バイク事故で大怪我(けが)を負い、両親に対して申し訳ないという強い自責(じせき)の念にかられた。これ以上、両親に心配をかけたくないという思いから、早く社会に出て独り立ちするため、高校を自主退学して石川県金沢市に移り、ラーメン店で働き始めた……

今城裕介(いまき・ゆうすけ)さん 富山県高岡市・34歳・自営業 取材●中村 聖(本誌)撮影●堀 隆弘

今城裕介(いまき・ゆうすけ)さん
富山県高岡市・34歳・自営業
取材●中村 聖(本誌)撮影●堀 隆弘

 暖かい季節には、富山県教化部(*1)までの往復約70キロメートルの道を、穏やかな田園地帯を通り抜けて、自転車で走ることもあるという今城裕介さんは、雄大な立山連峰(れんぽう)を望み、自然にあふれた生まれ故郷がとても好きだと、にこやかに話す。

「16歳のときに家を出て以来、ずっと故郷を離れていましたが、昨年(2017)、17年振りに地元に帰ってきたことで、両親はもちろん、友人たちもとても喜んでくれました。色々ありましたが、今こうして、両親と一緒に、普通に朝ご飯を食べたりできることに、心から幸せを感じています」

正義感のかたまりだった少年時代

 小学生の頃の今城さんは、頑張り屋の優等生で、当時は、児童会会長のほかにもいくつかの役職を兼務(けんむ)し、過労で貧血になったこともあった。

「当時の自分は、正義感のかたまりみたいな感じでしたね。みんなが幸せじゃないと気が済まなくて、いじめにあっている子の家に遊びに行ったり、誰とでも分け隔(へだ)てなく、仲良くするようにしていました」

 ところが、中学校に進学し、1年生ながら生徒会長に立候補するも落選。そのとき初めて、大きな挫折感(ざせつかん)を味わった。

「それまで、やりたいと手を上げて、できないことはないと思っていたので、強いショックを受けました。それをきっかけに、自分の生き方に自信が持てなくなってしまい、本来の自分を見失ってしまったことで、授業にも出なくなり、両親へも反抗するようになってしまったんです」

自分を変えたい一心で、16歳で社会に飛び出す

 その後、高校に進学したものの、学校にも行かず遊び歩き、流されるまま、ただ楽しければいいという思いで過ごしていた。そんなある日、今城さんは乗っていたバイクで転倒事故を起こし、ヘルメットをかぶっていなかったため頭に裂傷(れっしょう)を負ってしまう。幸い命に別状(べつじょう)はなかったが、数日間の入院を余儀(よぎ)なくされた。

「病院に駆(か)けつけてくれた両親の、疲れ切ってやつれた顔を見た瞬間、強い後悔(こうかい)と自責の念に駆(か)られたんです。せっかく生んでもらって、なんて親不孝な生き方をしてるんだろうって。今すぐ自分を変えたい、ずるずると今の生活を続けるのではなく、社会に出て経済的に自立し、親に心配をかけたくないと思ったんです。それで、怪我が治ったあとに、一人暮らしをして働きたいと、両親にお願いしました」

 高校を自主退学し、友人たちにも一切告げることなく、16歳のときに石川県の金沢市で一人暮らしを始め、ラーメン店でアルバイトをしながら、毎日一所懸命に働いた。

「最初、なかなか仕事が決まらなかったんですが、面接で、『君は信用できる。何かあっても、俺が面倒をみてやる』と言って、即採用してくれたラーメン店の社長からは、仕事に対する姿勢など、多くのことを学ばせてもらいました。一人暮らしを気づかって、洗濯機を買ってくれるなど、本当に情(じょう)に厚い方でした」

いつも『甘露の法雨』を車のなかに入れていた

 ラーメン店では仕事に取り組む姿勢(しせい)を評価され、20歳で新店舗の店長に、25歳で統括(とうかつ)マネージャーに抜擢(ばってき)された。

「社長から、『君は僕の誇りです』と言われたときは、本当に嬉しかったですね」

 だが、仕事がさらに忙しくなるなかで、車での移動中、疲れから眠気に襲われ、高速道路などで、何度も自動車事故を起こしてしまう。20代の半ばには、計6台もの車を廃車にしてしまったが、幸いなことに、自分にも相手にも、これまでかすり傷一つなかったという。

両親と自宅で

両親と自宅で

「両親を喜ばせたいという思いで働き始めたのに、いつの間にか、その気持ちや感謝の心を忘れ、働いている自分が偉(えら)いんだと思い上がっていたんです。今にして思えば、自分の中の“神の子”としての本心が、事故を通して、繰り返し目を覚まさせようとしていたんだと思います」

 両親がともに生長の家の教えを信仰する家庭で育ったものの、幼少期から宗教に対して抵抗があり、両親が神想観(しんそうかん)(*2)の時に唱える言葉も苦痛だったという今城さんだが、いつも車のなかには、不思議と『甘露の法雨(かんろのほうう)』(*3)を入れていた。

「小学生の頃、母から言われてランドセルの中に『甘露の法雨』を入れていたんですが、守られているという安心感がありました。その記憶があって、なんとなく車の中にも『甘露の法雨』を入れていたんです」

最高のタイミングで教えに出合えた

 今城さんは、平成29年の1月に、17年間働いたラーメン店を辞め、故郷の高岡市に戻ってきた。「両親のそばにいたい」という思いが強くなったのが理由だと話す。

「17年の間、ほとんど家に帰ることがなく、両親に対して申し訳ないという思いがずっとありました。高齢になってきた両親に、なにかあってもすぐ対応できるように、在宅でできる、インターネットを使った物販の仕事を始めて、今ようやく軌道(きどう)に乗ってきたところです」

 両親とまた一緒に暮らし始めたある日、母親の照子さんから、高岡市内にある生長の家の道場で、谷口輝子(*4)聖姉の29年祭があると聞き、母親が喜んでくれるならという思いで、その準備を手伝った。

「道場に来られた方々が、とてもにこやかで優しくて、菩薩様(ぼさつさま)のように見えましたね(笑)。こんな素敵な場所があるんだと興味を持ち、教化部(*5)などにも顔を出すようになったんです。何度行っても、みなさん、にこにこと朗(ほが)らかに迎えて下さる方ばかりで、心があたたかくなりました」

 改めて生長の家の本や講話などで教えを学んでいくなかで、両親がなぜあれほど真剣に、この教えを学んでいたのか、はじめて理解できたと話す。

「世の中に出て、色々な経験をした今、『人間・神の子』の教えが、すっと自分のなかで腑(ふ)に落ちたんです。それまで自分は、相手の表面しか見ていなかったんですが、教えを通して、人間の本当の姿は、みんな素晴(すば)らしいのだ、ということに気がつくことができました。生長の家を信仰する両親を、今はとても誇らしく思っていますし、両親の元に生まれてくることができて、本当に良かったと思います。自分のことをいつも考えてくれていた両親に、心から感謝するとともに、神様やご先祖様に守られていることを強く感じます」

 両親に、肉なし麻婆豆腐(まあぼうどうふ)などの、ノーミート料理を作ってあげたり、竹で手作りした箸(はし)を、お世話になったラーメン店の社長にプレゼントするなど、充実した日々を送っている。

「両親のもとに戻ってこられた、最高のタイミングで教えに出合えたことに感謝をしています。若い人と話していると、仕事などで悩んでいる人が多いと感じるのですが、そうした若い人たちに、より良い人生を送ってもらえるように、今後は、自分の体験や仕事などを通して、生長の家の教えを伝えていきたいと思っています」

 両親や多くの友人に囲まれた故郷で、今城さんは、いま、新たな人生の一歩を踏み出した。hidokei99_rupo_3

*1 生長の家の布教・伝道の拠点
*2 生長の家独得の座禅的瞑想法
*3 生長の家のお経のひとつ 
*4 生長の家創始者・谷口雅春先生の夫人、昭和63年昇天
*5 生長の家の布教・伝道の拠点