坂口有果(さかぐち・ゆか)さん さいたま市大宮区・31歳・会社員 取材●長谷部匡彦(本誌)撮影●遠藤昭彦

坂口有果(さかぐち・ゆか)さん さいたま市大宮区・31歳・会社員
取材●長谷部匡彦(本誌)撮影●遠藤昭彦

 高校時代から「国際協力活動に携(たずさ)わりたい」という夢を描き、大学では国際関係学を学んだ。社会人になってからも、その夢を温め続け、国際協力に関する一冊の本との出合いをきっかけに、夢への思いがいっきに熱くなり、夏季休暇を利用して、フィリピン・セブ島での5日間の短期ボランティアツアーに参加。その後、会社を退職し、青年海外協力隊の一員として南米パラグアイで2年間活動した……。

 南米パラグアイでの2年間の国際協力活動を終え、今年(2018)1月に帰国した坂口有果さんは、現在、中古自動車や中古自動車部品を扱う専門商社で働いている。

「5月から、南米のチリ北部にある港湾都市イキケに海外勤務となります。JICA(ジャイカ)(独立行政法人国際協力機構)の青年海外協力隊員として2年間、パラグアイで活動し、日本に帰ってきたばかりですが、これからも海外での実務経験を積み、国際協力の仕事に携(たずさ)わる道を模索していきます」

 そう話す坂口さんが、パラグアイの空港に降り立ったのは、平成28年1月13日。日本からはアメリカ、ブラジルを経由する約30時間の長旅だった。

 ブラジル、ボリビア、アルゼンチンと3国に囲まれた内陸国パラグアイ。夏にあたる10月から3月までは、日中の気温が40度を超える日もあるが、冬にあたる4月から9月までは、日中の気温が10度〜20度と比較的過ごしやすい。人口は約645万人、公用語はスペイン語と母国語のグアラニー語。主要産業は農業だが、天候に左右されやすく、国民の約40%が、必要最低限の生活水準を維持(いじ)するために必要な収入である「絶対的貧困(ぜったいてきひんこん)ライン」の1日1.9ドル(約200円)以下で生活している。

 坂口さんが派遣(はけん)されたカアグアス県は、パラグアイでは比較的農業が盛んな地域。食べ物には困らないものの、経済的に困窮(こんきゅう)している人も多く、坂口さんの任務は各地域の女性たちを対象にした生活改善のための支援を行うことだった。

パラグアイでの活動と課題

「現地の人たちの協力を仰(あお)ぎ、話をまとめながら活動を行うので、笑顔で明るく交渉する前職の営業の経験が生かせました。現場に行ってわかったんですが、病気になっても病院にかかる医療費(いりょうひ)がなかったり、子どもに十分な教育を受けさせる余裕(よゆう)のない家庭もありましたね」

パラグアイで活動する坂口さん(写真提供:坂口有果さん)

パラグアイで活動する坂口さん(写真提供:坂口有果さん)

 坂口さんは、女性たちに家計簿(かけいぼ)をつける意味や方法、貯蓄(ちょちく)するコツなどを伝える講習を行った。そのなかで、グループ毎に金庫を用意し、預(あず)けた金額をノートに記入してお金を貯(た)めていく方法も提案(ていあん)した。

「コツコツとお金を貯めていくことのメリットを伝えました。途上国といってもスマホを持っている人が多かったのでアプリを使ったり、ノートに家計簿をつける方法などを提案しました。現地の社会人教育団体に用意してもらった金庫で、貯金を始めてくれたグループもあり、将来、その貯金が子どもたちの教育費や、医療費などの急な出費に役立ってくれたらうれしいですね」

 さらに、健康増進のための食生活の改善の提案、心臓疾患(しんぞうしっかん)や脳梗塞(のうこうそく)の原因となる高血圧を予防するための血圧測定、ネット上の動画をつかったスペイン語のラジオ体操の指導、現地の農業技術者と合同による農業指導などを行った。

 そうした生活改善のための支援を行っていくなかで、浮(う)き彫(ぼ)りになってきた問題は、人々が援助(えんじょ)を受けることに慣(な)れすぎているということだった。

「支援プロジェクトがあると、すぐに何かをもらえると考えてしまうのが当たり前になっていると感じました。食生活改善のために家庭菜園の指導に訪れたグループの女性から、『他のグループでは、鶏(にわとり)のひなをもらえたと聞いている。だから、私たちもひなが欲しい』と言われてしまい、驚(おどろ)きました」

 支援物資が無償(むしょう)で供給(きょうきゅう)されるのは当たり前と感じるレベルから、夢を描くことで自(みずか)ら生活を改善していけるという自立した意識へと変わって欲しいと感じたという。

 また、坂口さんにとっての課題もあった。それは生長の家で学んだ、低炭素のライフスタイルの一つである「肉食を減らすこと」の大切さを伝えること。肉食産業は多くの二酸化炭素を排出するため、地球温暖化の大きな要因の一つになっているだけでなく、食用動物飼育のために大量の穀物(こくもつ)が使われ、食糧問題も引き起こしている。

「パラグアイの食事は、必ずと言っていいほどお肉が出てきます。食生活の改善のために、もっと野菜を取り入れることを提案しましたが、本当は肉食が地球環境に悪影響(えいきょう)を与えていることなどを伝えたかったんです。でも、パラグアイの田舎(いなか)の女性が普段使っているのが母国語のグアラニー語だったことや、私のスペイン語の語学力では、うまく伝えることができませんでした」

 今後、語学力を磨(みが)くことは、国際協力活動の中で出来ることの幅を広げることにつながると実感した。

夢を具体的に描く

 坂口さんが「国際協力に携(たずさ)わりたい」と思うようになったのは、高校1年生の時だった。授業の課題の一つとして母親に書いてもらった自分への手紙に、「日本の国のためだけではなく、世界の平和に貢献(こうけん)できる人間になって欲しい」と記されていた。

 さらに、高校2年生の時に参加した生長の家青年会全国大会(*1)では、谷口雅宣・生長の家総裁から、「先進国の経済活動による二酸化炭素などの温室効果ガスの排出(はいしゅつ)によって温暖化が進み、海面が上昇して南太平洋にある島国ツバルでは人が将来住めなくなる」という話を聞いてショックを受けたことも大きかった。

「母からの手紙と、谷口雅宣先生のお話をきっかけに、地球規模の問題に興味を持つようになり、いつしか国際協力に携(たずさ)わる夢を描くようになっていきました」

 坂口さんが、生長の家の教えに触(ふ)れたのは小学3年生の時。当時、母親が購読してくれていた『理想世界ジュニア版』(生長の家の旧月刊誌)を読むようになり、小学6年生のときには小学生練成会(*2)に参加し、そこで教えてもらった言葉が心に残った。

「わたしは神の子、光の子。いつもニコニコ、明るい子。これから毎日、あらゆる点で一層よくなる」

 この言葉を朝起きた時に20回唱えると、充実した一日を過ごすことができたと振り返る。高校を卒業すると、国際関係学が学べる大学に進学し、卒業後は一般企業に就職した。

 社会人として働きながら国際協力活動に携(たずさ)わるという夢を育(はぐく)んでいた坂口さんは、平成26年2月に、通勤途中で立ち寄った書店で、「国境なき医師団」や国際協力機構で活躍(かつやく)してきた山本敏晴(やまもととしはる)氏が、国際協力について紹介した『世界と恋するおしごと』(小学館)を手にした。

「その本には国際協力を仕事にするための具体的な道筋(みちすじ)が、いろいろな方の体験談とともに紹介されていました。それまで漠然(ばくぜん)としていた夢を実現するために、まず、自分は今、何をすべきなのかが明確になったんです。国際協力の仕事をするなら、英語に加えてフランス語、スペイン語などの習得や、海外での実務経験などが求められることが分かり、英語の勉強を始めると共に、海外での実務経験を積むため、青年海外協力隊に応募しようと考え始めました」

 そして、その翌月に青年海外協力隊の説明会に参加したが、すぐに会社を辞める決断はできなかった。そこで、同年8月に夏季休暇を利用し、5日間の海外ボランティアツアーでフィリピンのセブ島に赴(おもむ)いた。それは、貧困層の主婦が、カバンなどの雑貨(ざっか)を作って販売し、副収入を得られるようにするための生活支援事業だった。

「開発途上国への支援活動の現場を知りたいと思ったんです。貧困層の家庭にホームステイすると、水道もなくて、日本と比べられないほど不便(ふべん)な生活でしたが、ホストファミリーとの交流が楽しかったので、苦痛ではありませんでした。ホームステイ先の子どもたちに『幸せ?』って聞いたら、すぐに『幸せ! だって家族がいるから』という答えが帰ってきて、国によって、幸せとは何かということの感じ方が違い、日本のように多くの物に囲まれていても、幸せを感じない場合もあることに気づかされました。この経験から、途上国でも生活していける自信がつき、青年海外協力隊に応募する決心がつきました」

 そして、同年11月には、JICAの青年海外協力隊に応募し、一次試験の筆記試験と、二次試験の面接、健康診断を経(へ)て、翌年の2月に合格した。

「面接の時には、大学時代に国際関係学を学んだことや、大学卒業後、営業の仕事をしていたことを話しました。国際協力活動に直接関係がなくても、社会経験を積んでいたことが評価されたのだと思います」

上:「JICAには、引き続き生活改善支援の後任者を探して欲しいという要望を出しています」/ 下:JICAに提出した報告書の一部

上:「JICAには、引き続き生活改善支援の後任者を探して欲しいという要望を出しています」/ 下:JICAに提出した報告書の一部

 平成27年9月に勤めていた会社を退職し、10月から、長野県駒ヶ根市で行われた、他の合格者らと寝食を共にする2カ月間のJICAの研修に参加した。

 研修では、派遣先の国で身を守るために、同じ時間、同じルートでの活動を避けることや、電灯がない中で懐中(かいちゅう)電灯だけで野外炊飯をする体験、語学研修、さらには、どのようにして日本文化を伝えるかなどについても学んだ。

 坂口さんが研修中に同室だった福島県出身の女性は、東日本大震災で被災(ひさい)した時に、海外の国々から受けた援助(えんじょ)への恩返しをしたいので応募した、と話してくれた。

「今でも福島県は復興の途中で、その方自身も苦労されているはずなのに、自己限定をせずに、周りの環境にも左右されず、世界に貢献していこうとする姿に感動しました。その女性とは派遣先が違っていましたが、一緒に早起きして語学の勉強をしました。夢に向かって頑張れる仲間がいるのは心強かったですね」

夢に向かって一歩一歩前進する

 パラグアイでの2年間の生活を終え、今年(2018)1月に帰国し、5月からは、新たに就職した会社の仕事でチリに旅立つ坂口さんは、現在の心境を話してくれた。

「青年海外協力隊での経験があったからこそ、チリでの海外勤務の仕事につながったのだと思います。すぐに物事を大きく変えることはできないけど、日々の小さな努力の積み重ねが未来を大きく変えることにつながるということを実感しています。海外で実務経験を積みながら、国際協力に関わる道を見つけたいと思っています」

 また、生長の家が提唱(ていしょう)する、地球環境に配慮(はいりょ)した低炭素のライフスタイルを実現するための、肉食を控(ひか)えるノーミートの食事や家庭菜園、自転車の活用などを生活に取り入れていくことは、誰もがすぐに出来る世界平和に貢献(こうけん)する方法だと感じている。

「生長の家で教えてもらった“わたしは神の子、光の子。いつもニコニコ、明るい子。これから毎日、あらゆる点で一層よくなる”という言葉のように、私には、神の子として無限に伸びる力があることを信じて、英語とスペイン語の勉強を続けます。そして、どこの国にいても、生長の家の教えと、低炭素のライフスタイルの大切さを説明できるようになって、誰もが世界平和に貢献できることを伝えたいですね」

*1 生長の家の青年会員と、12歳〜39歳までの未会員などが集い、教えを学ぶ大会
*2 合宿して教えを学び、実践するつどい