A 大統領緊急令を悪用して政敵を退け、全権委任法(授権法)を成立させて憲法を無力化することで、人権保障と権力分立を排除する独裁体制を築きました。

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 前回述べたように、ワイマール憲法下のドイツでは、1930年になると、人権保障や権力分立を停止できる緊急措置権(そちけん)に基づく大統領緊急令が乱発されました。そうした状況のなか、1933年1月、ナチス(*1)の党首ヒトラーが首相に任命されます。すると翌月、国会議事堂が何者かに放火されるという事件が起こりました。これをナチスは、対立する共産党の犯行だと一方的に断定します。そして、大統領を動かし、大統領緊急令を発令させ、言論・報道・集会・結社の自由、通信の秘密を制限し、令状によらなくても政府が逮捕拘束(たいほこうそく)できるようにしたのです。その結果、多数の共産党員などが逮捕拘束(*2)されました。

 共産党議員などが身柄を拘束されて国会に出られないなか、ナチスは翌3月、法案採決が有利になるように議院運営規則を突如(とつじょ)変更し、その日のうちに「全権委任法」(授権法(じゅけんほう))を強行採決させました(*3)。全権委任法とは「国会の立法権を全部政府に委(ゆだ)ねてしまう法律」で、国会とは無関係に政府が好き勝手に法律をつくれる内容でした(*4)。しかも、第2条では「政府の議決した法律は、(中略)憲法に違反することができる(*5)」と定められ、政府に憲法改正の権限を与えるに等しい内容でした(*6)。まさに政府に権力を集中させ、独裁を可能にする法律でした。これにより、ワイマール憲法は完全に無力化したのです。

 その後、ナチスは、全権委任法によって「ナチ法」と呼ばれる法律を次々につくっていきました。そのなかには、「特定遺伝病」やアルコール依存症の患者が子どもをつくれないように強制的に断種(だんしゅ)するための法律や、人権を平気で踏みにじる法律などが含まれていました。こうした法律の施行(しこう)はやがて、“優秀な子孫”を増やし、ドイツ民族を優秀にする「ナチ優生社会」の政策やホロコースト(ユダヤ人の大量虐殺)を生んでいきました(*7)。

 全権委任法は4年間の時限立法(じげんりっぽう)でしたが、結局は更新を繰り返し、ドイツは戦争へと突き進んでいったのです。

*1 アドルフ・ヒトラーを党首としたドイツのファシスト政党。国家社会主義ドイツ労働者党
*2 永井幸寿著『憲法に緊急事態条項は必要か』13ページ、岩波ブックレット刊
*3 長谷部恭男、石田勇治著『ナチスの「手口」と緊急事態条項』66〜67ページ
*4 『憲法に緊急事態条項は必要か』14ページ、岩波ブックレット刊
*5 『ナチスの「手口」と緊急事態条項』67ページ
*6 前掲書、68ページ
*7 前掲書、71〜72ページ