A 「国民主権」は、等しく価値ある個人の自由な意見を政治に集約させるため、「平和主義」は、個人の自由な意思と行動の保障には平和が必要なため、導かれました。

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 前回紹介したように、日本国憲法の基本原理の一つ「基本的人権の尊重」は、立憲主義の「個人の尊重」の考え方から導かれました。これは、「国民主権」と「平和主義」も同じです。

「個人の尊重」の考え方に従えば、人は一人の尊厳ある人間として存在を保障されます。そのため、一人ひとりの政治に対する考え方は、それぞれ等しく同じ価値あるものとして政治に反映されなければなりません。つまり、国家は、個人(国民)の自由な意見を尊重し、それらを集約して政治を行うべきなのです。ここから、国の政治のあり方を決める力と、国の権力を正当づける権威は国民にあるとする「国民主権」の考え方(*1)が導かれました。

 日本国憲法では、前文の第一段落で、「ここに主権が国民に存することを宣言し」「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」と書かれています。成年に達した国民に選挙権が与えられ(第15条)、選挙で選ばれた国民の代表が政治を行えるのは(第43条)、「個人の尊重」から導かれた国民主権の原理があるからなのです。

 一方、「個人の尊重」の考え方に従えば、一人ひとりの国民が自由な意思を持ち、自由に行動するためには、平和な生活を送れることが大前提になります。なぜなら、戦争になった場合、先の大戦で明らかなように、多くの人々が命を落とし、生き延びた人々も生活を破壊され、自由からは程遠い非人間的な状態に陥るからです。

 つまり、戦争は最大の人権侵害なのです。そうした戦争を二度と繰り返さないため、前文には「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」「恒久の平和を念願」すると書かれました。このように、「平和主義」は、「個人の尊重」のために、戦争のない自由な世の中を作ろうという考えから導かれたのです(*2)。

*1 芦部信喜著『憲法 第六版』40〜43ページ、岩波書店刊
*2 伊藤真著『伊藤真の日本一やさしい「憲法」の授業』75ページ、KADOKAWA刊