一枚の絵からは、そこに描かれている形象だけでなく、作者が何を思い、どう考えて生きたのかという、心の軌跡が浮かび上がってくるものです。絵が描かれたいきさつ、それにまつわる作者の人生を紹介していきます。(絵と文 川崎善張)

『満天の花びら』(2016年作。P6号)

『満天の花びら』(2016年作。P6号)

絵と文 川崎善張(かわさき・よしはる) 大分県豊後高田市在住の画家。1957年、大分県生まれ。東京造形大学卒業。白日会会員を経て、現在、生長の家芸術連盟(生芸連)会員。2002年に生光展賞。生長の家地方講師、生長の家相愛会大分教区連合会副会長。

絵と文 川崎善張(かわさき・よしはる)
大分県豊後高田市在住の画家。1957年、大分県生まれ。東京造形大学卒業。白日会会員を経て、現在、生長の家芸術連盟(生芸連)会員。2002年に生光展賞。生長の家地方講師、生長の家相愛会大分教区連合会副会長。

『満天の花びら』は、P6号の小さな作品である。

 2014年に手掛け始めて、完成したのは、2年後の2016年、春も終わりを告げる頃だった。そしてその年、4年ぶりに開催された「第35回生光展(*)」に出品し、「自然の恵み賞」をいただいたことは、まだ記憶に新しい。

 この絵は、車の運転中、フロントガラス越しに見た、春風に舞う桜の花びらからのメッセージを表現したものである。その時、「私を描きたかったのでしょう!」と、桜の花びらから話しかけられた気がしてはっとした。私は以前から、「うっとりする、はかなさにも似た桜の花びらの美しさを描きたい」と思っていたからである。

 しかし、いざ描き始めてみると、「桜の花が美しいのは、はかないからではなく、一度、花を散らせても、春がくればまた花を咲かせる、力強く生長する、桜の命の営みが美しいのだ」と感じるようになった。

『満天の花びら』は、2014年に描き始めたものの、いったん筆を休めた。その理由は、制作を始めた頃の「はかなき美しさ」から、「生長するいのちの美しさ」へとイメージが一変したからだった。桜が、命を営むために花びらを枝から放つように、私は、この絵を「私の心の枝」から放ち、時の到来にゆだねることにしたのである。

 その時が、半ば強引(ごういん)にやってきたのは、2年後の2016年の春のこと。

 前述の生光展への出品を決めていた私は、その頃、別の絵の制作に取り組んでいた。しかし、作品搬入(はんにゅう)期日の2週間前になって、この絵が、規定の号数より大きいことに気づいた。

「今から新作を描いたのでは間に合わない」──愕然(がくぜん)としたまさに“その時”、天啓(てんけい)のようにひらめいたのが、「『満天の花びら』を完成させる時がきた」ということだった。

 それから搬入期日までの短期間、「生長するいのちの美しさ」をイメージしながら描き、完成したのが『満天の花びら』である。

「窮地(きゅうち)に立たされた時、人間は驚くべき力を発揮できる」という生長の家の教えを実感させられたという意味でも、印象深い絵となった。

*=生長の家芸術家連盟美術展