一枚の絵からは、そこに描かれている形象だけでなく、作者が何を思い、どう考えて生きたのかという、心の軌跡が浮かび上がってくるものです。絵が描かれたいきさつ、それにまつわる作者の人生を紹介していきます。(絵と文 川崎善張)

『虹の華』(2016年作。F15号)

『虹の華』(2016年作。F15号)

絵と文 川崎善張(かわさき・よしはる) 大分県豊後高田市在住の画家。1957年、大分県生まれ。東京造形大学卒業。白日会会員を経て、現在、生長の家芸術連盟(生芸連)会員。2002年に生光展賞。生長の家地方講師、生長の家相愛会大分教区連合会副会長。

絵と文 川崎善張(かわさき・よしはる)
大分県豊後高田市在住の画家。1957年、大分県生まれ。東京造形大学卒業。白日会会員を経て、現在、生長の家芸術連盟(生芸連)会員。2002年に生光展賞。生長の家地方講師、生長の家相愛会大分教区連合会副会長。

『虹の華』を制作した時は、私の内にある虹のイメージ、心に見えた内側の色と、現象として見えている色をどう表現するかというテーマを持って臨んだ。長崎のハウステンボスでの薔薇(ばら)園の印象を描いた『花たちの声(*1)』と、虹のように清しい女性を描いた『虹の中で(*2)』を合わせ、一枚の絵に表現したかったのである。

 虹はとても不思議で、魅力的な現象だ。喜びと感動と美しさと優しさと安らぎがあり、そこに見えているのに触れることができない。私には、虹が花に姿を変え、美しい花びらとして変化(へんげ)し、地上に降りてきているように思えてならない。

 虹、花、女性からのメッセージは、時間も空間もバラバラの記憶の中にあるのだが、日々の生活のほんの些細(ささい)な出来事を通して、バラバラの記憶が一つに繋(つな)がり、新しいイメージが生まれる。その心の光景をカンバスに写し取るのである。

『虹の華』は、一つの風景になったが、カンバスに表現されなければ、私一人の喜びにしか過ぎない。絵として表現できてこそ、自分以外の人たちと思いを共有し、心が通じ、そこに新たな喜びが生まれ、私自身もより大きく成長していける。

 そのためには、どう描き切るのかが大切になるが、材料や技法は、表現の道具であり、手段にしか過ぎない。とはいえ、これがなくては表現できない。材料、技法の特性や特質を深く知り、的確に使うことで心のイメージを再現できるのである。

 例えば、赤い花を見て、「描きたい」と思った時、心に見えた赤はどんな赤だったろう? 乾いた赤、湿った赤、透き通る赤? と考えて見る。その時の心の状態によって、無限に違って見える赤をカンバスに表現できた時、最高の喜びを実感することができる。イメージと材料と技法が一つに重なり合った時、心の色(命)が表現される。

 イメージと材料と技法の、どれか一つが多くても少なくてもいけない。その時の自分の技量で、この三つを一つにできた時、新しい自分と新しい光景が見えて、作品も自分も成長できるのだと思う。そんな絵からは、上手、下手ではない生き生きとした魅力が感じられるものである。

*1=本誌No.88(7月号) *2=本誌No.89(8月号)