櫂 未知子(かい・みちこ)さん│俳人、本誌「俳壇」選者 聞き手 小林茂之さん(本誌「俳壇」の常連投稿者。埼玉県在住の生長の家地方講師) 写真/堀 隆弘 「俳句を始めると、今まで見過ごしていたものに目がいくようになり、世界が輝いて見えます」と、俳句の魅力について語る櫂さん(東京・港区赤坂の「生長の家赤坂“いのちの樹林”」にて)

櫂 未知子(かい・みちこ)さん│俳人、本誌「俳壇」選者
聞き手 小林茂之さん(本誌「俳壇」の常連投稿者。埼玉県在住の生長の家地方講師)
写真/堀 隆弘
「俳句を始めると、今まで見過ごしていたものに目がいくようになり、世界が輝いて見えます」と、俳句の魅力について語る櫂さん(東京・港区赤坂の「生長の家赤坂“いのちの樹林”」にて)

数百万人とも言われる日本の俳句人口──。十七文字で世界を表現する俳句の魅力とは何か、どうすれば、味わいのある俳句が作れるのかなどについて、NHK Eテレ「NHK俳句」の選者であり、本誌「俳壇」選者を務める櫂未知子さんに伺った。

いつでも、どこででもできる手軽さが俳句の魅力

──俳句の魅力は、どんなところにあるのでしょうか。

 いつでもどこででも、鉛筆一本、紙一枚あれば作れるという手軽さが魅力の一つでしょう。それから俳句には「季語」があって、否応なく季節と向き合い、「自然に生かされている」という実感を味わえるのも魅力だと思いますね。アリバイ(現場不在証明)という言葉がありますが、それとは逆に、「私はそこに確かにいましたよ」という“現場存在証明”をするのが季語なんです。季語を通して、自分が生きていた証しが表現できるわけです。

──私も、鉛筆とメモ用紙があればできるということで俳句を始めましたので、俳句の手軽さについてはよく分かります。

付箋紙がたくさん付いた櫂さんの歳時記

付箋紙がたくさん付いた櫂さんの歳時記

 それに、俳句をやっていると退屈しなくなります。地方に行き、乗換駅のプラットホームで、ぽつんと電車を待っている時も句ができますし、電車に乗り、車窓から風景を見ても一句作れます。暑いことも寒いことも、そこに何もないことさえも句にできるわけで、そういう意味では、俳句を始めると、それまで見過ごしていたものに目が向くようになり、「この世に無駄なものは何一つない」ということが分かるようになりますね。

俳句は今がすべての世界

──俳句と短歌との違いは、どんなところにありますか。

 短歌は、俳句より長いですから、何をして、どうやって動いてという一場面を、一定の時間をかけて撮るビデオカメラに似ています。それに比べて俳句は、スチールカメラのように、ある場面の一瞬をパシャと撮り、次にまた違う場面の一瞬を撮る。その前後は関係ないんです。今、満開の桜が咲いていたなら、それを詠めばいいのであって、蕾だった頃、これから散ることなどを考える必要はないんです。季語というのは、それぞれのピークを表すものですから、俳句は、今がすべての世界なんです。

──なるほどよく分かりました。

 それに、短歌には「われ」とか「わが」とか、「私」という言葉が入りますが、俳句では基本的に、そうした言葉は入れません。季語に思いを託していますから、私が作ったのではなくて、天から授かる、賜るという言い方をするんですね。季語はもともと皆の共有財産ですから、それを借りて俳句を作るわけで、「天から降ってきた」「天から授かる、賜る」という言い方になるのだと思います。

十七音に込められた俳句の奥深さ

──俳句は十七音で表現するわけですが、そこに大変な奥深さがあります。そのことについて、例を挙げて説明していただけますか。

 私の好きな久保田万太郎(1889-1963)という人に、「湯豆腐やいのちのはてのうすあかり」という句があります。寒い冬に体を温めてくれる「湯豆腐」というごく日常的な季語と「いのち」という言葉が、これほどうまくマッチしている句はなかなかないと思います。文化勲章まで受けた人ですが、最初の奥さんが自殺し、一緒になるはずの女性は急死、息子にも先立たれるという不幸な晩年を過ごしました。しかも、この句を作って一カ月ほど後に、梅原龍三郎の家で会食している時、赤貝を喉に詰まらせて亡くなったんです。句に作者の人生を重ね合わせるのはあまりよくないとは思いますが、この作品の場合、どうしても考えてしまいます。その人生を思うと、この句が一層よく見えてくるんですね。

──もう一つありますか。

 「水枕ガバリと寒い海がある」。これは、西東三鬼(さいとうさんき、1900-1962)という俳人の句です。熱にうなされ、水枕をしている時、頭の向きを変えると、ガバッと音がしますが、それを「寒い海がある」と詠んだんですね。こうはっきり言い切ったところが面白いんです。ある状況だったから、こういう心境を詠んだのだなどと説明してしまうとつまらない。この句には、自分が思ったことを理屈抜きで断定し、後は読む人が判断してくれという潔さがあります。

季語に見る日本人の感性の豊かさ

──俳句を始めて驚いたのは、季語の多彩さです。中でも素晴らしいと思った言葉の一つに、「御降(おさがり)」という季語があります。これについて教えてください。

 これは、三ヶ日(さんがにち)あたりに雪や雨が降ることを指す新年の季語です。私も最初、「おさがり」と読むことを知った時、姉からよく服などの「お下がり」をもらっていたことを思い出したのですが(笑)、神様からもらった、天から授かったという意味であることを知って、とても優しい、いい言葉だなと思いました。「御降」は一種の「忌み言葉」で、新春に雪や雨が降って縁起が悪く感じることを避けるための言葉なんですね。新年に初めて涙を流すことを「米こぼす」と言いますが、これなども、新年に泣いて涙を流すなんて縁起が悪いので、こういう優しい言い方に変えたんだと思います。多彩な季語は、日本人の感性の豊かさがなせる技でしょうね。

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──季語を通して、季節との一体感を味わうこともありますね。

 季語に引っ張られるということがあります。例えば「夜の秋」というのは、秋ではなくて夏の季語で、昼間はまだ暑いのに、夜になると、かすかに秋の気配を感じるという意味なんです。春の季語である「立春」もそうです。一番寒い時なのに、どうして春なのかと思うんですが、感覚を研ぎ澄ますと、気温は低いけれども、光が微妙に変わって、確かに春に向かっている兆しが感じられる。俳句を作るようになって、季語を通して「もっと自然に目を開き、耳を澄ませなさい」と教えられている気がします。

初級者へのアドバイス「ともかく多く句を作る」

──初級者が上達するためのアドバイスをいただけますか。

 ともかくたくさん句を作るということです。まずは数を作りませんと。また、ある程度うまく作れるようになったら、自分がどの程度なのかを知るためにも、どんどん句会に参加したほうがいいんです。それから、句を作って新聞や雑誌の俳句欄に投稿する。そうやって数を作るうちに、俳句を詠む感覚が身につくんですね。

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──歳時記は、どんなものを選んだらいいんでしょうか。

 これがベストというものはありません。季節毎に分かれていたり、季語の成り立ちについて詳しく書かれているものがあったり、カラー写真が豊富だったりと、いろんな歳時記がありますから、用途に応じて買うのがいいと思います。一つ注意するとしたら、歳時記に載っている例句の質が悪いものは避けるということです。と言っても、初めのうちは例句がいいかどうかも分からないと思うので、まず一冊買ってみるのがいいですね。強いてあげると、『合本俳句歳時記 第四版』(角川書店)あたりがいいかもしれません。

──この人の句だけは読んでおいたほうがいいという、著名な俳人はいますか。

 いきなり松尾芭蕉とかにはいかないで、高浜虚子(1874-1959)の『虚子五句集上・下』(岩波文庫)などを読むのがいいと思います。「ああ、俳人ってこういうものなんだ」ということが分かりますし、歌人との違いもよく分かります。もう一人は、先ほどの久保田万太郎をお薦めします。

上級者へのアドバイス「言葉を見つける努力をする」

──長年、俳句をやっている上級者向けに助言がありましたら……。

 長くやっていると、どうしても使う好きな言葉が決まってしまい、マンネリ化しがちです。そうしたことを防ぐために、私は自分が好きな詩とか、小説などから気になる言葉を拾い、「いつかこの言葉を使おう」と付箋(ふせん)に書き出しています。それで付箋の山になってしまうわけですが(笑)、皆さんにも「いい言葉、気になった言葉、響きのいい言葉、一度使いたいななどと思った言葉をメモすること」をお勧めしたいです。自分の貧しいボキャブラリーだけで俳句を作ろうとするから、いつも同じ言葉遣いになってマンネリ化してしまう。季語は、歳時記を見ればいくらでも出てきますが、言葉はそうはいきませんから、自分が使いたい言葉のリストを作ることです。自分が惹かれる表現を見つける努力をすることから、いい句が生まれるんですね。

──ご著書に、「俳句は物を中心に考える文芸だということが分かっていないと必ず行き詰まる」とありましたが、物を中心に考える文芸とは、どういう意味でしょうか。

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 分かりやすい話をしましょう。例えば、恋人と別れてしまったとします。すると「彼と別れてから私の時は止まってしまっている」なんてよく言います。短歌は、こういう抽象的な表現でいいんですが、俳句の場合は、「時が止まる」ではなく、例えば時計という「物」で示し、「行く夏や止まったままの腕時計」などとするのがいいんです。「止まったままの腕時計」という「物」で、恋愛が終わった、あるいは辛いことがあったことを暗示する。俳句では「時」ではなく、あくまで「物」である「時計」に心を託す。このことを忘れないでもらいたいと思います。

諦めずにどんどん投稿してください

──生長の家との縁も深いと聞いていますが……。

 私の大伯父、つまり祖父の兄が生長の家信徒でしたので、その影響で父も父の姉も、そして母も信徒になりました。ですから私ども三姉妹は、赤ん坊の頃からの信徒です。その大伯父のことを、みんなが「実相のおじさん」と呼んでいて(笑)、小さい時にはその理由が分からなかったんですが、大伯父はとても温和で、いい人だったからそう言われていたんだろうなと、今になって思いますね。私が赤ん坊の頃、生長の家小樽教化部に谷口雅春先生がいらしたことがあるそうです。先生に頭をなでてもらいたくて、多くの人が赤ちゃんを差し出したのに、先生はなぜか私の頭だけをなでて、「かわいいね」とおっしゃってくださったそうで、母から「それをすごく自慢に思った」と聞かされました(笑)。

──最後に、本誌の「俳壇」に投稿してくださっている人へのメッセージをお願いします。

 初めて投稿したのに採用されなかったという方が多いと思います。諦めずにどんどん送っていただきたいと思います。投句が多ければ多いほど選者としては嬉しいです。

──本日は、大変勉強になるお話をありがとうございました。

インタビュアーを務めた小林さんと

インタビュアーを務めた小林さんと