「地下資源を使う時代から地上資源を有効活用する時代へ──それが21世紀のあり方だと思っています」と語る中島さん 中島浩一郎さん│銘建工業株式会社代表取締役社長 聞き手:川﨑博文さん(生長の家国際本部環境共生部課長補佐、生長の家本部講師補) 写真/中橋博文 中島浩一郎さんのプロフィール 1952年、岡山県生まれ。横浜市立大学卒業。1976年、銘建工業株式会社に入社。2004年から現職。集成材国内トップシェア企業に育てる。2004年から木質ペレットの生産も手がけ、国内生産約12万トンの6分の1を生産し、トップシェアを誇る。2010年から新素材のCLT(直交集成板)を開発し、中高層建築材としての普及に努める。2013年、真庭バイオマス発電株式会社代表取締役就任。その活躍ぶりは、『里山資本主義――日本経済は「安心の原理」で動く』(角川書店)で詳しく紹介されている。

「地下資源を使う時代から地上資源を有効活用する時代へ──それが21世紀のあり方だと思っています」と語る中島さん
中島浩一郎さん│銘建工業株式会社代表取締役社長
聞き手:川﨑博文さん(生長の家国際本部環境共生部課長補佐、生長の家本部講師補)
写真/中橋博文
中島浩一郎さんのプロフィール
1952年、岡山県生まれ。横浜市立大学卒業。1976年、銘建工業株式会社に入社。2004年から現職。集成材国内トップシェア企業に育てる。2004年から木質ペレットの生産も手がけ、国内生産約12万トンの6分の1を生産し、トップシェアを誇る。2010年から新素材のCLT(直交集成板)を開発し、中高層建築材としての普及に努める。2013年、真庭バイオマス発電株式会社代表取締役就任。その活躍ぶりは、『里山資本主義――日本経済は「安心の原理」で動く』(角川書店)で詳しく紹介されている。

 1989年の1万7,000から右肩下がりを続け、2009年には7,000を下回った日本の製材所。斜陽と言われる木材産業界にあって、「発想を180度転換すれば、斜陽産業も世界最先端の企業に生まれ変われる」と語る人がいる。木質バイオマス発電を導入することで地域に経済効果をもたらし、グローバル化の中で取り残されていたふるさとを再生させた、銘建工業株式会社(岡山県真庭市)代表取締役社長、中島浩一郎さんがその人。『里山資本主義』にも登場し、内外の注目を集めている中島さんに、ふるさと再生、地域活性化の鍵などについて聞いた。

「里山資本主義」ネーミングの由来

──『里山資本主義』という本が世に出て以来、「里山資本主義」という言葉をよく聞くようになりました。まず、この名称の由来について教えていただけますか。

中島 同書の制作にあたっては、著者の藻谷浩介(もたにこうすけ)さんとNHK広島取材班(日本放送協会広島放送局)がタッグを組み、1年半にわたって取材してくれたわけですが、私どもがつけたのではなく、藻谷浩介さんの提唱で「里山資本主義」という言葉になったんです。普通は、資本主義と里山という言葉を結びつけることはあまりないと思うんですが、一見奇抜なタイトルに惹(ひ)かれてこの本を買った人も多いと聞いていますので、その意味ではなかなかのネーミングだったと思います。

 現在は、真庭市でも当たり前のようにこの言葉が使われており、エネルギーや資源をどんどん使って、豊かさや快適さを求めてきた20世紀から、発想の転換を求められているのが21世紀であるということを象徴している言葉、と言ってもいいかと思います。

経済再生、地域復活の第一歩自社内の木質バイオマス発電所

──御社の取り組みは、前掲書の中で「世界経済の最先端、中国山地──原価ゼロ円からの経済再生、地域復活」として紹介されていますが、その第一歩となったのはどんなことだったのでしょうか。

中島 1997年、銘建工業の自社内に木質バイオマス発電所を作ったことですね。その頃は、日本の木材産業は低迷を続けていて、真庭市にある大小合わせて30ほどの製材業者は、どの業者も数十年来、出口の見えない厳しい経営を続けていたんです。銘建工業も同様の状況で、「このまま建築材の販売を続けていたのでは、じり貧になるだけ」と思っていた1993年、当時、20代から40代の真庭の若手経営者が集まり、私が塾長になって、「21世紀の真庭塾」という勉強会を発足させました。

バイオマス発電所だけでは使い切れない木くずを使い、ペレットを製造

バイオマス発電所だけでは使い切れない木くずを使い、ペレットを製造

「真庭にはふんだんに木材があるのに、それがなぜ地域の豊かさにつながっていないのか」という問いかけから始まり、「縄文(じょうもん)時代から脈々と続いてきた豊かな自然を背景とする暮らしを未来へつなげていく」という大きな目標を掲げて、勉強会を重ねました。そこで目をつけたのが、製材の過程で出る樹皮、木片、かんなくずなどの木くずを利用することだったのです。

「木くずは廃棄物でも副産物でもなく、全部価値あるもの。それらを丸ごと使わないと、この地域は生き残れない」という結論に達して、セメント会社がセメントに木のチップを混ぜて売り出したり、木材からバイオエタノールを作り出す実験施設を立ち上げるなど、それまで考えもつかなかった木くずの利用法が見つかるようになりました。私もその一環として、木くずを利用した木質バイオマス発電所を造り、自社で使う電気を賄(まかな)おうということになったんです。

──当時、木質バイオマス発電所を作るというのは、かなり先駆的な試みだったと思います。周囲の反応はいかがでしたか。

中島 発電所を作るには10億円かかるため、会社としてはかなり大きな投資でしたし、当時は、行政の補助金などもありませんでしたから、銀行の融資を受けるにあたってもいろいろ大変でした。銀行の人から「発電所を作って、どれぐらいの利益を見込んでいるんですか?」と聞かれたので、「まあ、3,000万ぐらいはなんとかしたいと考えているんですが」と言ったら、「月にですか?」と言うので、「いや、年間にです」と答えたら、「10億円投資して、年間3,000万じゃ話になりませんよ」とあきれられましてね(笑)。その頃は、設備投資といえば事業拡大、生産規模を上げるための設備とか、加工速度を上げるための設備とかに振り向けるのが常識でしたから、「投資先はほかにいろいろあるでしょう。エコ発電なんてものは、最優先ではないですよ」などという言い方をされたものです。

 それで、融資の話も暗礁(あんしょう)に乗り上げかかったんですが、原価ゼロの木くずを使ったバイオマス発電によってエネルギーの自活ができ、いずれ地域の経済再生も見込めるという社会的意義を説いて、ようやく融資が認められたんです。もっとも、今も付き合いがある某会社の人は、銀行のお偉いさんに呼ばれ、「あの会社(銘建工業)は、バイオマス発電なんてバカなことをやるからじきつぶれる。付き合いを縮小したほうがいい」と言われたそうですが……(笑)。

24時間フル稼働で大きな利益を生み出す

──思い切って、木質バイオマス発電所を造った結果はどうだったのでしょう?

中島 発電所は24時間フル稼働で、その仕事量、出力は1時間2,000キロワットです。一般家庭3,000世帯分の電気を発電できるようになり、自社工場で使う電気のほぼ100パーセントを賄えるようになりました。それだけで年間1億円以上の電気代を削減することができました。1時間に2,000キロワットの出力というのは、100万キロワットと言われる原発が1時間ですることを、1カ月かかってやることになるわけですが、大事なのは発電量が大きいか小さいかではなくて、木くずなど目の前にあるものを燃料として有効利用し、発電しているということなんですね。

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──なるほど。売電をするようになったのはいつからですか。

中島 当初は、売電するにも買い取り価格があまりに安かったので、割に合わず見送っていたんです。でも、2003年、電力会社に自然エネルギーの導入を義務づける「電気事業による新エネルギー等の利用に関する特別措置法」ができ、こちらから売り込むのではなく、電力会社から売電を求められるようになり、1キロワットの買い取り価格も9円に上昇したため、売電に乗り出しました。

──それによって、バイオマス発電所を導入したことによる利益は、さらにアップしたでしょうね。

中島 夜間はあまり使用しない電気を電力会社に売ることで、年間5,000万円の収入になりました。先ほど言いましたように年間1億円の電気代削減効果もあり、予想以上に早く設備投資に対する減価償却(しょうきゃく)を終えることができました。そして、銘建工業のさらなる発展の基盤となり、雇用拡大など真庭の経済にも、わずかながら貢献できたのではと思っています。

 発電所は、導入から17年が経ちますが、まだまだ現役です。石油や石炭での発電に比べ、木くずなどの木材はずっと炉(ろ)に優しいので、メンテナンスの業者が驚くほど傷(いた)みが少ないんですね。

──2013年には、「真庭バイオマス発電株式会社」を設立されていますね。

中島 銘建工業をはじめ、地元の林業・製材業者の組合など9団体が共同出資して設立したもので、2015年4月から稼働を開始しました。出力は弊社のバイオマス発電所の5倍、1万キロワットで、真庭市全世帯を賄える計算です。

 私一人で始めた発電事業にこんなに多くの団体が参加してくれたので驚きました。福島第一原発事故後の2011年8月に成立した「再生可能エネルギー特別措置法」によって、電気の買い取り価格が製材の端材(はざい)による発電であれば、1キロワット25.2円、間伐材だと33.6円にまで跳(は)ね上がったことが大きかったと思います。

 総事業費は41億円で、補助金などを除く23億円分は、大手銀行から融資を受けることができました。私が最初にバイオマス発電所を造ろうとした時とは隔世(かくせい)の感がありますが、この事業によって多くの所得と雇用が生まれ、地域の経済も活性化したと思います。

時代の最後尾から時代の最先端へ

──「ふるさと再生」のヒントは、目の前にあったということですね。

中島 そうです。地方の農林水産業の再生策というと、決まって「売れる商品作りをせよ」という話になる。例えば付加価値の高い野菜などを作って売る、あるいは大規模化して、より効率よく大量に生産することを求められるんですが、発想の転換をすべきなんです。

 これまで捨てられていたものを利用することで、マイナスをプラスに変えていく。ひと昔前まで、エネルギーは全部山からきていたわけですから、山の木を丸ごと使ってエネルギーの自立を図るということは、日本人の誰もがやってきたことなんですね。そういう考え方に基づけば、時代の最後尾を走っていると思われていた製材業も持ち直すことができるし、地域の経済も生まれ変わって、時代の最先端に立つことができるんです。

──地域が活性化することで、人もたくさん集まってくるようになったと聞いていますが。

中島 弊社には近年、最初のエントリーで数百人規模の大学生が集まります。今年は最終的に7人の大卒の方の入社ということで落ち着きましたが、こんなに応募者があるなんて、以前には考えられなかったことです。他にも都市で働いていた人が、ここ真庭で仕事をしたいと言ってやって来るケースも増えました。バイオマス発電所などを見学するバイオマスツアーには、国内ばかりでなく、海外からも合わせて年間2,000人以上の人たちが訪れます。

急速な広がりを見せる木くずを利用したペレット燃料

──木くずは、バイオマス発電の他にも利用しているんですか。

中島 弊社の製材工場からは、年間4万トンもの木くずが出ます。これはバイオマス発電だけでは使い切れないので、木くずを円筒状に固めてペレットを作り、1キロ20円ちょっとで販売しています。これを使うには、専用のボイラーやストーブが必要ですが、ペレットを燃料タンクに放り込めば、ひとりで燃焼するという手軽さ、灯油より価格が安いことが功を奏して全国に広がりました。特に真庭市では、一般家庭の暖房はもとより、農業用ハウスのボイラー燃料としても用いられ、急速な広がりを見せています。石油などの化石燃料が中心だった20世紀のエネルギーに取って代わる可能性を秘めた燃料が、このペレットではないかと思います。

──行政からの強力な後押しもあったそうですね。

中島 真庭市には、林業・バイオマス産業課というバイオマス専門の部署があり、われわれ民間の主導で始めた取り組みを支援してくれています。小学校、役場などにペレットボイラーを導入し、2011年に新庁舎が完成した真庭市役所では、暖房だけではなく、冷房にもペレットを使っています。また、値段が高いペレット専用ボイラー、ストーブについては、個人宅用ストーブで最高13万円、農業用ボイラーの場合は最高50万円の補助金が出ます。

上:板の層を各層で互いに直交するように積層接着した厚型パネル、CLT/下:木くずをボイラーで燃焼させる(真庭バイオマス発電所)

上:板の層を各層で互いに直交するように積層接着した厚型パネル、CLT/下:木くずをボイラーで燃焼させる(真庭バイオマス発電所)

CLTによって開ける木造建築の時代

──木のエネルギー利用とは別に、本業の建設業においても何か新しいチャレンジを考えているんですか。

中島 ええ。CLTがそれです。CLTとは、「クロス・ラミネイティド・ティンバー」の略で、直訳すると「直交に重ねて貼った板」という意味です。この作り方をすると、大きいものは幅3メートル、長さが12メートル、厚みが30センチぐらいまでの板ができるんですね。これによって建築材料としての強度が飛躍的に高まり、これまで建築が認められなかった木造の中高層建築も可能になるんです。耐火性にも優れていて、鉄なら600度ぐらいで倒壊しますが、CLTは1,200度でも全然大丈夫です。日本では長年、木造建築が主流だったわけですが、戦後、鉄やコンクリート建築に取って代わられた。でも、このCLTによって、4階建て、5階建て、それ以上のビルまで木材で造ることが可能になるんです。

──それは画期的ですね。そうした動きは既に始まっているんですか。

中島 木材利用先進国であるオーストリアを視察したことがありますが、首都ウィーンなどの都市部では、CLTによる木造高層ビルがあちこちに建ち始めています。こうした動きはヨーロッパ各地にも伝播(でんぱ)し、ロンドンには9階建てのCLTビルも誕生しています。国内だと奈良県に、1階部分は鉄筋コンクリートで、2、3、4、5階がCLTという、障害者の方が利用する木造建築の施設ができています。

銘建工業で製造した集成材を使った木造建築。上は東京芸術大学6ホール(東京・台東区)、下は落合総合センター(真庭市)

銘建工業で製造した集成材を使った木造建築。上は東京芸術大学6ホール(東京・台東区)、下は落合総合センター(真庭市)

──私ども生長の家国際本部“森の中のオフィス”も木造建築ですが、これから世の中は、木造建築に転換する方向に動いていくということでしょうか。

中島 そうですね。私たち建築業者が、「木材でもこんなに強度、耐震性、耐火性に優れた建物ができますよ」ということを提案していけば、必ずそういう時代がくると思っています。

田舎はともかく宝の山である

──最後になりますが、これから「ふるさと再生」に取り組みたいと考えている人たちに、何かアドバイスがあればお願いします。

 

中島 私は、親から「物を大事にしろ」とよく言われました。その意味では、木くずを利用するということも、親からの教えによって生まれたものだと思っています。ですから、目の前にあるものをなんとか利用できないか、活用できないかと考え、発想を転換することで、それまでにはなかった優れた何かを、必ず生み出すことができると思います。田舎は、ともかく宝の山なんですから。

──本日は、貴重なお話をありがとうございました。

里山資本主義
里山での生活を、資本主義社会の欠陥を補うサブシステムとして位置づけ、里山の活用を図るべきであるとする考え方。里山に、自然環境や人間関係などの「金銭換算できない価値」と、多様な資源の活用をはじめとする「金銭換算可能な価値」の両方を見出し、これらの価値を最大限に生かして、資本主義に足りないものを補うことを目指す。地域社会だけでなく、都市生活者からも多くの支持を集めている。『里山資本主義──日本経済は「安心の原理」で動く』の著者、藻谷浩介氏が提唱した。

 

NPO法人「21世紀の真庭塾」
21世紀の真庭塾は、岡山県真庭南部地域(旧勝山町、落合町、久世町 の広域3町)における次世代の企業家、各方面の若手リーダーを中心に、 1993年4月に発足した地元の研究組織。 真庭地域の将来を自ら行動することを前提とした提言を目的とし、これまで自主研究会を通算160回(延べ600時間)開催している。 研究会には、当時の国土庁計画調整局長、法政大学教授をはじめ、日本政策投資銀行、三菱総合研究所、日本総合研究所等の研究者等を迎え、様々な議論を展開してきた。 1997年10月の「環境まちづくりシンポジウム」開催後、メンバー自らがバイオマス発電や木粉コンクリート製品製造などの産業、まちなみ保存やひなまつりなどの地域づくりを通じて行動する集団として現在に至る。  塾長=中島浩一郎

銘建工業株式会社 
代表取締役社長 中島浩一郎 本社 岡山県真庭市勝山1209 従業員数 263人(2015年12月)
会社概要 1923年、中島材木店として創業。岡山県真庭市を拠点とし、国内トップクラスの住宅向け構造用集成材事業を中心に、創業以来のヒノキの製材事業、大規模木造建築事業などを手がける。さらにバイオマス事業として、木材の加工過程で発生する木くずを利用し、発電とペレット製造も行っている。2015年には、それまで自社内で行ってきたことを地域に広める取り組みとして、最大出力1万キロワットの真庭バイオマス発電所を新たに稼働させた。また、新しい木質構造材であるCLTの国内での技術開発、普及にも取り組んでいる。2016年より国内初となるCLT専用の量産工場を稼働させる。