藻谷浩介(もたに・こうすけ)さん(地域エコノミスト、日本総合研究所調査部主席研究員) 聞き手:近藤新三朗さん(生長の家国際本部勤務、生長の家本部講師補) 写真/堀 隆弘 藻谷浩介さんのプロフィール 1964年、山口県生まれ。地域エコノミスト。日本政策投資銀行(旧日本開発銀行)参事役を経て、現在、(株)日本総合研究所調査部主席研究員。東京大学法学部卒業。アメリカ・ニューヨーク市コロンビア大学経営大学院卒業。日本の全市町村をくまなく回って講演活動を行い、地域経済再生のために提言を続けている。著書に『里山資本主義』『デフレの正体』(共に角川Oneテーマ21)、『実測! ニッポンの地域力』(日本経済新聞社)、対談集に『観光立国の正体』『和の国富論』『しなやかな日本列島のつくりかた』(共に新潮社)、『日本の大問題』『高津川で見つけた未来の種』(共に中央公論社)などがある。

藻谷浩介(もたに・こうすけ)さん(地域エコノミスト、日本総合研究所調査部主席研究員)
聞き手:近藤新三朗さん(生長の家国際本部勤務、生長の家本部講師補)
写真/堀 隆弘
藻谷浩介さんのプロフィール
1964年、山口県生まれ。地域エコノミスト。日本政策投資銀行(旧日本開発銀行)参事役を経て、現在、(株)日本総合研究所調査部主席研究員。東京大学法学部卒業。アメリカ・ニューヨーク市コロンビア大学経営大学院卒業。日本の全市町村をくまなく回って講演活動を行い、地域経済再生のために提言を続けている。著書に『里山資本主義』『デフレの正体』(共に角川Oneテーマ21)、『実測! ニッポンの地域力』(日本経済新聞社)、対談集に『観光立国の正体』『和の国富論』『しなやかな日本列島のつくりかた』(共に新潮社)、『日本の大問題』『高津川で見つけた未来の種』(共に中央公論社)などがある。

 日本に残る里山(原生的な自然と都市の間に位置する、人の手の入った森や林のこと)に、自然環境や人間関係などの「金銭に換算できない価値」と、多様な資源の活用をはじめとする「金銭に換算可能な価値」の双方を見出し、これらを最大限に生かして、資本主義に足りないものを補(おぎな)うことを目指す「里山資本主義」が、今、注目を集めている。

『里山資本主義──日本経済は「安心の原理」で動く』(角川Oneテーマ21)を著(あらわ)し、「里山資本主義」を提唱する地域エコノミスト、日本総合研究所調査部主席研究員の藻谷浩介さんに、里山資本主義の本質とは何か、利益優先のマネー資本主義偏重の経済から脱却する道などについて聞いた。

得体の知れないところがいい里山資本主義という言葉

──『里山資本主義』は、里山資本主義というユニークなネーミングも相まってベストセラーになり、大きな反響を呼びました。まず、里山資本主義という名前はどうして生まれたのか、その由来についてお話しいただけますか。

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藻谷 里山資本主義は、私が作った言葉ではありません。『里山資本主義』を出版するにあたって一緒に仕事をしたNHK広島取材班のスタッフが考えたもので、私はそれに乗っただけなんです(笑)。この番組は、「田舎の現実を撮りに行こう」ということで、中国地方を中心に取材に出かけて行ったわけですが、彼らはテレビ番組の制作者ですから、「どういうタイトルをつけたら世の中に訴えられるか」ということを常に考えているんですね。その最初のロケで、広島県の田舎に行った時、ふっと里山資本主義という言葉がスタッフの間から出てきた。だから、里山資本主義という名前が先に生まれて、それから中身ができたんです。

──里山と資本主義という、意外な言葉の組み合わせが、とても新鮮に響きますね。

藻谷 里山と資本主義がくっつき、得体のしれないところが逆にいいんでしょうね。世の中は、パカーンと気持ちよく割れた断面図のようにはなっていません。どこからが里山で、どこからが資本主義か、考えさせられてしまうところが、この言葉の良さだと思っています。

『里山資本主義』が売れたのは、田舎の自然と経済活動、その両方が大事だと気づき、自分なりにどう動けばいいのかということを考え始めた人が増えていたからでしょう。複眼的にものを見て、いくつかの足場を作っておかないとまずい、と気づいた人たちが反応してくれたんじゃないかなと思います。

生きるのに必要なのはお金? それとも水、食料、燃料?

──藻谷さんは前掲書の中で、里山資本主義について、「マネーに依存しないサブシステム」と書かれています。これについて教えていただけますか。

「里山資本主義を実践している人は皆、生き生きしている」と藻谷さん。左は、インタビュアーの近藤さん

「里山資本主義を実践している人は皆、生き生きしている」と藻谷さん。左は、インタビュアーの近藤さん

藻谷 この本を出版したのは、2011年の東日本大震災から2年が過ぎた2013年ですが、その頃日本は、「お金をぐるぐる回せば万事が解決する」という風潮に染(そ)まり始めていました。実はこうした考え方は、自分の尻尾(しっぽ)を噛(か)もうとしてぐるぐる回る犬のように、実際にはやればやるほど体力を失って、自分の首を絞(し)めてしまうことになるんです。そんな中で浮かび上がってきたのが、「われわれが生きていくのに必要なのは、お金だろうか。それとも水と食料と燃料だろうか?」という問いです。

 しかしよく考えれば、生きるのに必要なのは水と食料と燃料であることは一目瞭然(いちもくりょうぜん)で、お金はそれを手に入れるための手段の一つに過ぎない。そして、生きていくために必要な水と食料と燃料を、かなりのところまでお金を払わずに手に入れている生活者は、日本各地の里山に、無数に存在していたことが分かってきた。山の雑木を薪(まき)にし、井戸から水を汲(く)み、田んぼで米を作り、庭で野菜を育てる暮らしを既にしていたんですね。

──東日本大震災の時は、私もまだ東京におりまして、災害が発生した時の都会の脆(もろ)さを痛感しました。

藻谷 お金と引き替えに遠くから水と食料と燃料を送ってきてくれるシステムによって、辛(かろ)うじて成り立っている都会に住んでいた人たちは、このシステムが麻痺(まひ)してしまうと、いくらお金を持っていても、なんの役にも立たないことを思い知ったはずです。

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 その時の生存を脅(おびや)かされる恐怖、貨幣経済が正常に機能することに頼り切っていたことのひ弱さを自覚した人たちは、それを忘れないうちに、お金という手段に頼るのではなく、少なくともバックアップ用として別の手段も確保しておこうという方向に向かったんですね。それが里山資本主義の実践者たちで、彼らは、家庭菜園、井戸、雑木林、石油缶ストーブがあるだけで世界が変わり、お金で結ばれたのではない、日頃の縁と恩でつながった人間関係があるというだけで、いざという時に掛け替えのない助けになることを知ったわけです。

 その意味で、里山資本主義とは、お金の循環がすべてを解決するという前提で構築された「マネー資本主義」の経済システムの横に、お金に依存しないサブシステムを再構築しておこうという考え方なんです。もっと言うと、お金が乏(とぼ)しくなっても水と食料と燃料が手に入る仕組み、ネットワークをあらかじめ用意しておこうというものなんですね。

里山資本主義の実践者は皆、目が輝き、楽しそう

──里山資本主義の実践例を少し紹介していただけますか。

藻谷 その一例が、広島県最北部の町、庄原市(しょうばらし)の和田芳治さんです。庄原市は中国山地にある自然豊かな山里ですが、裏を返せば、人口4万人のうちの40%近くが65歳以上という典型的な過疎高齢化地域です。その総領地区に住む和田さんは、日本人が昔から大切にしてきた里山の暮らしを現代的にアレンジし、真の豊かな暮らしとして広めようとしている人なんです。

inoti91_rupo_5 和田さんは、自宅の裏にある山の木の枝を拾い集めて、エコストーブの燃料として使っています。このストーブは、単なる暖房ではなく煮炊(にた)き用にも使うもので、木の枝が4、5本もあれば、夫婦2人分のご飯が20分ほどで炊けるという優れものです。しかも手作りでき、制作費も5、6千円と安い。

 和田さんの仲間は、これまで捨ててきた身の回りの資源を見直して有効活用しようと、地元で採れた半端(はんぱ)物の野菜を老人福祉施設の食材として提供するという取り組みも行っています。マネー資本主義の中では、市場価値のない半端な農産物は捨てられていたため、福祉施設では、地域外の産地から運ばれてきた食材を買って加工していた。しかし、地元の食材を調達できるようになったことで、輸送費がかからない分安く買え、払った代金は農家の収入となっただけでなく、関係者にやる気が出てきて、地域の人のつながりも強くなり、地域が活性化したんですね。

──『いのちの環』では、昨年(2016)、『里山資本主義』に登場する銘建工業(岡山県真庭市)社長の中島浩一郎さんにインタビューしたんですが(*1)、その中島さんについてもお話しいただけますか。

inoti91_rupo_6藻谷 その活動の概要については、図を見ていただくとして、中島さんは、それまで廃棄物として捨てていた製材の過程で出る樹皮、木片、かんなくずなどの木くずを利用した木質バイオマス発電所を自社内に造り、自社工場で使う電気のほぼ100%を賄(まかな)うようにしたんです。そして2013年には、地元の林業・製材業者などの共同出資で、真庭(まにわ)市全所帯分を賄える1万キロワットを発電する「真庭バイオマス発電株式会社」を設立しました。こうして、捨てていた木くずを利用することで、マイナスをプラスに変え、時代の最後尾にいた真庭の製材業が活気を取り戻し、地域の経済も生まれ変わったんですね。

 和田さんにしても中島さんにしても、里山資本主義を実践している人は、マネー資本主義に血眼(ちまなこ)になっている人より、はるかに目が輝いていて、みんな楽しそうにやっている。これが最大の特徴です。

“一人多役” “一社多役”が人と組織に活気をもたらす

──今のお話を伺い、「里山資本主義」とは、それぞれの“地の利”、特性を生かすことだということが分かりました。藻谷さんは、前掲書の中で、里山資本主義が内包するマネー資本主義へのアンチテーゼとして、❶「貨幣交換できない物々交換」の復権、❷規模の利益への抵抗、❸分業の原理への異議申し立てを上げています。それぞれについて説明していただけますか。

藻谷 ❶は「貨幣を介した等価交換」に対する「貨幣換算できない物々交換」の復権です。特定の人たちの間で、物々交換が重ねられると、そこに「絆(きずな)」「ネットワーク」が生まれ、このネットワークがいざという時に、思わぬ力を発揮したりする。これは金銭に換算できないことなので、いくら交換がなされようと絆が深まろうと、GDP(国内総生産)にはカウントしようがないんですが、その見えない価値は、むしろGDPなんかよりも大きいと思います。

 ❷の「規模の利益への抵抗」ですが、需要を大きくまとめ、一括して大量供給した方がコストが下がり、無駄が減り、経済が拡大するという「規模の利益」の原理が、現代の経済社会を大きくした根本思想でした。しかし、それに対して、先ほど紹介したように、地元で採れた市場には出せないような野菜を福祉施設で消費するという、「規模の利益」からは外(はず)れた営みが地域内の経済循環を拡大し、金銭に換算できない地域内の絆を深めている事実があることに目を向けませんかということです。

 ❸の「分業原理」とは、イギリスの経済学者、デヴィッド・リカード(*2)が発見したセオリーで、個人個人が何でも自前でしている社会よりも、各人ができることの中で、もっとも得意な何か一つに専念し、その成果物を交換する社会の方が、効率的で全体の福利厚生も増すというものです。ところが、里山資本主義の実践者である和田さんなどは、薪(まき)も切れば田畑も耕し、少々の大工仕事も自分でこなし、料理もお手の物、観光業者のようなこともすれば、イベントのプロデューサーもし、講演までするといった具合で、“一人多役”なんですね。中島さんの銘建工業だって、集成材メーカーであるはずが発電業者でもあり、木質ペレットの製造・販売・輸出業者でもあるという“一社多役”が、組織に大きな活力を与えているんです。

里山の麓に吹く里山資本主義の風

──里山資本主義による生き方は、とても魅力的ですが、みんなが都会を飛び出して田舎に移り住むことはできないわけで、そのへんのところをどう考えたらいいのか、教えていただけますか。

藻谷 田舎に住みたいという人はやられたらいいと思うんですが、ほとんどの人はなかなか実行できないかもしれません。でも、オールオアナッシングで考える必要はないんです。里山資本主義は、猛々(たけだけ)しくこうでなければならないと主張するものではないので、里山で暮らしている人はもちろん、里山で暮らしていない人たちにとっても、心の中に居場所を見つけられるものなんです。

藻谷さんは、「人との心の絆、自然とのつながりが大切」と語る

藻谷さんは、「人との心の絆、自然とのつながりが大切」と語る

 都会で暮らしていて、里山や畑などがなくても、ちょっと考え方を変えるだけで新しい世界が開けてきます。例えば、食品や日用雑貨などを購入する際、生産者の顔が見えるもの、あるいはどこか特定の場所で、特定の誰かが地元の資源を生かして作っているものを選んでみる。経営している人の顔が見える店に足を運び、店の人と会話してみる。お金で物を買うという行為に、いい気分や笑顔をプラスしておくと、そこからささやかな絆が生まれたりして、都会にいても里山資本主義に底流している考え方や思いを味わうことができるんですね。

──お話を伺っていると、里山資本主義は、現代に横行(おうこう)するマネー資本主義とは対極にあるものだということが分かります。

藻谷 先ほど、里山資本主義を実践している人は、本当に楽しそうに面白そうにやっているという話をしましたが、なぜ、そうなるのかと言うと、里山資本主義とマネー資本主義の対立軸の奥底には、人というものの根幹に触れる問題があるからなんです。

 マネー資本主義にどっぷり浸(つ)かっている人は、得てして自分の価値は稼(かせ)いだお金の多寡(たか)で決まると思い込み、人の存在までもお金で換算してしまうようになる。しかし、それは違いますよね。お金は、他の何かを買うための手段であって、持ち手の価値を計る物差しではないんです。「何を持っていなくても、何に勝っていなくても、あなたはあなたにしかない価値を持っている」と誰かに認めてもらいたいのが人間なんです。さらに言えば、お金が通用しなくても、お金以外の何かに守られながら、きちんと生きていきたいと考えているのが人間なんですね。

──そうすると、人間が持つべきものは、お金ではなく、里山資本主義を実践している人たちに見られるような“人との絆”ということになりますね。

藻谷 その通りです。人としてのかけがえのなさを本当に認めてくれるのは、私たちから金を受け取った人ではなく、心の絆がつながっている人だけです。そして、それは家族だけではなく、誰とでもつながれるんだということを里山資本主義を実践している皆さんは、実感しているんだと思います。

 また、持つべきものの第二は、“自然とのつながり”ですね。自分の身の回りには、自分を生かしてくれる自然の恵みがあるという、“自然とのつながり”を取り戻すことが大切なんです。その意味で、里山資本主義を実践することは、人類が何万年もかけて培(つちか)ってきた、身の回りの自然を生かす方法を受け継ぐことに他ならないんです。

 里山資本主義は、これまで申し上げてきましたように、マネー資本主義が生んだ歪(ゆが)みを補うサブシステムとして、非常時には、マネー資本主義に代わって表に立つバックアップシステムとして、日本の脆弱性(ぜいじゃくせい)を補完し、人類の生きるべき道を示していくものです。そして、そうした爽(さわや)やかな風は、既に里山の麓に吹きつつあると思っています。

宗教本来の姿に帰り、本筋を行く生長の家

──私ども生長の家では、自然と人間が調和した“新しい文明”の基礎を作りたいと考え、オフィスを東京の渋谷区から山梨県北杜(ほくと)市に移転しました。これは、地球環境問題の解決のためには都会にいてできることは限られているという思いから、自然豊かな地にオフィスを移転して、自然エネルギーで電力消費をまかなうゼロ・エネルギー・ビル(*3)を建設し、自然と人間が調和したライフスタイルのモデルを作りたいと願ってのことです。

 その一環として、地域通貨(ニコ)を導入したり、フェスタ(*4)を開いて地域の皆さまと交流するとともに、私たち職員も薪(まき)ストーブの薪を割ったり、借りた畑や職員寮の菜園で、オーガニック野菜を作ったりして自然に親しみ、里山資本主義を地でいくような生活を送っています。

藻谷 日本の宗教施設というものは、昔はお寺にしろ神社にしろ、みんな薪を割ったり、畑を耕(たがや)して暮らしていたんですね。皆さんこそは、里山の寺社が今でもそうであるように、宗教の本来の姿に帰られたんだなという気がします。清浄(せいじょう)な八ヶ岳の山麓(さんろく)にオフィスを構え、自然と向き合いながら心を磨(みが)いている生長の家さんは、本筋を行っていると思います。

──ありがたいお言葉をいただき、感謝申し上げます。本日はありがとうございました。2017年7月3日、東京・千代田区で収録)

*1=『いのちの環』No.80(平成28年11月号)
*2=自由貿易を擁護する理論を唱えたイギリスの経済学者。各国が比較優位に立つ産品を重点的に輸出する事で経済厚生は高まる、とする「比較生産費説」を主張した。1772~1823
*3=創エネ、省エネの技術により、建物内の年間エネルギー使用量を実質ゼロにすること
*4=恵みに感謝し、低炭素なライフスタイルを実践するイベント。毎年、秋に開かれている