原田住子(はらだ・すみこ)さん│67歳│大分県日田市 「日時計主義の教えのおかげで、小さなことに感謝でき、何があっても大丈夫という心境で、不安なく過ごせるようになりました」と原田さん 取材/磯部和寛 写真/遠藤昭彦

原田住子(はらだ・すみこ)さん│67歳│大分県日田市
「日時計主義の教えのおかげで、小さなことに感謝でき、何があっても大丈夫という心境で、不安なく過ごせるようになりました」と原田さん
取材/磯部和寛 写真/遠藤昭彦

頁の左側に喜びや感動右側に目標や願いを書く

「何を書いていいのかよく分からないまま書き始めたものですから、書けない日があったり、書いても余白(よはく)が目立ったりしていたんですが、それでも続けているうちに、だんだん要領(ようりょう)が分かってきて、毎日続けて書けるようになりました」

 そう言って原田住子さんが見せてくれた『日時計日記』(生長の家白鳩会総裁・谷口純子監修。生長の家刊)には、頁(ページ)の左側にその日感じた喜びや感動、右側には目標や願いが、几帳面(きちょうめん)な字で記されていた。

始めた頃は、空白が目立った『日時計日記』だが、今は、日々の喜び、感動で埋まるようになった

始めた頃は、空白が目立った『日時計日記』だが、今は、日々の喜び、感動で埋まるようになった

「左側には、ご飯が美味(おい)しかったとか、夫が庭に生(な)っているキンカンを採(と)ってくれて嬉(うれ)しかったとか、その日の喜びを、右側には、長男の結婚が成就しましたなどの願いを書いています。書くことで、毎日の生活の中に、ありがたいことやちょっとした感動、喜びがたくさんあることに気づき、幸せな気持ちになります」

変化のない毎日に何か物足りないという思いが湧(わ)く

 3人(一男二女)の子供たちは巣立ち、現在、大工として働く夫の勉(つとむ)さんと暮らしている原田さんは、生長の家を信仰していた両親から教えを伝えられた。子供の頃から生長の家の本や月刊誌を読み、「人間・神の子」の教えを学んで育ったため、「この教えの通りに生きていけば、必ず幸せになれる」と確信していたという。

「結婚してからは、主人を家庭の中心として立ててきました。すると、人から好かれる主人の人柄(ひとがら)も手伝って、途切れることなく大工の仕事が続き、主人を大切にしていれば、主人は周囲の人たちからも認められるんだと実感しました」

 そんな原田さんが、神想観(*1)や聖経(*2)読誦(どくじゅ)を熱心に行うようになったのは、昭和56年、31歳の時。小学生になったばかりの長女が、40分も歩いて通学しなければならなかったため、その途中、交通事故にでも遭(あ)いはしないかと、強い不安を覚えたのがきっかけだった。

「私は、母の兄を事故死、兄を23歳で亡(な)くしています。そのため、家の業(ごう)のようなものを感じて、娘の身にも何か起きるのではと心配でたまらなかったんです。その不安を拭(ぬぐ)うには、生長の家の教えを行(ぎょう)じるしかないと……」

 そんな動機で始めた神想観、聖経読誦だったが、励むうちに心配も和(やわ)らぎ、「娘は完全円満な神の子だから、何の不安もない」と思えるようになった。その頃から、子守りを母親に頼んで、生長の家の講演会や母親教室(*3)に参加し、教えを学ぶようになった原田さんは、自分の子供たちの美点を認め、褒(ほ)めて伸ばす生長の家の教育を実践。昭和60年には、地方講師(*4)にもなった。

「おかげさまで、子供たちはすくすくと育ち、家庭においても大きな問題もなく、日々を送ることができました。今になって考えれば、それが何よりもありがたいことなんだと分かるんですが、その頃は、変化のない毎日に、何か物足りないものを感じていました」

何事もない、取るに足らない一日が実は一番の幸せであること

 そんな毎日を変えてくれたのが、10年前、パートの仕事を辞めて時間ができたため、地方講師の勉強会に参加して誌友会(*5)に出講するようになったことと、『日時計日記』を書き始めたことだった。 

 誌友会に出講して教えを伝える喜びを知った原田さんは、『日時計日記』も書き始めた。書くことで、「おはよう」「行ってらっしゃい」「お帰りなさい」などと夫と交(か)わす会話、一緒に食卓を囲めることなど、何気ない日常の一コマがいかに幸せなことだったかが分かり、喜びが一層深まったという。

共に教えを学ぶ信徒仲間と。左から三坂寿子さん、原田さん、塩井治子さん

共に教えを学ぶ信徒仲間と。左から三坂寿子さん、原田さん、塩井治子さん

「7年前に赴任(ふにん)された渡邊隆(わたなべたかし)・教化部長(*6)の先導で、行事の度に『私は神の子、完全円満。幸福な億万長者』などと唱えるうちに、だんだんそうした気持ちになり、『日時計日記』にも、明るいこと、楽しいことをびっしり書けるようになったんです。すると、ちょっと問題が起きても動揺せず、『決して悪いことは起こらないから大丈夫』と、冷静に受け止められるようになりました」 

夫婦の調和が実現日時計主義の生き方を伝えたい

 もう一つ、大きかったのは勉さんとの夫婦仲がより深まったこと。原田さんは、勉さんから何度か、「お前は、俺のことを本当に好(す)いているのか」と言われたことがあったが、『日時計日記』を書くようになって、その言葉の意味が理解できるようになった。

「主人を第一に立てて生きてきたつもりでしたが、生長の家で教えられたことを型通りにしていただけで、心がこもっていなかったんですね。主人はそれに気づいてあんなことを言ったんだと分かり、それから、『日時計日記』に、『今日は家事を手伝ってくれた』などと主人の良いところ、美点を書き留めるようにしました。続けると、主人への感謝の思いが湧(わ)いて、心から主人を立てることができるようになったんです」

原田さんの今の一番の願いは、光明面を見て生きる、日時計主義の生き方を人に伝えることだという。

「どんなに苦しい時でも、悩んでいる時でも、そこには必ず光があります。そして、光を見続けることで、幸せな人生が実現することを、多くの人に知ってもらいたいですね。この教えを、自分一人のものにしていてはもったいないですから」

*1=生長の家独得の座禅的瞑想法
*2=生長の家のお経の総称
*3=母親のための生長の家の勉強会
*4=生長の家の教えを居住地で伝えるボランティアの講師
*5=生長の家の教えを学ぶ小集会
*6=生長の家の各教区の責任者