阿弥陀如来(あみだにょらい)、薬師如来(やくしにょらい)、弥勒菩薩(みろくぼさつ)、普賢菩薩(ふげんぼさつ)……。信仰の対象として崇められ、人の心を癒やし、魅了してきた仏像。その仏像を彫る人は何を思い、何を伝えんがために仏を彫り出すのか。その“心の軌跡”を紹介していきたい。

昭和60年に制作した、像高6センチの「大日如来座像」

昭和60年に制作した、像高6センチの「大日如来座像」

松村智麿(まつむら・ともまろ) 1963年、大阪府生まれ。大阪府の摂南大学卒業。19歳の時に、京仏師、松久朋琳氏の講演会を聴いたのがきっかけで、仏像彫刻の道へ。以来35年、仏像彫刻に精進し、仏教美術展などに作品を出品してきた。生長の家相愛会兵庫教区連合会事務局長。生長の家地方講師。

松村智麿(まつむら・ともまろ)
1963年、大阪府生まれ。大阪府の摂南大学卒業。19歳の時に、京仏師、松久朋琳氏の講演会を聴いたのがきっかけで、仏像彫刻の道へ。以来35年、仏像彫刻に精進し、仏教美術展などに作品を出品してきた。生長の家相愛会兵庫教区連合会事務局長。生長の家地方講師。

 3月号(2018年)の本欄に掲載した「観音仏頭(かんのんぶっとう)」を制作した時の話である。

 仏頭を彫刻する材料となる紅松(あかまつ)の木を荒彫(あらぼ)り(輪郭取り)する際、思わず鑿(のみ)に力が入ってしまい、約10センチ四方の木の塊(かたまり)を削(けず)り落としてしまったことがあった。幸い、削っても支障(ししょう)のない個所(かしょ)で大過(たいか)なかったが、ひやっとした。

inoti99_hotoke_2 通常、仏像は、彫刻する前と後で大きさが違い、後が3分の1ぐらい小さくなる。ということは、3分の2はおが屑(くず)となってしまうのである。普通なら、削り落とした木の塊も、そのままおが屑の中に紛(まぎ)れ込んでしまっただろうと思う。

 しかし、その時は、削り落とした木の塊の中に、仏がおられるような気がしてならなかった。捨てる気になれず、見ているうちに、とても勿体(もったい)なく思えてきて、「自然が生み出した木は、仏と一体ではないか。これで何か仏が彫れないか」という思いが湧(わ)いてきた。

「この木の塊で何を彫ろうか」と頭を巡(めぐ)らしていると、「わりと四角い形をしているので、立像より座像の方が落ち着きがあって、見好(みよ)いのではないか」と思い、その頃、「ぜひ、一度彫ってみたい」と憧(あこが)れていた「大日如来(だいにちにょらい)」を彫ることにした。

「大日如来」は密教(みっきょう)の本尊(ほんぞん)であり、「宇宙の真理そのものを現す仏」という意味である。本来ならば、仏が身につけている装身具を細(こま)かく表現せねばならないが、身の丈(たけ)わずか10センチにも満たない座像ゆえ、多くの装身具は細か過ぎてとても彫れない。頭、肩、腕、両膝それぞれの位置を決め、寸法(すんぽう)を外(はず)さないよう慎重に彫り進めた。

 彫っている時、師が「小仏(こぼとけ)で難(むずか)しいのは、大きな仏に比べて装身具がほとんど彫られへんことや。その分、全体の輪郭(りんかく)が丸出しになるからパッと見が肝心(かんじん)やで」とよく言っていたことを思い出した。

 小仏を彫る場合は、削りすぎに気をつけなくてはならない。だから、その時も、一刀一刀、祈りを込める思いで彫った。

 いにしえの仏師は「一刀三礼(いっとうさんらい)」、一刀彫るごとに3回礼をして、仏を彫り、参(まい)らせたという。「仏像は祈りの造形」といわれる所以(ゆえん)がここにある。