阿弥陀如来(あみだにょらい)、薬師如来(やくしにょらい)、弥勒菩薩(みろくぼさつ)、普賢菩薩(ふげんぼさつ)……。信仰の対象として崇められ、人の心を癒やし、魅了してきた仏像。その仏像を彫る人は何を思い、何を伝えんがために仏を彫り出すのか。その“心の軌跡”を紹介していきたい。

28年前に修復した弘法大師像(松村さん提供)

28年前に修復した弘法大師像(松村さん提供)

松村智麿(まつむら・ともまろ) 1963年、大阪府生まれ。大阪府の摂南大学卒業。19歳の時に、京仏師、松久朋琳氏の講演会を聴いたのがきっかけで、仏像彫刻の道へ。以来35年、仏像彫刻に精進し、仏教美術展などに作品を出品してきた。生長の家相愛会兵庫教区連合会事務局長。生長の家地方講師。

松村智麿(まつむら・ともまろ)
1963年、大阪府生まれ。大阪府の摂南大学卒業。19歳の時に、京仏師、松久朋琳氏の講演会を聴いたのがきっかけで、仏像彫刻の道へ。以来35年、仏像彫刻に精進し、仏教美術展などに作品を出品してきた。生長の家相愛会兵庫教区連合会事務局員。生長の家地方講師。

 昔、仏像の修復について、一度だけ、師からいろいろと話を聞いたことがあった。その中で、一番印象に残っているのは、「自分で一から彫り参らせた一体の仏像なら修復も可能だが、たとえ一部分でも、他の仏師が彫った仏像を修復するのは難しい。その理由は、彫り方の“くせ”を見抜くことにかなり神経を遣うから」というものだった。

 今回、掲載させていただいた弘法大師(こうぼうだいし)座像は、28年前、仏壇店で働いていた時、店にあった欠損仏に買い手が現れたという話があり、師から聞いた前述の話を思い出しながら修理したものである。

 私が担当したのは、素彫りする両手部分で、小さな手を彫るのだが、右手を胸元で捻り、手のひらを表にする独特の形を彫るのに、少々手こずった。また、両手にはそれぞれ持物が付くが、それは、それぞれが別の職人のもとで制作される。

 戦後、職人が少なくなったため、最近は、一人の仏師の工房で、全てをこなすのが普通になっているが、昭和の初期までは、一体の仏像を制作するのに、6つの工程、つまり6人の職人を介して仕上げるのが当たり前だった。

 その1人目は、彫像にあたり、木の寸法を採る木地師(きじし)、2人目は、木地師が寸法を採ったものに従って彫像する仏師、3人目は、素彫りの仏像に漆を塗る塗師(ぬし)、4人目は、漆を塗った上に金箔を貼る箔押し師、5人目は、貼られた金箔の上から彩色をする彩色師(さいしきし)、6人目は、仏像の宝冠などの装飾を制作する錺金具師(かざりかなぐし)、以上6つの工程を経て、一体の仏像が仕上がるのである。

 この時の弘法大師座像の修理では、2つ目の工程を担当したのだが、途中で話が立ち消えとなり、その後2年を経て、私が弘法大師座像を引き取った。冒頭の師の言葉を思い出しながら、初めて挑んだ仏像の修理を記念すべく、全体を透明のセロファンで巻き、長期間保存してきたのが、写真の弘法大師座像である。

 修理した両手は、当時の木地(きじ)のまま残り、他の職人が制作する予定だった、弘法大師が持つべき独鈷杵(どっこしょ)、数珠(じゅず)もないが、却って思い出深いものがある。

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