青木さんと倉橋さんの写真

青木淳一(左) 1935年生まれ。1958年、東京大学農学部卒業。横浜国立大学名誉教授。農学博士。専門は、ダニ学、動物分類学、土壌動物学。これまでに日本土壌動物学会賞、日本動物学会賞、中山賞大賞、南方熊楠賞などを受賞。著書に、『ダニにまつわる話』『土壌動物学』『都市化とダニ』などがある。
倉橋 弘(右) 1941年生まれ。金沢大学で、世界的権威である堀克重博士からハエの生物学を学ぶ。理学博士、医学博士。国際双翅類研究所所長、国立感染症研究所客員研究員。著書に『ニューギニアのクロバエ(英文)』などがある。
写真/堀隆弘

ダニ博士、ハエ博士として名高い青木淳一、倉橋弘両氏に、世間からの嫌われものであるダニとハエの研究を通して見えてきた、生物多様性の重要性について語り合っていただいた。

私たちがハエとダニを
研究するようになったわけ

青木 今日は倉橋さんとお話ができるというので、楽しみにしていました。

倉橋 私もこういう機会をいただいて、感謝しています。青木さんとは不思議なご縁があって、大学生の頃から名前は存じ上げていました。私は金沢大学で、堀克重先生に生物学の基礎から学び、ハエにはどんな種類があるかという研究をしたんですが、大学卒業後、東京の国立予防衛生研究所(予研)で働くようになったんです。そして、東京医科歯科大学の医動物学教室で共同研究をした際、そこに、青木さんの叔父である加納六郎先生がいらしたんですね。

青木 私の父は10人きょうだいで、加納六郎は10番目の末っ子でした。男兄弟では6番目で、親も面倒くさくなって、六郎という名前をつけちゃったんでしょうけど(笑)。

倉橋 予研は、厚生省(現、厚生労働省)の研究所でしたから、ハエ、カ、ゴキブリなどによる感染症を予防するということで、ハエの研究者として衛生昆虫部に入ったんです。私の場合、その頃の日本の衛生事情が西欧と比べて非常に遅れていたこともあって、衛生上重要な観点からハエの研究をしなければということで、加納先生からハエの分類を学びました。青木さんは、どのようなことからダニの研究をされるようになったんですか。

青木 私は昆虫が大好きな〝昆虫少年〟でしたから、昆虫の研究をしたくて、東大の農学部に入ったんです。ところが、チョウとかカブトムシとか、きれいな昆虫はみんな研究し尽くされているので、人のやらない研究をしようと探していたら、東大の伝染病研究所(現、医科学研究所)にいらした佐々学という人の本に出合った。そこに「ササラダニという非常に奇妙な、それでいて美しい形をしたダニがいる」ということが書いてあって、それを見て「あっ、これだ」と決めちゃったんです(笑)。冗談のようですが、ほんとの話です。

地球を清らかに保つ
ダニとハエの大きな役割

倉橋 「街のダニ」とか「五月蠅い」という言葉に象徴されるように、世間からは嫌われもののハエとダニですが、嫌われてしまうのは、世間の皆さんが、ハエとダニがどんな役割を持つ生き物なのかということを知らないからなんですよ。

まずハエが、自然の生態系の中でどんな役割を持っているのかと言えば、ハエは〝地球の掃除屋さん〟なんです。特に熱帯地域などでは、動物の死骸や排泄物が出ると、どこからともなくハエがやってきて、すぐきれいにしてくれます。熱帯のハエは、卵胎生が多いので、死骸や排泄物に直接幼虫を産み落とし、すぐに幼虫は死骸や排泄物を取り入れ、食べて育つので、次の日にはそれらはすっかり掃除されてしまう。地球が清らかに保たれているのは、こうした自然のシステムができているからで、ハエは重要な役割を担う生き物なんですね。それは、ダニも同じだと思います。

青木 そうですね。生態系には、「生産者」「消費者」「分解者」(次頁図参照)がいて、植物が有機物(幹、枝、葉、果実など)を生産し、それを消費者である動物が食べ、やがて植物は枯れて腐り、動物は死骸になる。生物遺体には、動物遺体と植物遺体があって、動物遺体は、倉橋さんが言われたようにハエが片付けてくれ、植物遺体は、ダニが片付けるんです。自然の生態系の中では、そういう分業制ができあがっているわけで、ハエもダニも、私たちの生活に直接の利益はもたらさないように見えますが、人間の共存者として大事な生き物なんですね。

倉橋 そんな重要な役割を果しているハエが、日本にはどれぐらいの種類がいるのかと言えば、7658種のハエが記録されています。世界では、7万5千種ぐらいになるのかなと思います。

青木 触角も、目も、羽もなく、足が8本あるダニは、日本で1875種、世界では6万種と言われます。さらに研究が進めば、日本で5千種、世界で10万種ぐらいになるのではないかと思います。私の専門はササラダニという、土の中にいるダニですが、私が大学で研究を始めた頃は、日本で6種しか発見されていなかったのに、今は750種と百倍以上に増えています。その中の300種は、私が新種として発見したダニです。

倉橋 私はそれほど多くなくて、200種ぐらいの、新しいハエを見つけました。

自然はそのままで
価値があるもの

倉橋 ハエやダニだけ見ても、これだけの種類があるんですから、生物全体で言えば、大変な数になります。私が大学で学んでいた頃は、動物は百万種類いると教えられましたが、これだけの生物を誰が、何の目的で作ったのかと考えると、分子生物学者の村上和雄さんが言うように、「サムシンググレート」というものを感じざるを得ないですね。

青木 なぜ、そんなに多くの生物がいなくてはならないのか、つまり、生物多様性が保たれていなければいけないのか、という問いにまともに答えるのはなかなか難しい。神様に聞くしかないわけですが(笑)、一つ言えるのは、地球上で何かカタストロフィー(破局)が起こった時、単純な生態系、多様性の低い生態系だと、すぐ、ぽしゃっちゃうということですね。回復できなくなるんです。

例えば森だったら、高木、亜高木、低木、下草などいろんな性質を持つ植物が育っている自然の森なら、山火事や崖崩れが起きたりして何かがダメになっても、他の植物が動き出して修復する。生物多様性というのは、地球の生命維持装置だと言った人がいますが、大変いい表現で、私もその通りだと思います。

倉橋 言い得て妙ですね。その意味で、生物多様性が損なわれるのは、地球にとって非常に危険なシグナルですが、なかなか気づきにくい。静かなところで進行しているので、気づいたらとんでもない事態になっていたということが、大いにあり得えます。

青木 誰か名前は忘れましたけど、「この地球上には、250種類の動植物がいればいい」などという極論を言った人がいますが、これなど、人間にとって役に立つとか立たないとか、害があるとかないとか、人間中心に考えるからそんな極論になってしまうんです。ただの生物が、たくさんいるというのが大事なことなんですよ。

倉橋 自然というのは、絶妙なバランスの上に成り立ち、既に出来上がっているもので、それだけで価値があるものでしょう。ダニもハエもそのバランスの中に組み込まれているものなのに、人間が勝手にバランスを崩し、こんなものは目障りだと排除しようとしたりする。そんな発想は絶対しちゃいけないと思いますね。

地球を一個の金魚鉢に例えると、その中にたくさんの生き物がいて、それでバランスが保たれているわけです。その中の一つを安易に排除したりしたら、たちまち全体のバランスが失われてしまう。ちょっと苦手だったり、嫌いだったりする生物にも存在意義があり、必要な存在なんだ、ということを認識しなければならないと思います。(つづく)

 

右/最近は、ホソカタムシなどの甲虫目の研究をしている青木さん。青木さんが顕微鏡をのぞいて描いた、ホソカタムシなどの絵を眺める二人。 左/青木さんの家から近い有栖川宮記念公園を散策する。

右/最近は、ホソカタムシなどの甲虫目の研究をしている青木さん。青木さんが顕微鏡をのぞいて描いた、ホソカタムシなどの絵を眺める二人。
左/青木さんの家から近い有栖川宮記念公園を散策する。