桟敷 博(さじき・ひろし)さん│73歳│横浜市神奈川区 取材/磯部和寛 写真/近藤陽介 書に人生を捧げてきた桟敷さんは、書道の無形文化遺産登録など、後世に書道の素晴らしさを伝える運動にも尽力している

桟敷 博(さじき・ひろし)さん│73歳│横浜市神奈川区 取材/磯部和寛 写真/近藤陽介
書に人生を捧げてきた桟敷さんは、書道の無形文化遺産登録など、後世に書道の素晴らしさを伝える運動にも尽力している

 ゆったりとした動きで墨が硯(すずり)の陸(おか*1)を往復するうち、墨の香りが立ち始めた。艶(つや)のある墨液が海(うみ*2)に溜(た)まると、桟敷博さん(雅号・東石(とうせき))は、墨を傍(かたわら)の墨床(ぼくしょう)に置き、筆に墨を含ませて「神は愛なり」と書いた。

書道具の蒐集家でもある桟敷さん。「形から入ることも大事」と語る

書道具の蒐集家でもある桟敷さん。「形から入ることも大事」と語る

 その一連の所作(しょさ)には、長年、真摯(しんし)に書と向き合い、研鑚(けんさん)を積み重ねてきた人だけが持つ風格が感じられる。

「書とは、自分がああしよう、こうしようと思ってしたためるものではなく、“当意即妙(とういそくみょう)”でないとだめなんです。しかも、墨と調和し、筆と調和し、『われ神と一体なり』の自覚がなければならない。ですから、書に臨(のぞ)む前には必ず神想観(*3)をして、心を落ち着かせるようにしています」

 桟敷さんは、全国に千人以上の会員を抱える「日月(じつげつ)書道会」を主宰し、毎日書道展審査会員、全日本書道連盟評議員を務めるなど、指導者としても第一線で活躍している。

「書を通して日本の伝統文化を伝えたいという、その一心でやってきましたが、その間二度、窮地(きゅうち)に立たされたことがありました。それを乗り越えて書を続けられたのは、生長の家の教えのおかげです」

古今集に収められた素性法師の歌。「漢字書家、仮名書家のくくりにとらわれずに書いていきたい」

古今集に収められた素性法師の歌。「漢字書家、仮名書家のくくりにとらわれずに書いていきたい」

 一度目は、サラリーマンから書家に転身し、頭角をあらわし始めた33歳の時。所属していた書道会での人間関係に悩み、十二指腸潰瘍(かいよう)を患(わずら)って苦しんでいた桟敷さんは、義母から勧められて生長の家本部練成道場(*4)の練成会(*5)に参加した。

「道場の玄関に飾られていた、谷口雅春(*6)先生の『神は愛也(なり)』のご揮毫(きごう)をひと目見て、その素晴らしさに感服(かんぷく)し、『この方が説いた教えなら間違いない』と直感しました。そして練成会の中で、人を見下し、増上慢(ぞうじょうまん)になっていた自分の過(あやま)ちに気づいて反省すると、病がすっかり癒(い)えてしまったんです。心の変化は書にも反映し、それから間もなく、書家の登竜門(とうりゅうもん)である読売書道展で、優秀賞をいただくことができました」

 それを機に、日月書道会を立ち上げたが、平成13年、会の運営と作品の制作に行き詰まり、うつ状態になった。しかしその時も、生長の家富士河口湖練成道場(*7)や宇治別格本山(*8)などの練成会に参加し、妻の圭子さんと共に神想観、聖経(*9)読誦(どくじゅ)を行って、「人間・神の子」の教えに立ち還(かえ)ると、医師も驚くほどの短期間でうつの症状が消えたという。

「『人間・神の子』という教えは、背骨のようなものですから、その自覚があるのとないのとでは、書が全く違ってきてしまうんです。『字は手だけで書くもんじゃない。心で書くものだから、自分の心を磨(みが)くことが大切』と、いつも生徒たちに教え、自分の戒(いまし)めにもしています」

*1=硯の表面、平らな部分
*2=墨を溜める硯の凹んだ部分
*3=生長の家独得の座禅的瞑想法
*4=東京都調布市飛田給にある生長の家の施設
*5=合宿形式で生長の家の教えを学び、実践するつどい 
*6=生長の家創始者
*7=山梨県南都留郡富士河口湖町にある生長の家の施設
*8=京都府宇治市にある生長の家の施設。宝蔵神社や練成道場などがある
*9=生長の家のお経の総称