イラスト/ろぎふじえ

イラスト/ろぎふじえ

 日本国憲法第9条には、戦争放棄、戦力の不保持、交戦権の否認が謳(うた)われています。こうした規定が憲法に採用された背景には、米国を中心とする連合国側の動きがありました(*1)。具体的には、「大西洋憲章」(1941年8月)と「ポツダム宣言」(1945年7月)で日本の非軍事化が規定され(*2)、9条誕生の直接の契機となった「マッカーサーノート(マッカーサー3原則)」(1946年2月)では戦争放棄、軍隊の不保持、交戦権の否認が要求されたのです(*3)。

 このような経緯(けいい)を見ると、9条は、日本人の意思とは無関係に、ただ外圧のみによって規定させられたかのように思えます。しかし、マッカーサーノートがつくられるにあたっては、当時の首相・幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)の軍備撤廃(てっぱい)の考えが影響したという見方が有力です(*4)。

 マッカーサーの回想録(*5)によれば、1946年1月24日、幣原はマッカーサーの事務所を訪れた際、こう提案したそうです──「新憲法を書上げる際にいわゆる『戦争放棄』条項を含め、その条項では同時に日本は軍事機構は一切もたないことをきめたい」「そうすれば、旧軍部がいつの日かふたたび権力をにぎるような手段を未然(みぜん)に打消すことになり、また日本にはふたたび戦争を起す意志は絶対にないことを世界に納得させるという、二重の目的が達せられる(*6)」と。

 幣原の提案を聞いたマッカーサーは、「腰が抜けるほどおどろいた(*7)」そうです。しかし、戦争はもはや国際間の紛争を解決する手段としては時代遅れだと考えていたマッカーサー(*8)は、幣原の提案に賛成しました(*9)。

 このときの様子は、幣原の秘書を務めた平野三郎によって、幣原自身から密かに打ち明けられた話(*10)としても、幣原の死後、明らかにされています。その記録によれば、戦争放棄を提案した理由について、幣原はさらに次のように語ったそうです──

 好むと好まざるにかかわらず、世界は一つの世界に向って進む外(ほか)はない。来(きた)るべき戦争の終着駅は破滅的悲劇でしかないからである。その悲劇を救う唯一(ゆいいつ)の手段は軍縮であるが、ほとんど不可能とも言うべき軍縮を可能にする突破口は自発的戦争放棄国の出現を期待する以外ないであろう。同時にそのような戦争放棄国の出現も亦(また)ほとんど空想に近いが、幸か不幸か、日本は今その役割を果し得る位置にある。歴史の偶然はたまたま日本に世界史的任務を受け持つ機会を与えたのである(*11)。


 幣原は存命中、戦争放棄を憲法に盛り込むよう提案したとは公言しませんでした。なぜでしょうか?

 平野の言によれば、戦勝国の多くが天皇のために死ぬことを厭(いと)わなかった日本の再軍備を恐れたのに対し、幣原は戦争放棄を提案すれば戦争と天皇を切り離し、形だけでも天皇制を守ることができると考えました。しかし、事は天皇中心の国体(国のあり方)に触れることで、日本側から言い出せば国内の猛反発が予想されました。そこで、命令してもらうようマッカーサーに極秘(ごくひ)に頼んだというのです。幣原は、そうした経緯を自分の胸の中だけに留(とど)めるべきだと判断したのでした(*12)。

 戦争放棄を謳った憲法改正草案は、1946年4月17日に公表されました。直後に毎日新聞が実施した世論調査では、戦争放棄に賛成する者は7割にも上っています(*13)。幣原の平和への想いが込められたとされる9条は、多くの国民に支持されたのでした。(生長の家国際本部 国際運動部講師教育課)

*1=芦部信喜著『憲法 第6版』(岩波書店、2015年)、55頁
*2=「大西洋憲章」国立国会図書館ホームページ、http://www.ndl.go.jp/constitution/etc/j07.html(2018年6月17日アクセス)、「ポツダム宣言」国会図書館ホームページ、http://www.ndl.go.jp/constitution/etc/j06.html(2018年6月17日アクセス)
*3=辻村みよ子著『比較のなかの改憲論』(岩波新書、2014年)、87〜88頁
*4=渋谷秀樹著『憲法(第2版)』(有斐閣、2013年)、66頁 
*5=ダグラス・マッカーサー著、津島一夫訳『マッカーサー大戦回顧録(下)』中公文庫、2003年
*6=前掲書、239頁
*7*8=前掲書、240頁
*9=堀尾輝久著「憲法9条と幣原喜重郎」『世界』(2016年5月号、岩波書店)、106頁
*10=「幣原先生から聴取した戦争放棄条項等の生まれた事情について」(鉄筆編『日本国憲法 9条に込められた魂』鉄筆文庫、2016年)
*11=前掲書、145頁
*12=前掲書、141〜148頁
*13=『比較のなかの改憲論』、99頁