阿弥陀如来(あみだにょらい)、薬師如来(やくしにょらい)、弥勒菩薩(みろくぼさつ)、普賢菩薩(ふげんぼさつ)……。信仰の対象として崇められ、人の心を癒やし、魅了してきた仏像。その仏像を彫る人は何を思い、何を伝えんがために仏を彫り出すのか。その“心の軌跡”を紹介していきたい。

平成26年に製作された「童大将」(写真は筆者提供)

平成26年に製作された「童大将」(写真は筆者提供)

松村智麿(まつむら・ともまろ) 1963年、大阪府生まれ。大阪府の摂南大学卒業。19歳の時に、京仏師、松久朋琳氏の講演会を聴いたのがきっかけで、仏像彫刻の道へ。以来35年、仏像彫刻に精進し、仏教美術展などに作品を出品してきた。生長の家相愛会兵庫教区連合会事務局長。生長の家地方講師。

松村智麿(まつむら・ともまろ)
1963年、大阪府生まれ。大阪府の摂南大学卒業。19歳の時に、京仏師、松久朋琳氏の講演会を聴いたのがきっかけで、仏像彫刻の道へ。以来35年、仏像彫刻に精進し、仏教美術展などに作品を出品してきた。生長の家相愛会兵庫教区連合会事務局長。生長の家地方講師。

 5月の節句に飾る人形の一つに、「童大将(わらべたいしょう)」がある。子供が甲冑(かっちゅう)を着けて鎧兜(よろいかぶと)を被(かぶ)り、勇(いさ)ましい武将の姿を表している人形で、これには、子供が健康に恵まれ、元気に育つようにとの願いが込められている。

 5月人形を模(も)し、仏像風に彫(ほ)り参(まい)らせた仏像、童大将に出合ったのは、仏像彫刻を習い始めた頃だった。左の手のひらに乗せた御像(おぞう)を素早く回転させ、要所要所で回転を止めて彫刻刀を振るう師の姿を見て、思わず「何の仏像を彫り参らせているのですか」と尋(たず)ね、教えられたのが童大将だった。

 私がこの御像を彫り参らせるのは、それから30年後、平成26年のことだが、その時師から、童大将について、どんな文献にもない“口伝(くでん)”として話を聞き、強く印象に残ったのを覚えている。

inoti102_hotoke_2 童大将には、薬師如来(やくしにょらい)の化仏(けぶつ)(*)の働きがあるとされる。薬師如来は、名前のように“薬”の働きを持ち、病(や)める人が祈ると癒(い)やす力を施(ほどこ)すと言われ、それ故(ゆえ)、全体に小さく丸みを帯び、“丸薬(がんやく)”の形に似ている童大将は、薬師如来と同じく、祈る者に薬の働きを与えるのである。

 また、“への字”に結ばれた口は、自分の全身でもって病(や)める人を救う決意を示し、甲冑を着け、鎧兜を装着(そうちゃく)するのも、武将が敵陣に突撃するがごとく、病患部(びょうかんぶ)を攻撃する様相(ようそう)を表しているという。

 師からは、「童大将を彫る時は、特に細部にまで注意深く心配りをしないといけない」と指導された。その言葉通り、童子像であるので、全体的に丸いのが特徴だが、丸さが目立つと、軽く転(ころ)がるイメージになり、「病(やまい)を癒(い)やす」という確固(かっこ)たる決意が表現できない。かといって四角張ってしまうと、今度は丸薬のイメージが表せない。丸からず四角からず、かつ固い決意が表現されているのが、本来の童子像なのである。

 童子像に出合った頃の私は、10センチあまりのこの御像を彫るのは、かなり困難だと思ったものだ。それから30年を経(へ)て、師からの口伝、師の彫り方を思い起こしながら童大将を参らせたが、それは、果たして童大将本来の働きが表現されているのか。今は亡(な)き師に問うてみたい。

*=衆生を救うためにさまざまな姿となって現れた仏