一枚の絵からは、そこに描かれている形象だけでなく、作者が何を思い、どう考えて生きたのかという、心の軌跡が浮かび上がってくるものです。絵が描かれたいきさつ、それにまつわる作者の人生を紹介していきます。(絵と文 川崎善張)

『想.創』(2017年作。P6号)

『想.創』(2017年作。P6号)

川崎善張(かわさき・よしはる) 大分県豊後高田市在住の画家。1957年、大分県生まれ。東京造形大学卒業。白日会会員を経て、現在、生長の家芸術連盟(生芸連)会員。2002年に生光展賞。生長の家地方講師、生長の家相愛会大分教区連合会副会長。

川崎善張(かわさき・よしはる)
大分県豊後高田市在住の画家。1957年、大分県生まれ。東京造形大学卒業。白日会会員を経て、現在、生長の家芸術連盟(生芸連)会員。2002年に生光展賞。生長の家地方講師、生長の家相愛会大分教区連合会副会長。

『想(そう).創(そう)』は、今年(2017)の「第36回生光展(*1)」に出品したP6号の小品である。

 この作品は、聖経『甘露の法雨(*2)』の「神の項」に書かれている、私の大好きな、次のようなコトバからイメージしたものである。

 この全能なる神、
 完全なる神の
 『心』動き出でてコトバとなれば
 一切の現象展開して万物(ばんぶつ)なる。

 文章としては、短くシンプルである。しかし、とても深い意味を持っており、絵として表現するのは、大変難しいものだった。絵を描く時は毎回のことだが、この絵の場合も、このようなことを考えられるまでに、2年半程の歳月を要している。

 描き始めた時、私は「物質はない」ということを輪郭(りんかく)的なイメージでしか捉(とら)えておらず、その内側に在(あ)る絶対的命のイメージは深い霧の中にあった。そのため、描き進むうちに、自(おの)ずと表現に限界を感じ、筆を休めることとなったのだ。

 視覚で捉(とら)えた光景だけを表現するだけなら、そんなに難しいものではないかもしれない。しかし、心が観じて現象化した光景を表現するということは、目に映る一瞬(陰)と、私の今の心(陽)が、五官を通して結ばれ、創造された、私だけが表現できる唯一無二の世界ということなのである。

 再び筆を執(と)ったのは、今年の春だった。この頃の私は、潜在意識、量子力学(りょうしりきがく)、脳科学の本や資料などを生長の家の書籍と並行して読んでいた。宗教的真理と現代科学の共通点を見出し、真理を映像としてイメージできるようになりたいと望んでいたからだ。

 そこから学んだのは、私たちが観察しようとする行為が、観察される現象に影響を与え、波動的性質をもつ素粒子が粒子的性質をもつようになり、いわば物質へと「創造」されてくるということである。

 文章で伝えるのは難しいが、私はこれを映像としてイメージすることができ、「想」と「創」は一枚の絵となり、達成感を感じながら筆を擱(お)くことができたのだった。

*1=生長の家芸術家連盟美術展
*2=生長の家のお経のひとつ