佐竹ひろみさん│68歳│大阪府 取材/佐柄全一 写真/中橋博文 「白鳩会の活動が私の最高の生きがいです」と語る佐竹さん。近所の八幡大神社境内で

佐竹ひろみさん│68歳│大阪府
取材/佐柄全一 写真/中橋博文
「白鳩会の活動が私の最高の生きがいです」と語る佐竹さん。近所の八幡大神社境内で

人のためになる徳積みを

 佐竹ひろみさんは、戦後間もない昭和23年、6人きょうだいの三女として生まれた。だが、そのうち4人は幼い頃に亡くなり、2歳上の姉と二人で育った。

「戦中、戦後の混乱期で、小さい子どもが亡くなっても仕方ない時代でしたが、祖父母、両親が生長の家を信仰していたため、姉も私も幼い頃から、『人間の生命は永遠生き通し』という教えを信じていました」

 父親は転勤が多い仕事をしており、札幌、東京など全国各地を転々とした。その先々で信仰を続け、ひろみさん姉妹も、小学校から高校時代まで、毎年欠かさず青少年練成会(*1)に参加して教えを学んだ。

 やがてひろみさんは、女子大学の英文科を卒業して中高一貫校の英語教師になり、2年後に同僚の教師と結婚。婚約中、夫の両親も生長の家信徒だったと知って驚いたが、その義父からは「仕事は辞めて、専業主婦になってくれ」と懇願された。

町内会の行事に出かける夫を、孫と見送る

町内会の行事に出かける夫を、孫と見送る

「共働きしたいと考えていたのですが、義父は、『お金より、生長の家の活動を通して人のためになることをして、徳積みをしてほしい』と言うのです。両親から人のためになることの大切さを教えられていた私は、義父の言葉に従い、専業主婦になりました」

次男との二人三脚の日々

 こうして24歳で結婚し、専業主婦になったひろみさんは、3人の男の子を授かった。しかし、三男を出産して間もなく、3歳になった次男、充(みつる)さんの異変に気づいた。物覚えが極端に悪かったのである。

 保健所に行くと、軽い知的障害と診断され、「小学校の普通学級に通わせるには、家庭で相当な勉強の補助が必要」と言われた。その言葉にショックを受けたものの、「人間は神の子だから必ずできる」と思い直し、決意して充さんを小学校の普通学級に通わせた。

 それから、母子二人三脚の日々が始まった。充さんが学校から帰宅すると、ひろみさんがつきっきりで、その日習った勉強の復習、翌日の予習に励んだ。ノートに何度も漢字を書かせたり、九九は頭で覚えるだけでなく、カードに書いて見せ、視覚の面からも覚えさせたという。

 そんな忙しい日々にあっても、義父との約束は忘れなかった。ひろみさんは、白鳩会(*2)の支部長となって自宅で誌友会(*3)と母親教室(*4)を開くようになり、充さんを連れ、青少年練成会に参加した。

「休む間もありませんでしたが、努力のかいがあって、次男がだんだん人並みの成績になり、明るく素直な子に育っていってくれたのが何よりの救いで、本当に嬉しかったですね」

 中学生になっても母子の二人三脚は続き、充さんは、高校に合格。卒業後、自衛隊に入って家を離れ、自立するまでに成長した。4年後、22歳の時に除隊して再び家に戻ってからは、大阪市内の製紙会社に勤務するようになり、一層生き生きと働くようになった。

「仕事は体力勝負の過酷なものだったのですが、次男は明るく前向きに何でもこなし、周囲から信頼されるようになったんです。仕事の後、休日には、青年会(*5)のメンバーとして活動に駆け回り、地元の町内会でも活躍するなど、みんなから愛される青年になりました」

使命を終えて旅立った次男

 しかし、そんな喜びも束の間、平成14年9月、充さんは、26歳の若さで急逝(きゅうせい)する。勤務中、機械に巻き込まれるという不慮(ふりょ)の事故で即死したのだった。

 充さんの死を悼(いた)み、葬儀には大勢の人が駆けつけた。学生時代の友人はもとより、自衛隊時代の上司、同僚、会社の従業員、青年会の仲間など総勢1,000人に上ったという。

「悲しみは一通りではありませんでしたが、私は不思議に落ちついていました。『人間の生命は永遠生き通し』と学んでいたこともありますし、何より私の中に『次男は使命を終えて霊界に旅立ったんだ』という思いがあったからです。主人や息子たちも同じ思いだったと思います」

 実を言うと充さんは、事故の一カ月ほど前から、ひろみさんに、毎日のように家族や周囲の人たちへの感謝と生きていることの喜びを語った。それが、「霊界に移行する次男のお別れの挨拶(あいさつ)だった」と確信することができたからだという。

45年前から自宅で開いている誌友会は、近所の信徒たちの心のより所になっている

45年前から自宅で開いている誌友会は、近所の信徒たちの心のより所になっている

 充さんの死を機に一念発起(いちねんほっき)したひろみさんは、一層、白鳩会の活動に力を注ぐようになった。役職を率先して引き受け、地方講師(*6)として一カ月に6回も誌友会などに出向。13年前からは、白鳩会大阪教区連合会副会長の要職を担っている。

「次男と歩んだ二人三脚の日々、苦難を克服して誰からも愛される明るい青年になり、自らの死を通して、『人間の生命は永遠生き通し』の真理を教え、信仰に目覚めさせてくれた次男……。次男と歩んだこれまでの日々は、私にとって“大切な宝物”です」

*1=合宿形式で生長の家の教えを学び、実践するつどい
*2=生長の家の女性の集まり
*3=生長の家の教えを学ぶ小集会
*4=母親のための生長の家の勉強会
*5=12歳以上40歳未満の生長の家の青年男女の組織
*6=生長の家の教えを居住地で伝えるボランティアの講師