波多野愛子(はたのあいこ)さん│67歳│滋賀県大津市 取材/磯部和寛写真/中橋博文 「息子のために精一杯に生きた1年10カ月は、今、振り返れば私の人生で一番、生き生きしていた時期だと思います。息子と生長の家に感謝しています」(自宅近くの琵琶湖畔で、愛犬のトウ君と)

波多野愛子(はたのあいこ)さん│67歳│滋賀県大津市
取材/磯部和寛 写真/中橋博文
「息子のために精一杯に生きた1年10カ月は、今、振り返れば私の人生で一番、生き生きしていた時期だと思います。息子と生長の家に感謝しています」(自宅近くの琵琶湖畔で、愛犬のトウ君と)

 今から27年前の平成2年、波多野愛子さんは、夫、千佳寿(ちかとし)さんとの不和に悩んでいた。仕事が終わった後、接待や仲間と麻雀(マージャン)に興じる夫の帰りは深夜となり、長男、長女と二人の子供を抱え、母子家庭同然の生活に、愛子さんは寂しさを募(つの)らせる毎日を送っていた。

 そんな矢先、中学3年の長男、大輔さんが病に見舞われた。

「バドミントン部のキャプテンを務め、スポーツ特待生として、バドミントンの強豪校への進学も決まっていた大輔は、明るい性格で、学校でも人気者でした。自慢の息子が病に侵されるなんて、信じられませんでした」

「余命2年」の宣告を受けて

 その年の冬、体調を崩(くず)して大津市内の病院に入院した大輔さんは、小児に発生することが多い「横紋筋肉腫(おうもんきんにくしゅ)」という軟部組織にできる悪性腫瘍(しゅよう)と診断され、難病の小児患者を受け入れる京都の病院へ移された。病状は深刻で、医者から「余命2年」と宣告された。

「副鼻腔の内側の空洞に腫瘍があるということでした。そう言われると、左目だけがせり上がって腫れていました。そして時折、鼻血が出たりと病気の兆候(ちょうこう)らしきものがあったんですが、日常は変わらず、元気に登校していたため、見過ごしていたんですね。早く気づいて、病院に連れて行っていればと後悔しました」

大輔さんの遺影を背に。「息子はとても人気者で、バレンタインには、女の子が家の前に行列を作っていました」

大輔さんの遺影を背に。「息子はとても人気者で、バレンタインには、女の子が家の前に行列を作っていました」

 抗がん剤と放射線治療を受けた大輔さんは、その副作用で毛が抜け、やせ細っていった。そんな姿を見て、いたたまれなくなった愛子さんと千佳寿さんは、「あなたが家庭を顧(かえり)みないからこんなことになるのよ」「お前が、がんになれば良かったんだ」などとお互いを責め合った。

「ひどい言葉で罵(ののし)り合い、泣き暮れる日々が数カ月続きました。そんな時、生長の家の教えに触れていた姉が『話を聞いてもらったら』と、地方講師(*1)の大原八重子さんを紹介してくれたんです」

 親身に話を聴いてくれる大原さんの人柄に惹(ひ)かれ、たびたび電話で相談をするようになった愛子さんは、勧められるまま生長の家の講習会や宇治別格本山(*2)の練成会(*3)、誌友会(*4)に参加して教えを学ぶようになった。

「折に触れ、夫婦調和の大切さ、そして『自分が変われば相手が変わる』と教えられましたが、『夫が悪い』と思っていた私は、『何で私が変わらないといけないの?』と受け入れられませんでした。でも、ある時に聞いた『息子』という字は『自分の心の子』と書くように、子供には親の心が反映している、その話が心に響いたんです」

息子への努力で夫婦関係にも変化が

 思い当たることがあった。愛子さんが暗く沈んだ面持ちで病室に行くと、決まって大輔さんの表情も曇りがちになっていた。「息子に、明るく過ごしてもらうには、自分が明るくならなければ」と考えた愛子さんは、できるだけ明るい表情を浮かべて病室を訪ねるようにした。

「すると大輔は、同じ病棟の小さな子供たちと、紙でボールを作ったりして、楽しそうに遊んであげたりするようになったんです。その姿を見て、『本当に子供は親の心を映す鏡なんだなあ』としみじみ思い、それから、まるで恋人に会いに行くかのように、おめかしして病院に通いました」

夫・千佳寿さんと。「夫婦円満で、天国のような今の暮らしがあるのは、息子のおかげ。生長の家の活動にも協力的な、素晴らしい夫です」

夫・千佳寿さんと。「夫婦円満で、天国のような今の暮らしがあるのは、息子のおかげ。生長の家の活動にも協力的な、素晴らしい夫です」

 愛子さんのそんな努力は、夫婦関係にも変化をもたらした。「大輔のために、主人を責めることをやめ、明るい心で接しよう」と考えた愛子さんは、わだかまりを抱えながらも、帰宅した千佳寿さんを笑顔で迎えるように努めた。それにつれ、千佳寿さんの態度も軟らかくなり、「自分が変われば相手が変わる」という教えが実感されるようになった。そしていつしか、演技して作っていた笑顔も自然にこぼれるようになっていた。

「もともと真面目で温厚で、優しい人柄だった主人は、私が心を入れ替えてからは、仲間の誘いを断って早く帰宅し、大輔のためにと、一緒に聖経(*5)を読んでくれるようになったんです」

仏様のように穏やかに召(め)された息子

 入院当初、若くして病気になったことから荒(すさ)んだ姿を見せた大輔さんも、そんな愛子さん、千佳寿さんの変化に呼応するように、日に日に穏やかになり、看護師の仕事を手伝ったりするようになるなど、病室にいながら前向きに過ごすようになった。

「もしかしたら、奇跡が起こるかもしれない」という淡い期待を抱いた愛子さんだったが、入院して1年10カ月後の平成3年、12月16日、大輔さんは、17歳の短い生涯を閉じた。苦しむこともなく、その顔は、にっこり微笑み、「もう泣かなくていいよ。ありがとう」と言っているかのように安らかなものだったという。

「辛い闘病生活の末、仏様のような穏やかな姿を現して天に召されて、『なんてありがたいんだろう』と感謝しました。息子は、病気の姿を通して私を生長の家に導いてくれ、何よりも望んでいた私たち夫婦の大調和をもたらしてくれました。この体験こそが、今の私の原点になっています。夫婦、家族が仲良く暮らすこと、そして、その大切さを人に伝えて、“喜びの輪”を広げていくことが、息子への何よりの供養になると思っています」

 大輔さんの遺影を見やり、語りかけるように愛子さんはつぶやいた。

*1=生長の家の教えを居住地で伝えるボランティアの講師
*2=京都府宇治市にある生長の家の施設。宝蔵神社や練成道場などがある
*3=合宿形式で生長の家の教えを学び、実践するつどい
*4=生長の家の教えを学ぶ小集会
*5=生長の家のお経の総称