阿弥陀如来(あみだにょらい)、薬師如来(やくしにょらい)、弥勒菩薩(みろくぼさつ)、普賢菩薩(ふげんぼさつ)……。信仰の対象として崇められ、人の心を癒やし、魅了してきた仏像。その仏像を彫る人は何を思い、何を伝えんがために仏を彫り出すのか。その“心の軌跡”を紹介していきたい。

1988年に制作した「聖観音」。30年前に彫った仏像であるため、左手の持ち物(蓮華)が腐食して欠けている(写真は筆者提供)

1988年に制作した「聖観音」。30年前に彫った仏像であるため、左手の持ち物(蓮華)が腐食して欠けている(写真は筆者提供)

松村智麿(まつむら・ともまろ) 1963年、大阪府生まれ。大阪府の摂南大学卒業。19歳の時に、京仏師、松久朋琳氏の講演会を聴いたのがきっかけで、仏像彫刻の道へ。以来35年、仏像彫刻に精進し、仏教美術展などに作品を出品してきた。生長の家相愛会兵庫教区連合会事務局長。生長の家地方講師。

松村智麿(まつむら・ともまろ)
1963年、大阪府生まれ。大阪府の摂南大学卒業。19歳の時に、京仏師、松久朋琳氏の講演会を聴いたのがきっかけで、仏像彫刻の道へ。以来35年、仏像彫刻に精進し、仏教美術展などに作品を出品してきた。生長の家相愛会兵庫教区連合会事務局長。生長の家地方講師。

 1988年、25歳で初めて像高18センチの聖観音(しょうかんのん)を彫り参らせた時のことである。最初にする木取り(木片に寸法の線を引くこと)で、私が彫ろうとしている木片に、寸法取りの線を入れ、範を示そうとした師はこう言った。

「ええか、一ぺんしかせえへんからよう見ときや」

 よく見ていると、聖観音の頭部から腹部にかけては左右対称の図なので、中心となる頭部から足までに直線を入れた。しかし、その後、腹部の中心にあたる部分から右足に向けて、もう一つ直線を引いたのだった。

「この線はどういう線なのですか」と聞くと、師は、「もう一つの中心線や。この線は、聖観音が衆生を隈なくお救いになりたいがゆえに、右足を微かに前に進める形を彫る際に大事な線となるんや」。

 つまりは、2本の中心線を意識しながら彫り進めていけ、ということなのだが、続けて師は言った。

「胴体の中心線を最後まで見逃さず、踏み出す右足の中心線は、心の眼で見ながら彫るんやで」

 一見、女性的でしなやかに見える聖観音は、仏像彫刻においては、入門編と言っていい。地紋彫りから始まって、仏足、仏手、仏頭と進み、大黒天などの習作像を彫った後の総まとめとなるお像なのである。当時、仏像彫刻の道に入って6年余りだった私は、1年近くかけ、やっと何とか聖観音を彫り参らせることができた。

inoti104_hotoke_2 聖観音は、左手に蕾の開きかけた蓮の花を持っている。これは、“真理の光”を衆生に示すものであり、正式な聖観音の御手は、右手で左手に持つ蓮の蕾の一花弁を開く形となっている。

 足下の蓮華台も、宗派によっては、踏み出した蓮華台が割れて増えていく(仏の教えが広まっていくことの例え)「踏み割り蓮華」の形をとることもある。これは、観世音菩薩の基本形であるとも言われ、聖観音は宗派に関係なく祀ってもよいとされている。

 一体の聖観音から、30年前、25歳の頃のさまざまな思い出がよみがえってくる。