長手幸子(ながて・さちこ)さん (55歳)川崎市中原区 長男の啓さんが信仰について思索したノートを、夫の優さんと見つめる  取材/水上有二(本誌) 撮影/遠藤昭彦

長手幸子(ながて・さちこ)さん (55歳)川崎市中原区
長男の啓さんが信仰について思索したノートを、夫の優さんと見つめる 
取材/水上有二(本誌) 撮影/遠藤昭彦

 今年(2019)、結婚して30年を迎えた長手幸子さんは、夫の優(まさる)さん(58歳)と映画館や喫茶店によく一緒に出かける。見合い結婚だったため、互いの理解を深めようとコミュニケーションを大事にしてきたことが、今では習慣になったという。

「主人は仕事から帰って食卓に着くと、その日の出来事を気さくに話してくれます。時には人間関係の愚痴を聞くこともあって、感謝が大切だという話になることもありますが、いつも私の言葉を素直に受け止めてくれる主人の心の広さに、私自身も見習わなければと思います」

 幸子さんは、大手食品・飲料メーカーで働く優さんと25歳の時に結婚し、兵庫県から優さんの勤務先のあった千葉県に転居した。当初、親戚や友人のいない関東で暮らすことに不安を感じたが、優さんが「大丈夫だよ」と度々言葉をかけてくれたり、母親教室(*1)に参加して明るい雰囲気に接していく中で、不安な気持ちが和らいだ。

 幸子さんは、母親が生長の家を信仰している家庭で育ち、「人間は神の子で、無限力を宿した生命である」という教えに惹かれ、大学生になると、妹と一緒に生長の家青年会(*2)の活動に取り組んだ。

 一方の優さんは、結婚前まで宗教に抵抗感を持っていたが、パナソニック創業者の松下幸之助氏や、京セラ創業者の稲盛和夫氏といった著名な経営者が、生長の家の教えに触れていたことを知り、幸子さんの信仰にも理解を示すようになった。その後、幸子さんの誘いで講習会などの行事に参加するようになったものの、自ら進んで教えを学ぶほどではなかったという。

愛他的で行動力のある夫を見習いたい

 結婚して10年が過ぎ、その間に優さんの職場の異動に伴い、一家は現在暮らす神奈川県川崎市に転居した。優さんは40歳を前に管理職に昇進したが、仕事量の増加や厳しい上司との関係に悩むようになった。

「主人は毎日、深夜に帰宅して、ため息ばかりついていました。私は健康のことを心配して、神想観(*3)の中で主人の完全円満な姿を思い描きながら、『一番良い方向へ、神様に守られ、導かれました』と祈り続けました。主人にも神の子としての自覚を深めてほしくて、生長の家の本を目に留まるように食卓のテーブルに置き、『数行でも半ページでもいいから、読んで寝るといいよ』と話したこともありました」

「生活の中で迷うことがあったら、必ず主人に相談します。主人の言うことなら大丈夫という安心感が、いつもあるんです」

「生活の中で迷うことがあったら、必ず主人に相談します。主人の言うことなら大丈夫という安心感が、いつもあるんです」

 ある日、幸子さんが置いた本を手に取った優さんは、「困難に戯れよ」と書かれた見出しを見て、「そんなの無理だ」と反発した。だが、読み進むうち、「環境は自分の心の現れ」であることや、困難が魂を向上させてくれることなどが少しずつ分かり、自分から生長の家の本を開くようになった。

 そして、物事の良い面を見る「日時計主義の生き方(*4)」を心がけるようになると、職場の人間関係が円滑になり、仕事にも前向きに取り組めるようになった。相愛会(*5)や栄える会(*6)にも入って教えを真剣に学ぶようになり、さらに部下の女性が乳がんを発症したと聞いた時には、『新版 女性の幸福365章』(生長の家創始者・谷口雅春著、日本教文社刊)を贈呈して喜ばれたこともあった。

「主人は社交的で面倒見のいい性格なんですが、教えを勉強し始めてから、さらに愛他的な気持ちが深まったようです。自分の信念で良いと思ったことはすぐに実行するのが、主人の素晴らしいところで、その行動力にはいつも感心させられます」

 長手さん夫妻の信仰心は、2人の息子にも受け継がれた。だが、長男の啓(けい)さんが急性骨髄性白血病と診断されたのは12年前、啓さんが高校2年生のときのことだった。

「生き通しの命」について、夫婦で語り合う

 幸子さんは長男の啓さんが書いたものだと言って、スマホに入っている画像を見せてくれた。「今が最高。過去は総てよかった。未来は輝いている」と力強く紙に大書し、啓さんの学習机の前に貼ってあったのをカメラに収めたものだ。

仏前の啓さんの写真の前で。生長の家が大好きだったという啓さんを思い出しながら、幸子さんは今も勇気をもらっている

仏前の啓さんの写真の前で。生長の家が大好きだったという啓さんを思い出しながら、幸子さんは今も勇気をもらっている

 啓さんは、抗がん剤投与や骨髄移植などの治療を懸命に続けながら、大学進学への夢を持って受験勉強に励んでいた。しかし、その願いは叶わず、20歳で亡くなった。

「子は親の鏡」という言葉があるように、親の心が子どもに現れると生長の家では説いており、幸子さんは啓さんの発病以来、責任を感じて苦しみ続けた。長男を救いたいという一心で、一所懸命に聖経(*7)を誦げて先祖を供養し、神想観を熱心に実修した。だが、啓さんが亡くなった後は、聖経を手に取る気力も失うほど憔悴した。

 子煩悩だった優さんも仕事に身が入らないほどの脱力感に襲われたが、幸子さんを励まそうと意識して声をかけたり、いつまでも自分を責め続ける幸子さんを、「あなたのせいじゃない」と慰めたりした。

「人間がこの世に生まれて来た意味や、『いのちは永遠に生き通し』という教えについて、主人と何度も語り合いました。主人が私の言葉に真剣に耳を傾けてくれたことで気持ちが楽になり、長男のいのちは生き続けていると思えるようになったんです」

 それでも目の前から長男がいなくなった寂しさで、幸子さんは失意の底からいつまでも抜け出せずにいた。啓さんの逝去から7カ月が過ぎた平成23年3月11日、東日本大震災が発生した。幸子さんは津波で家族を失った人たちをテレビで観て、強い衝撃を受けた。

「この悲惨な状況は、息子を亡くした私たちの悲しみの比ではないと思いました。いつまでも悲しんでいたらだめだ。立ち上がって頑張らなければいけないという気持ちに駆られたんです」

 啓さんが亡くなってから、優さんや次男を始め、多くの人から慰められたり励まされたりしたことが思い起こされた。その恩返しをしたいという思いが募り、以前にも増して白鳩会(*8)の活動に熱心になった。

長男を亡くした悲しみを、生長の家の教えを支えに二人三脚で乗り越えてきた

長男を亡くした悲しみを、生長の家の教えを支えに二人三脚で乗り越えてきた

「周りの人が幸せになることが、人生の本当の喜びなんだよと、今も霊界の長男に言われている気がするんです」

 今年27歳になった次男、そして夫が毎日元気で過ごしてくれるのが、何よりの幸せだと幸子さんは語る。

 幸子さんの『日時計日記』(生長の家白鳩会総裁・谷口純子監修、生長の家刊)には、亡くなった長男のことも含めて、家族の皆を讃える言葉が毎日のように書かれている。就寝時には、夫婦のどちらからともなく「今日も一日有難う」と声を掛けるのが習慣で、幸子さんはそんな些細な思いやりの言葉の積み重ねの中から、愛情を感じたり、心に安らぎがもたらされるという。

 学生時代に野球部の練習に打ち込んだ優さんは、今も体を動かすことが好きで、5年ほど前に幸子さんをジョギングに誘った。最初は尻込みしていた幸子さんだったが、走るうちに爽快感を覚えるようになり、休日には自宅近くの多摩川沿いを20キロほど走るまでになった。

「主人とおしゃべりをしながら走るのが楽しくて。スポーツの楽しさも主人から教わったことの一つですね」

今では優さんをジョギングに連れ出す側になったと、晴れやかな表情を見せた。

*1 母親のための生長の家の勉強会
*2 12歳以上40歳未満の生長の家の青年男女の組織
*3 生長の家独得の座禅的瞑想法
*4 日々の生活の中の喜びや明るい出来事などに心を向ける生き方
*5 生長の家の男性の組織
*6 生長の家の産業人の集まり
*7 生長の家のお経の総称
*8 生長の家の女性の組織