長野ケイ子さん  祖母 76歳 亜衣(あい)さん  孫 28歳 北海道江別市 取材/原口真吾(本誌) 撮影/加藤正道 写真提供/長野ケイ子

長野ケイ子さん 祖母 76歳 亜衣(あい)さん 孫 28歳
北海道江別市
取材/原口真吾(本誌) 撮影/加藤正道 写真提供/長野ケイ子

北海道北見市の山間部にある開拓地の農家に生まれた長野ケイ子さんは、貧しい中でも家族とともに明るく生きてきた。結婚後、2人の子どもに恵まれ、いま、孫は4人になった。同じ江別市内に住む孫の一人、亜衣さんは、度々ケイ子さん夫婦のもとを訪れ、団欒(だんらん)のひとときを過ごしている。そんな家族思いの亜衣さんが、家族の歴史とケイ子さんの半生を聞いた。

北海道の開拓地で生きる

 長野ケイ子さんは、昭和17年に北海道網走(あばしり)郡端野(たんの)町(現在は北見市)で、6人きょうだいの長女として生まれた。一方の孫の亜衣さんは、ケイ子さんの次女・久美子さんの長女で、平成元年生まれ。現在、江別市内の高等学校で教職に就いている。

亜衣 おばあちゃんの生まれた端野町って、どんなところだった?

ケイ子 山以外何もないような田舎だったね。川がよく氾濫(はんらん)したから、高台に住んでいたよ。

亜衣 何人で暮らしていたの?

ひな祭りでの記念写真。右側に座っているのが、ケイ子さんの娘で亜衣さんの母親の久美子さん

ひな祭りでの記念写真。右側に座っているのが、ケイ子さんの娘で亜衣さんの母親の久美子さん

ケイ子 両親と5人のきょうだいの、全部で8人だった。

亜衣 家はどんな仕事をしてた?

ケイ子 あの辺りはみんな農家で、ジャガイモやハッカを中心に育てていたの。1軒あたり畑が5ヘクタール(5万平米)もあったから、家族や親戚、近所の人と協力しないと大変だった。農地は全部開拓した土地だったんだよ。

亜衣 じゃあ、おばあちゃんのお父さんやお母さんは、北海道の生まれじゃないの?

ケイ子 父の岡川勝蔵さん(註・亜衣さんの曾祖父)は福島県生まれで、父の母のツマさんが、北海道の岡川長太郎さんのところに、前夫との間に生まれた5歳の父を連れて、大正5年に嫁ぐことになったの。
 母のヂョウさん(註・亜衣さんの曾祖母)の実家は岩手県で、母の両親の島野石松(いしまつ)さんとマツさんは、炭焼きを仕事にしていたんだけど、子どもが多くて暮らしが大変だったんだね。昭和の初めの頃だと思うけど、母が15歳の時、このままじゃ食べていけないから、土地が広い北海道で農業をしようと、家族で移住を決めたって聞いたよ。siro100_rupo_3

亜衣 岩手ではどんな暮らしだったんだろう?

ケイ子 母は長女で、きょうだいの一番上だったから、山の柴を集めて仕事を手伝ったり、ご飯を炊いたりしてたみたい。家事だけじゃなくて子守もしなきゃならなかったから、学校には全然行けなかったって言ってたよ。だから母は字を読めないし、書けなかったの。でも、母は話を作るのが得意で、よく布団の中でいろんなつくり話を聞かせてくれたよ。「ダンディじいさんが来た」とか。

亜衣 何それ、気になる(笑)。おじいちゃんの家には行ったりしていた?

ケイ子 岡川家の本家とは、畑の手伝いでよく行き来があったよ。

亜衣 岡川のおじいちゃん、おばあちゃん(註・亜衣さんの高祖父と高祖母)はどんな人だった?

ケイ子 おじいちゃんの長太郎さんは歌が好きな人で、呑(の)んだらよく踊ってたね。

亜衣 陽気なおじいちゃんだね。

ケイ子 おばあちゃんのツマさんは、よく笹の葉に餅米をくるんだちまきを作って、持ってきてくれたんだよ。子どもでも3口で食べ終わっちゃうような小さいのだったけどね。でも、家ではきび餅ばかりで、餅米なんて食べられなかったから嬉しかった。

亜衣 島野のおじいちゃん(註・亜衣さんの高祖父)の家も近かったの?

ケイ子 山道を歩いて1時間以上かかったね。だから行く時は泊まりがけだった。島野家は山の蕗(ふき)を漬け物にして、お店に卸(おろ)していた。私も茹(ゆ)でた蕗の皮むきを手伝ったりしたね。島野のおじいちゃんもお酒が好きな人で、呑んだら歌って踊ってたよ。

亜衣 みんな陽気だったんだね。

ケイ子 だから、父も呑んだら楽しい人で、福島の民謡の「会津磐梯山(あいずばんだいさん)」をよく歌ってたよ。親戚が集まるとみんな一緒になって歌って踊って。そんなふうだったから、母は笑ってばかりいたね。

亜衣 島野のおばあちゃんのマツさん(註・亜衣さんの高祖母)は、どんな人?

ケイ子 優しくて、家に行くといつも「一緒にお風呂入ろう」って入れてくれたね。私がバイクの免許を取ってからは、腰が曲がったばあちゃんのために家まで送り迎えをしていたよ。

亜衣 バイクの免許を持ってたの?

幼い頃の亜衣さん(中央奥)を抱く、曾祖父の岡川勝蔵さん。手前は曾祖母のヂョウさん、右は亜衣さんの母親の久美子さん

幼い頃の亜衣さん(中央奥)を抱く、曾祖父の岡川勝蔵さん。手前は曾祖母のヂョウさん、右は亜衣さんの母親の久美子さん

ケイ子 畑への行き来に便利だから免許を取りなさいって、17歳の時に父に言われてね。私は長女だったから、いろいろと畑の手伝いをしたんだよ。
 秋に収穫したハッカは、天日干しにした後、大きな窯(かま)で蒸して油を絞るんだけど、小さい頃は集落の子どもたちと一緒に、蒸し窯にハッカを入れたりする手伝いをしていた。大きな木製の蒸し窯でね。
 私が中学2年生の時、兄が北見市内に働きに出て行ってからは、私が馬に鋤(すき)をつけて引いたりして、父を手伝ったよ。

亜衣 ひいおじいちゃんのことは覚えているけど、アンパンマンの絵とか描いてくれたりしたよね。

ケイ子 父は、手先が器用で達筆な人だったよ。木札に百人一首を上手に書いてね。冬で仕事のない時は近所の人が家に集まって、漬け物を食べながら父の作った木札で百人一首をしてた。父が見よう見まねで建てた隙間(すきま)風が吹く寒い家だったのにね。みんなよく集まってくれたんだよ。懐(なつ)かしいね。

貧しい中でも懸命に生きる

亜衣 家の宗教は何だったの?

ケイ子 浄土真宗だったね。母はバスでお寺さんに行って、お盆の行事には毎年出ていた。家では仏壇が買えなかったから、リンゴ箱にきれいな紙を貼って仏壇にしてた。

亜衣 けっこう貧しかったんだ?

ケイ子 貧しかったんだよ。朝からジャガイモの皮を剥(む)いてゆで、それをごはんにしてた。みそ汁がない時もあってね。小学校にお弁当を持って行けなくて、昼食の時間は外に出て、鉄棒とかして空腹を紛(まぎ)らわせていたの。

亜衣 ええーっ!

自宅で娘の久美子さんをあやすケイ子さん(昭和43年頃)

自宅で娘の久美子さんをあやすケイ子さん(昭和43年頃)

ケイ子 家の手伝いがあったから学校は休みがちだったのね。勉強はついて行けなくて嫌になっちゃった。読み書きや計算は父が教えてくれてね。

亜衣 ずっと貧しかったの?

ケイ子 中学を卒業して、北見市のお寿司屋さんとおでん屋さんで働くようになってからはお小遣いが増えたし、いろんな世界があるんだって知ったね。

亜衣 結婚したのはいつ?

ケイ子 昭和41年、23歳の頃に母方の叔母から結婚しないとダメよって言われて、何人か知り合いの男性の写真を見せてくれたの。同じ職場のおばちゃんに写真を見せたら、「真面目そうなこの人にしなさい」って勧められたんだよ。

亜衣 その人がおじいちゃんなんだ。

ケイ子 そう。おじいちゃんは北見のコンクリート会社で事務員をしていた。
 結婚した年に転勤で札幌に引っ越したの。それまで親元を離れたことがなかったから、すごく寂しかった。でも、子どももいたし、仕事もしていたから、毎日一所懸命だったね。

亜衣 札幌でも仕事をしていたんだね。

ケイ子 おじいちゃんから「働かない者はダメだ」と言われてたから、子どもは保育園に預けながら、デンプンや飼料の袋を作る工場で働いたよ。
 繁忙期(はんぼうき)には残業もあったけど、おじいちゃんは、ご飯の支度を子どもたちとしてくれていたよ。それに、通勤に必要な車も買ってくれて、私が働いたお金は好きに使わせてくれた。

子や孫に教えが伝わって

亜衣 生長の家を知ったのも、札幌に移ってからだったよね?

ケイ子 そうだよ。おじいちゃんが勤めていた会社の社長が生長の家栄える会(*1)の会員で、社員を練成会(*2)に参加させていたね。おじいちゃんは誌友会(*3)にも行ってたの。先祖供養の大切さを私にも伝えたいからと、近所の公民館で開かれた生長の家の講演会に連れて行ってくれた。行ってみると、信徒の方が「ありがとうございます」って、笑顔で明るく迎え入れてくれて、とても魅力的に感じたね。
 自分に起こることは自分の心が映し出したもので、「明るい心が明るい物事を引き寄せる」って教えられたから、よく笑うようになったんだと思うよ。
 家には仏壇が無かったから講演会の後すぐに買って、今も毎月、霊牌(れいはい)(*4)を書いて先祖供養を欠かさないよ。定年後は二人で毎月のように練成会に参加して、本当に楽しかった。

亜衣 おじいちゃんは私たちが練成会に行くって言うと、いつも費用を出してくれたね。

ケイ子 そんなおじいちゃんだったから、今の私たち家族があるのかな。「人間・神の子」の教えが子どもや孫にも伝わって、練成会にも行ってくれて、こんなに嬉しいことはないね。
 亜衣が旭川の大学に進学する時、「知らない土地で、一人で大丈夫?」って聞いたら、「大丈夫、守られてるから」って答えたんだよ。先祖供養を続けていてよかった、ちゃんと伝わっているんだって、嬉しかったね。

ケイ子さんがバイクの免許を取った思い出話に、夫の文雄さんと亜衣さんは笑いながら耳を傾けていた

ケイ子さんがバイクの免許を取った思い出話に、夫の文雄さんと亜衣さんは笑いながら耳を傾けていた

亜衣 お母さんの子どもの時は、どうだったの?

ケイ子 これがいいって思ったら、とことん夢中になる子どもだったね。

亜衣 おばあちゃんの生長の家の信仰と一緒だね。そういうところは私にも、ちゃんと受け継がれてる。

ケイ子 でも、亜衣はいいと思っても、綿密に下調べをしてからじゃないと動かないから、そこは違うね。

亜衣 そうだね。おばあちゃんは、今も私の誕生日にはケーキでお祝いしてくれるし、「○○を作ったからおいで」ってメッセージをくれるよね。
 私が小学校4年生の時に、お母さんが離婚して、働きに出てしまったから、学校から帰っても家に誰もいなくて寂しいときがあった。でも、おばあちゃんは、お母さんが安心して働けるように、夕食の用意をしてくれて一緒に食べてくれたし、私たちきょうだいが、寂しい思いをしないように、いろんな場所に連れていってくれたよね。すごく嬉しかったよ。

ケイ子 亜衣は、あっけらかんとしているところがいいよね。

亜衣 おばあちゃんだって、あっけらかんとしているよ。私たちの明るさは、それこそひいひいおじいちゃんたちから来ていたんだね。
 私はご先祖様って、みんな北海道で生まれ育ったとばかり思っていたけど、いろんな所から集まって来てたんだね。みんな貧しい中でも頑張って生きてくれたから、今の自分があるんだって、今日、話を聞いて思った。おばあちゃんの行動力も、しっかり受け継がれてる。特に17歳でバイクの免許を取って、結婚した後も働き続けて、すごい人生だよね。

ケイ子 ずっと元気できたからね。

亜衣 いつまでもおじいちゃんと仲良く、元気で過ごしてね。

*1 生長の家の産業人の集まり
*2 合宿形式で教えを学び、実践するつどい
*3 教えを学ぶつどい
*4 先祖及び物故した親族・縁族の俗名を浄書し、御霊を祀る短冊状の用紙