香川侑子 30歳・大阪市  撮影/堀 隆弘  自分が母親にどれほど大切にされ、愛されていたかに気づいてからは、心の底から感謝できる幸せな毎日になった。

香川侑子 30歳・大阪市
撮影/堀 隆弘
自分が母親にどれほど大切にされ、愛されていたかに気づいてからは、心の底から感謝できる幸せな毎日になった。

「母は妹ばかりを可愛がっている」と、子どもの頃からそう思い込んでいた。しかし、その母親はがんによって54歳で、この世を去ってしまった。その後、結婚し、子どもが誕生した後、母親が遺した育児日記を手にした……。

 私は大阪市内で、両親と3歳違いの妹の4人家族で育ちました。小さな妹ができた時は、可愛くてしかたがなかったのですが、少しずつ、私と妹に対する母の態度の違いに過敏になっていき、いつしか「妹の方が可愛がられている」と思い込むようになりました。

 小学5年生の時、友人関係の問題で、一時期、学校を休みがちになったことがありました。当時、母はPTA役員をしていたこともあり、学校ともよく相談していたようです。ちょうどその頃、一冊の『白鳩』誌がポストに入っていたのを機に、母は地元の早朝神想観(*1)に通うようになりました。

 実は、母の祖父母が熱心に生長の家を信仰しており、母も小さい頃は練成会(*2)に参加したことがあったのです。長じてからは特に活動することもなく生長の家とは離れていたのですが、ご縁は切れてはいなかったのでした。

 母に連れられ、私は小学5年生の夏休みに初めて長崎の総本山(*3)の練成会に参加し、それからは楽しく学校に通えるようになり、生長の家が大好きになりました。母も積極的に白鳩会(*4)の活動に加わり、信仰熱心になっていきました。

「私より妹の方が……」

 中学、高校生の多感な年頃になると、規律正しくしっかり者の母に対し、尊敬の念を持つと同時に、「なぜ私にばかり厳しいの?」という反発の思いを抱くことが多くなりました。私は言いたいことをなかなか表現できないタイプでしたが、妹は甘え上手で、母とは好きな本や趣味も合い、友達親子のように見え、うらやましさと同時に、「私より妹の方が大事なんだ」というような寂しさを感じるようになりました。例えば、妹には勉強のことはあまり言わなかったのですが、私がテストで96点をとってきても、「何であと4点取れなかったの?」と言われて傷ついたり……。

「どうせ私なんて……」という思いは、短大卒業後、念願の幼稚園教諭として働くようになってからも続きました。職場での悩みを母に相談したとしても、「つらかったね、大変だったね」と受け止めてもらえないと思い、一人悶々(もんもん)としていたのでした。

 仕事のストレスが限界に達し、2年で退職すると、幼児教育についてもっと深く学びたいと思い、再度短大の専攻科で2年間学び直して幼稚園教諭一種の免許を取得。平成21年から再び幼稚園教諭の仕事に就きました。

夫と。「娘のめんどうもよく見てくれて、私のこともそのまま受け入れてくれる穏やかで優しい主人に感謝しています」

夫と。「娘のめんどうもよく見てくれて、私のこともそのまま受け入れてくれる穏やかで優しい主人に感謝しています」

 小学生時代から、生長の家の「人間・神の子」の教えを仲間と楽しく学び続け、父母への感謝の大切さを説く教えは分かっていたので、母に対する胸の奥の葛藤(かっとう)には蓋(ふた)をして、「私は母に感謝している」と思い込むようにしていました。

 その母が54歳の若さで亡くなったのは、平成24年4月。私は26歳、生長の家のご縁で出会った夫と結婚する半年前のことでした。

 母はその前年の5月に子宮がんが見つかり、手術や放射線治療をしていました。しかし、翌年3月に肺へ転移し、4月初めに余命宣告をされ、亡くなったのは9日後のことでした。

「母はずっと認めてくれていた」

 結婚2年後の平成26年に、長女が誕生しました。同じ年頃の赤ちゃんを持つ友達から、「お母さんと服を買いに行った」とか、「子どもを預かってもらった」などという話を耳にするたび、孫の顔を見せてあげたかった、抱っこしてもらいたかったという悲しみが押し寄せてきました。

 そんな思いの中、生まれて数カ月の長女を連れて実家に帰った時のことです。母の遺品の中から、母が書いた私と妹の育児日記を見つけ、私は夢中で読み始めました。

 そこには、私が生まれた時、なかなかおっぱいを飲まず体重が増えないことを心配している母の気持ち、抱いていないと泣きやまない妹の世話をしつつ、「お姉ちゃんにも絵本を読んであげたいんだけどなあ、お母さん」「お姉ちゃんが“私はいいから、Nちゃんのことを先にやってあげて”と言ってくれた」など、私のことをとても気にかけ、大事に思っている様々な言葉が並んでいました。

 私は胸が熱くなり、涙が止まりませんでした。長女が、1歳、2歳と成長するにつれ、今、これほどわが子を愛(いと)しく思う気持ち、守ってあげたいと思う気持ち、これらがそのまま、私に対する母の気持ちだったと気づくようになっていき、「ああ、私は、こんなに愛されていたんだ!」と思うと、少女の頃から長く抱えていた葛藤が浄化され、心の奥底からの喜びと感謝の思いが湧いてきたのです。

「教えのおかげで『何があっても大丈夫』という安心感を持てます」。自宅近くの神社で。

「教えのおかげで『何があっても大丈夫』という安心感を持てます」。自宅近くの神社で。

 テストで96点を取った時の母の言葉は、「あなたなら100点取れたはずよ」という私を評価してくれる気持ちの現われだったのでしょう。母が私に厳しかったのではなく、母に対して自分の理想を当てはめ、少しでもそこから外れると、その不完全な部分をつかんで批判し、裁き続けていたのは私の方だったのです。

 母はずっと認めてくれていた。私は大事にされ、愛され続けていた──嬉しく幸せな想いに満たされると、母に導かれているなあ、守られているなあと感じることが増えていきました。

 例えば、ベビーカーを押して出かける時、ふと、地下鉄でなく、バスで行く気になったその日、いつもの地下鉄の駅で事故が起こったことがありました。「お母さんが、“今日はバスにしとき”って教えてくれたんだ、ありがとう」と。そんなふうに感謝できる毎日になっていったのです。

 今、長女は2歳半。毎晩眠る前にお仏壇の前にちょこんと座って、夫と私の双方の“おばあちゃん”に向かって自然に手を合わせます。

「まるで一人目じゃないみたいね」と言われるほど、おおらかにのびのびと子育てができるのも、亡き母や夫の母の深い愛、ご先祖様、神様に守られている安心感があるおかげです。

これからも愛する夫とともに、母から受けた愛情をそのままたっぷり注いで、わが子の成長を見守っていきたいと思います。

*1 生長の家独得の座禅的瞑想法
*2 合宿形式で教えを学び、実践するつどい
*3 長崎県西海市西彼町にある生長の家の施設
*4 生長の家の女性の組織