高岡 恵 53歳・兵庫県 撮影/中橋博文

高岡 恵 53歳・兵庫県
撮影/中橋博文

 私は兵庫県で、3人姉妹の末っ子として生まれました。昭和63年、25歳の時に中学の時の同級生だった現在の主人と結婚し、当時50年ほどの歴史があった市内の呉服店に嫁ぎました。

 店は主人と義父、義母、義母の妹の他に3人の従業員も勤めており、その中で私は右も左もわからないまま働くことになりました。最初は慣れないお客様商売に戸惑い、仕立てる着物の寸法が間違っていたりして、呉服販売の難しさを痛感し、大変な所に嫁いだなと思っていました。

 もともと神経質なところがあった私は、失敗する度に「どうお詫びしよう」「もう店に来て下さらなかったらどうしよう」とまで思い詰めていました。この店の信用を一身に背負っていると勘違いし、「私のミスが店の信用を落とすことになるのでは」と、どんどん自分を責めていました。今、振り返ると、あの頃は必死になるあまり、取越苦労の塊(かたまり)のようでした。

 平成2年に長女が誕生し、平成4年に長男、平成7年に次男と子宝に恵まれましたが、お店や家事だけでなく子育ての重圧ものしかかり、生活はますます忙しくなりました。

 次男が誕生してしばらく経ったある日、ふとリビングの机の上に置かれた『白鳩』誌に目が留(と)まりました。生長の家を信仰していた義母が置いたもので、何気なく目を通してみると、そこには子育てについての特集が載っていました。口答えばかりする長女に困っていた私は、「この教えを学べば、娘の反抗を止める方法を教えてもらえるのかな」と軽い気持ちで母親教室(*1)に参加しました。母親教室では、「子どもは神様からの授かりもの」と学び、生長の家の「人間・神の子」の教えは、私の心にとても優しく響きました。

ぷつりと糸が切れてしまった

 母親教室で気持ちをリフレッシュしても、家に帰れば忙しさに追われ、教えのことは二の次になりました。定休日の水曜でも、子どもを学校に送り出さなければならず、ゆっくりしていられません。休みが子どもと合わないことにも、不満を感じていました。

 そんな日々を過ごす中、次男が3歳になり、子育てが一段落した頃に、何もやる気が起こらなくなってしまったのです。今まで頑張れていた仕事もできなくなりました。食事もおいしくなく、一日中何をしても楽しいと感じられないのです。「こんなことなかったのにな」と思っているうちに半年ほどが過ぎ、その頃には何もできなくなってしまいました。

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 もうどうしようもなくなり、「何を甘えたことを!」と怒られるのを承知で、義母に相談しました。その頃は“うつ”が社会的に認知され始めていたこともあり、義母に病院の受診を勧められ、病院ではやはり「うつ病」であると診断されました。

 まだ生長の家の教えに触れて日が浅く、信仰で治ると思えなかった私は、通院と服薬での治療を選びました。ですが、薬を飲むと眠くなり、余計にだるくて寝てばかりいました。起きたり動いたりする気力がなく、仕事ができない自分を責め続けていました。

 そんな時、母親教室で知り合った地方講師(*2)の先生が、家まで来て、兵庫県教化部(*3)での練成会(*4)に連れていって下さいました。

 練成会には藁(わら)にもすがる気持ちで参加しましたが、本当は寝ていたい中、感謝や行(ぎょう)の大切さを教えられても、「私には出来ない」と辛い思いもしました。ですが、そこでやめていたら今の自分はなかったと思います。

 個人面談では、教化部長(*5)から「高岡さん、あなたはご主人に感謝だね。感謝していれば治ります」とだけ言われ、5分ほどで終わってしまい、「感謝の気持ちは持っているのになあ」と不満に思ったものでした。でも、今振り返ると主人に対して、心からの感謝は出来ていなかったのです。教化部長はそれを見抜かれていたんだと思います。

 練成会が終わる頃には少し心が明るくなり、期間中、抗うつの薬を飲まなくても平気だったことにも驚きました。

 その後も講師の先生に勧められて、早朝5時から自宅で21日間の先祖供養を行いました。朝早くて辛かったのですが、毎朝聖経(*6)を誦(あ)げ、21日を終える頃には久しぶりにすがすがしい気分になり、以前のような自分に戻れて、やはり信仰は大切だと実感しました。

 練成会や先祖供養で心が明るくなって薬を手放し、お店に復帰できました。しかし、半年ほどでうつがぶり返し、服薬しながらほとんど寝てばかりの生活に戻ってしまったのです。その後は、また半年ほど服薬をしながら治療して薬を手放し、半年ほどでうつがぶり返すという状態を何度か繰り返しました。うつの症状はぶり返すほど重くなっていき、「服薬では治らないんじゃないか」と思い始めていました。

生長の家の教え一本でいこう

 そんな中、平成19年に義母が天寿を全うし、義母が担当していたお客様が離れてしまうのではないかと一気にプレッシャーがのしかかり、うつがひどくなりました。

 さらに、平成21年には義父が寝たきりになってしまいました。その上、二人の息子の高校受験と大学受験が重なり、「真剣に神想観と聖経読誦(どくじゅ)に取り組む時だ。自分の心が変われば世界が変わるという教え一本で行こう」と心に決めました。

 無我の心になって、真心をこめて義父のお世話をしました。家族の中心となって、オムツ交換まで積極的にしてくれる主人に感謝をしながら、3年間介護をさせてもらい、平成24年に義父を看取(みと)りました。すると、ふと気がついた時には、あれほど苦しんでいたうつの症状が消えていたのです。

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 うつを治すには、病院に行くのも一つの手だと思いますが、服薬だけでうつを完全に治すのは難しいと思います。やはり自分の心を変えることが必要です。それには誌友会や母親教室に参加して真理の明るい言葉を聴き、潜在意識に繰り返し響かせることが大切です。「自分には出来ない……」と辛くなるかもしれませんが、状態がよくなってきた時に、自然と物事の明るい方向を見られるようになっていきます。私にとっては、誌友会での生長の家の本の輪読も効果的でした。

 振り返ってみれば、主人も義父も義母も、私に文句を言ったことは一度もなく、私がずっと寝ているのを許してくれました。家事ができない時も、義母は代わりにしてくれましたし、食事の仕度ができない私に主人も、「外食で済ませるからいいよ」とやさしい言葉をかけてくれました。私が気がつかなかっただけで、多くの愛念に支えられていたのです。

 死んだ方がましだと思ったこともありましたが、それでもうつを乗り越えた経験があるからこそ、一見不幸に見えることでも、自分の勉強になる、自分に何かを教えてくれていると考えられるようになりました。今は何が起こっても、「絶対に大丈夫」と思えます。

*1 母親のための生長の家の勉強会
*2 教えを居住地で伝えるボランティアの講師
*3 生長の家の布教・伝道の拠点
*4 合宿形式で教えを学び、実践するつどい
*5 生長の家の各教区の責任者
*6 生長の家のお経の総称