坂崎さん 32歳・熊本市 撮影/永谷正樹 義母、次女と、修復が進む熊本城で

坂崎さん 32歳・熊本市
撮影/永谷正樹
義母、次女と、修復が進む熊本城で

 昨年(2016)4月14日の夜、長女は翌日の遠足を楽しみにしながら準備をし、私は長男を寝かしつけるために布団にいました。その時、これまで経験したことのないほどの大きな揺れに突然襲われました。その後も余震が続き、不安でたまらず、携帯電話に届く緊急地震速報と、テレビ局のヘリコプターの音で、ほとんど眠ることができませんでした。

 翌日、学校も保育園も休みになりました。今は育児休暇中ですが、当時は看護師として市内の病院に勤務していて、その日も仕事に行きました。病院のエレベーターは止まっていて、入院患者の食事を運ぶことができず、1階の厨房から5階まで、職員が食事を載せたトレーをリレーしていくしかありませんでした。私は妊娠中だったため、昼間の勤務だけで、その日の夕方、普段とは違う業務にヘトヘトに疲れて、帰路につきました。

 その日の夕飯は、自宅のすぐ近くにある義父母の家で食べました。義父が鍋やポリタンクに水を貯(た)めているのを見て、私も帰宅後に同じように水を貯め、お風呂の水も捨てずにそのままにしておきました。また、電気が止まるかもしれないと思い、1升分のご飯も炊いておきました。

義弟家族の救出に向かった夫

 これでやっと眠れると思い、床につきました。ところが、16日の午前1時過ぎに前回よりも激しい揺れがあり、飛び起きました。後で分かりましたが、これが本震だったのです。家の中にいては危ないと思い、外へ出て、義父母の家に避難しました。倒壊している家もありましたが、幸いにも義父母も家も無事でした。

 深夜3時を回った頃に、夫の携帯に義弟から連絡があり、前日に妻が県北部の阿蘇郡の実家へ子ども2人を連れて行ったまま、連絡が取れないとのことでした。阿蘇郡は震度7を記録し、被害が大きかったところです。義弟はすぐに車で向かったそうですが、タイヤがパンクしてしまい、困り果てて夫に電話をしたのでした。

 夫はすぐに行こうとしましたが、私は止めました。余震があるかもしれないし、道路がどうなっているか分からないので、消防や警察に任せた方がよいと思ったのです。ところが、夫は「俺が行かなくてどうする!」と仕事用のバンで阿蘇郡へ向かいました。

 阿蘇郡の家には、義弟の妻の祖父母と母親と妹が暮らしていました。これは後から聞いた話ですが、本震が起こった4月16日の夜中、義弟の妻と2人の子どもは川の字になって寝ていたそうです。ものすごい揺れで目を覚ますと、天井が落ちてきました。しかし、その直前に、タンスが倒れかかって、天井の下敷きにならずに済み、3人は自力で脱出できたということでした。

 祖父たちの救出のために義弟の妻は家に戻り、家具が倒れて迷路のようになった部屋を携帯電話のライトで照らすと、体の半分がタンスの下敷きになっている祖父を見つけました。彼女は無我夢中でタンスを持ち上げて、祖父を助け出したとのことでした。

 家の中にはまだ母親と妹が取り残されていましたが、義弟と消防団員の方が救助したそうです。その後、到着した夫は皆を車に乗せて、熊本市内の義父母の家の近くにある避難所に連れて行き、義弟の家族はそこで一夜を明かしました。

 夫が無事に帰ってきた時、私は心底ホッとしました。普段、夫は物静かな人ですが、地震直後の行動力には本当に驚きました。同時にとても誇らしく、感動しました。

夫たちきょうだいの結束力

 夫が阿蘇郡に行っている間、私と長女、長男は近くの義父母宅の駐車場に止めた車の中で一夜を明かし、夜が明ける頃に、自宅へ戻りました。この地域一帯は停電していましたが、わが家は太陽光発電のオール電化なので、お湯も沸(わ)かせるし、前日に仕込んでおいたご飯もきちんと炊(た)けていたのです。この朝は、義弟家族におにぎりを握って持っていきました。

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 翌17日の朝は、阿蘇郡から避難した義弟と、その家族にわが家に来てもらい、総勢10名以上で朝食を一緒にしました。ご飯と味噌汁と卵焼きしか作れませんでしたが、義弟の妻の祖母は涙を流して、「こんなに美味しい料理は生まれて初めて食べました。ありがとう、ありがとう」と、とても喜んでくれました。この家が無事で、オール電化だったからこそ、お役に立てたと思い、私も嬉しくなりました。

 義弟の子どもたちは私の子どもと年も近く、きょうだい同然に育ちました。それもあって、長女の夢野は従姉妹と再会した時、「生きているだけでよかった!」と泣いて喜び合っていました。

 夫は4人きょうだいの次男で、当時義兄は鹿児島に単身赴任していました。ところが、熊本地震の一報を受けて、何時間もかけて食料を持ってきてくれました。また、福岡に住む義姉もLINE(ライン)(*1)で私たちを励ましてくれました。

 阿蘇郡の家が半壊して、いちばんショックを受けていたのは義弟の子どもたちでした。何とか2人に元気になってもらおうと、夫たちはゴールデンウィークに福岡で暮らす姉の家に遊びに行く計画を立てました。下関へ遊びに連れて行ってもらったりしたおかげで、2人は徐々に元気を取り戻しました。夫ときょうだいたちの結束力のすばらしさを改めて感じました。

 地震が起こってから、テレビはずっと、ヘリコプターからの空撮で地震の被害状況を伝えていました。その時、偶然にも阿蘇郡の家が映りました。被害はかなり大きく、大怪我をしてもおかしくなかったと思いました。そんな状況にありながら、全員が無事だったことに驚きました。これも義母が熱心に生長の家の教えを信仰しているおかげだと感謝しています。

 私は義母から生長の家の「人間・神の子」の教えを伝えられました。母親教室(*2)や誌友会(*3)で、どんな不幸なことが起こっても、その中から光明面を見出し、「これから善(よ)くなる。大丈夫!」と心を切り替えることを学んできました。地震は確かに不幸な出来事でしたが、それをきっかけに家族の絆がより深まりました。このことを糧(かて)に、地域の一員として、復興のお役に立ちたいと思います。

*1 インターネットのソーシャルネットワーキングサービスの一つ
*2 母親のための生長の家の勉強会
*3 教えを学ぶつどい