子どもの頃から周囲の顔色を伺い、世間体(せけんてい)や親の気持ちを優先してきた。その歪(ひず)みが、大学卒業後の進路を考える時期に現われた。しかし生長の家の教えに触れ、誰もがそのままで神の子であると学ぶうちに、自己否定の思いが消えて、幸せな日々が訪れた。

MSさん 39歳・愛知県小牧市

MSさん
39歳・愛知県小牧市

 世間体や親の気持ちを優先して

 私は現在、主人と3人の子どもたちに恵まれ、幸せな毎日を送っています。こんなに心穏やかな日々を過ごせるようになったのは、主人の大きな愛と、母から伝えられた生長の家の教えがあったからです。

 私は愛知県北部の春日井(かすがい)市で、二人姉妹の次女として生まれました。幼い頃から感受性が強く、いつも両親や友達など相手の気持ちを先回りして考えているような子どもでした。

 両親から取り立てて勉強しなさいと言われたわけではありませんが、「良い成績を取れば親が喜ぶ」と思って勉強を頑張りました。また、他人を傷つけるのが恐くて、友達に素直に本音を言えませんでした。表面上はそれなりに友達もいて、ごく普通に暮らしていましたが、心の中はいつも孤独で、自分のことも好きになれませんでした。また完璧主義のところがあり、「こうでなければならない」という固定観念から、周りの人を心の中で裁(さば)いたりしていました。

 中学生の頃から、将来は教師になりたいと思うようになりました。しかし、私自身は教育に興味や関心があったわけではなく、教師になれば世間体(せけんてい)も良いし、両親も喜ぶだろうと思ってのことでした。高校卒業後は教育学部のある大学へ進みました。

 ちょうどその頃、アルバイト先で夫と出会いました。マイナス思考の私とは正反対で、どんな時も物事の明るい面を見ることができる人柄に惹(ひ)かれ、交際が始まりました。いつも寛大に見守ってくれる彼の前では素直になれました。

 大学2年生の時に父が虚血性心疾患(きょけつせいしんしっかん)を患(わずら)い、51歳の若さで突然亡くなりました。思いもよらぬ出来事に落ち込みましたが、その時も彼は支えてくれ、私にとって心のよりどころでした。

 大学4年の7月、教員採用試験に挑(いど)みました。一次試験は筆記試験と集団面接が行われ、一緒に面接を受けた人たちは、「動物を育てて、やさしい子どもを育成したい」とか「本が好きなので、学級文庫を設けたい」など、教職を志した動機や、受け持ったクラスでやりたいことを思い思いに語っていました。

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 いよいよ私の番となり、「あなたはどうして教師になりたいのですか?」と尋ねられました。ところが、答えが浮かばず、しどろもどろになってしまったのです。この時やっと「私は教師になりたくはないんだ」と自分の本心に気がつきました。考えてみたら当然です。“自分軸”ではなく“他人軸”で選んだ夢だったからです。もちろん結果は不合格でした。

 それまで教師以外の道を考えていなかったので、就職活動は完全に出遅れました。自分は何がやりたいのかを深く考える余裕もなく、とにかく大学卒業後は自立しようと思い、春日井市内にあるホテルに勤めました。

 3カ月間の研修では、和洋のレストランや宴会場での接客を学びました。しかし、飲食店でのアルバイトの経験もなかったので要領をつかめず、職人気質(かたぎ)の料理担当者から、事あるごとに注意を受けました。私の中にあった自負心は打ちのめされました。

 何とか研修を終え、宴会部に配属されました。宴会場で企業の会議やパーティーを検討している方や、結婚式を考えているカップルに応対するのが主な仕事でした。年齢の若さからお客様の信頼を得るのに苦労しましたが、「担当があなたでよかった」と思っていただけるように必死でこなしました。細かい気づかいが出来ることや丁寧な性格を生かすことができ、だんだんと契約が取れるようになって、やりがいを感じるようになりました。

 そのままで神の子だった

 ホテルに勤めて3年後の平成14年、25歳の時に結婚しました。ちょうどその頃、母から『白鳩』誌をもらいました。その少し前に、母はポストに入っていた『白鳩』誌が縁で、生長の家の教えに触れていました。

 私は宗教ということで躊躇(ちゅうちょ)していましたが、『白鳩』誌のページをめくると、「人間は本来、神の子であり、自己に内在する神性(しんせい)・仏性(ぶっしょう)を認めれば、それは自(おの)ずと出てくる」という教えに衝撃を受けました。

 それまでの私は自分を否定し、それが“謙虚”ということだと思ってきました。人はそうあるべきだとすら思っていたのです。しかし、自分を神の子だと思えたら、どれだけ心が軽く生きられるだろうと希望が湧(わ)き、徐々に教えに興味を持ちはじめました。

 結婚して1年後に長女が生まれ、その翌年に、夫の転勤で栃木県宇都宮市に引っ越しました。知らない土地で、たった一人で子育てをする不安や寂しさを紛(まぎ)らわそうと、母にもらった『白鳩』誌を読みました。生長の家の「人間・神の子」の教えを信仰することで、人生が大きく変わっていった体験談を読むたびに、生長の家の集まりに参加したいと思うようになりました。その気持ちは日増しに強くなり、教化部(*1)に電話をして、自宅の近くの母親教室(*2)を紹介していただきました。

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 母親教室では多くのことを学びました。子育てには良い言葉を使うことが大切で、私は教わった通り、子どもが寝る前に「友達がいっぱいできるよ」「あなたは賢いね」「あなたは神の子だよ」と、毎晩言って聞かせました。「人間は神の子」と教えられても、以前の私なら、それは“努力してなるもの”と思っていました。しかし、誰もがそのままで神の子だったのです。母親教室に参加しているうちに、教えを素直に実践してみようと思えるようになりました。

「家族の中で明るく光り輝く太陽になりなさい」とのアドバイスをいただき、夫の良いところを見るようにしました。そして、事あるごとに「ありがとう」と、感謝の気持ちを言葉で伝えることを心がけました。以前は、日常生活の中の細かいことで、夫に文句を言うことが多かったのですが、まったく気にならなくなりました。

 母に対しても、以前は感謝するどころか、こんな暗い人生を送らなければならなくなったのは、母のせいだと心の中で責める気持ちがありました。しかし、若くして父を亡くし、女手一つで私たち姉妹を育てなければならなかった母の辛さや悲しさは、今になって十分理解できます。私を厳しく育てたのも、子どもと真剣に向き合っていたからだったのでしょう。そして何よりも、私に生長の家の教えを伝えてくれました。母には感謝の気持ちでいっぱいです。

 消し去りたいと思っていた過去は、魂の成長に必要だった

 宇都宮市で3年間暮らした後、愛知へ戻ってきました。長男と次男も授かり、長女の時と同じように良い言葉をかけたのは言うまでもありません。

 長女は今、中学1年生になりました。小学校4年生から『こども日時計日記』(生長の家白鳩会総裁・谷口純子監修、生長の家刊)を付け始め、何でもこつこつと頑張る子です。小学校の卒業式でピアノ伴奏をしたり、得意の駅伝で記録を出したり、クラス委員として学校のために活動したりと、本当に楽しそうに笑顔で毎日を過ごしています。帰りが遅い主人とは交換日記をしています。

 いちばん嬉しいのは、家族や友達のことを思い、小さなことに対しても「ありがとう」と感謝できる子に育ってくれたことです。幼少期に良い言葉をかけた通りの姿になってくれました。長男と次男も長女を目標に、勉強や運動を頑張っています。

 私も長女の影響で、最近『日時計日記』(谷口純子監修、生長の家刊)を付け始めました。一見些細(ささい)に見える日常の一つ一つのことから、嬉しいこと、有り難いことを見つけて綴(つづ)っていくと、自分に関わって下さる人・物・事の有り難さを改めて感じます。何より心が前向きで明るくなりました。

 夫や子どもたちの良いところを見て、あらゆる人や物、事に感謝する生活を続けていくうちに、「私はこんなにも幸せだったんだ」という気持ちが湧き上がってくるようになりました。周りに認めてもらいたい一心で教師を志(こころざ)し、挫折(ざせつ)したことや、ホテルでの仕事の失敗など、恥ずかしい過去は消し去りたいと思っていました。しかし、そんな経験があったからこそ、今の幸せがあると感謝しています。子どもたちにも自由に好きな道を選び、失敗を恐れず歩んでほしいと願ってます。

 昨年から、自宅で母親教室を開催しています。宇都宮市と地元で参加させていただいた母親教室でこれまで多くのことを学んだので、その恩返しができればと思っています。ちょうど同じ頃に声がかかった中学校の保護者会の母親代表も、させていただくことにしました。

 これまでの人生の中で今がいちばん幸せです。そう思えるようになったのも、今までもがき苦しんできたからこそだと感じます。教えが心に響き、愛情深い夫のことも、より一層有り難く感じることができるようになりました。これからも信仰を深めて、楽しく幸せな、そして人のお役に立てる人生を送っていきたいと思います。

*1 生長の家の布教・伝道の拠点
*2 母親のための生長の家の勉強会