日隈京美(ひぐまきょうみ) 54歳・埼玉県所沢市 撮影/遠藤昭彦 「長男には、父親に愛されていることを感じながら、おおらかに育ってくれるように努めました」。自宅リビングで

日隈京美(ひぐまきょうみ)
54歳・埼玉県所沢市
撮影/遠藤昭彦
「長男には、父親に愛されていることを感じながら、おおらかに育ってくれるように努めました」。自宅リビングで

 英語専門学校を卒業後、都内の外資系企業に勤めていた私は、地元新潟に帰省した折に知り合った男性と、24歳で結婚しました。実は結婚の1年ほど前に、突然、重症筋無力症という難病にかかり、まぶたや腕の筋力が低下して力が入らなくなり、夕方になるとひどく疲れ、ぐったりしてしまう症状が出て、この状態で結婚できるか悩みました。しかし、彼はそのような私を受け入れ、結婚を決意してくれました。

 婚家は米農家で、三世代同居の大家族。長男の夫は公務員で、農業も手伝っていました。私は家事全般をこなしながらも体はだるく、息切れしながらの毎日でした。平成元年、27歳の時に長男が誕生し喜びに包まれたものの、育児と家事は想像以上につらく、体調不良に苦しむ日々を送っていました。

 長男が2歳になった頃、胸腺を摘出する手術を受けました。9カ月間の入院中、それまでの生活のことを夫と話し合い、親に意見をはっきり言えないことや、治療にもっと協力してほしかったことなど、夫への疑問を投げかけました。当時まだ若かった夫は、私の疑問に答えてくれませんでした。

 退院しても完全に回復しない体で、また同じようなつらい生活に戻る自信はなく、考え抜いた末に、2歳の息子を連れて離婚しました。平成4年、30歳の時でした。舅姑(しゅうとしゅうとめ)に干渉されずに、子どもをのびのびと育てたいという気持ちが強かったことも、離婚を決意した理由の一つでした。

父親のいないさみしさを、感じさせないように

 離婚後は実家に戻り、長男と私は両親と一緒に生活をすることになりました。私は長男を保育園に預けて、両親が経営する商店でパートで働きました。長男が小学校に入学するのを機に、私は実家から独立し、アパートで母子二人の暮らしが始まりました。仕事は実家の商店で続けて働くことができ、シングルマザーの私にとってはありがたいことでした。

 そういう環境の中でも長男は明るく活発で、友達といつも楽しそうに過ごしていました。しかし私の心のどこかには常に、親の都合で長男から父親を奪ってしまったという罪悪感があり、せめて父親がいないさみしさを感じさせないようにしたいと思っていました。長男が元夫を父親として慕う気持ちは変わらないわけですから、普通の親子の様な感情を持てるように心がけ、「パパと優(ゆう)はこんなところが似てるね」「パパはこんなことが得意だよ」と、自然に話すようにしました。

 長男がある程度大きくなり、理解力がついてきた時、「パパのことが嫌いになって別れたんじゃないよ。いろんな事情があって、仕方がなかったんだよ。離婚してごめんね」と正直に伝え、養育費もきちんと払ってくれて、生活を支えてくれていることも話しました。たとえそばにいなくても、父親にとても愛されていることを感じながら、おおらかに育ってくれるように願い、精いっぱい努めました。

 長男が小学生の頃、当時の私の健康状態では、父親代わりになって遊んであげることは大変でしたが、できる限り外遊びなども一緒にしました。旅行の機会も多く作り、両親と4人でドライブなどもしました。天真爛漫に友達家族との触れ合いも楽しんでいる息子の成長に喜びを感じる一方、私自身は長年引きずっている病気の悩みから抜け出せないままでいました。

 そして、私が40歳、長男が小学6年生の時、日々の生活を送るだけでも大変だったのですが、PTA役員に選ばれ、PTA内でのトラブルに翻弄(ほんろう)されてしまい、とうとう心労と過労で倒れてしまったのです。その時、バセドウ病も併発していました。

両親への感謝と「病なし」の教え

 仕事にも行けなくなり、家で安静にしながら家事をする生活になりました。どうしてよいかわからない状況で精神的に追い込まれてしまっていた時、同じPTA役員をしていた方が、生長の家の母親教室(*1)に誘って下さったのでした。私がお断りしてもあきらめずに何度もお誘いして下さり、度々お断りするのも申し訳ないという思いから参加したのですが、それが私の人生の大きな転機となりました。母親教室の明るい雰囲気に心が安らぎ、一度だけのつもりがその後も通うようになったのです。

 私は、幼い頃から度々夫婦げんかをしていた両親に対する心の葛藤があり、いつしか両親に対して強い嫌悪感を抱くようになっていました。しかし、母親教室で、どんな状況であろうとも、自分が誕生したきっかけを与えてくれた父母に、無条件に感謝することの大切さを学びました。

「病気は本来ない!」という教えにも、衝撃を受けました。人間は神の子で、実相(*2)は完全円満な存在であり、不調和な心の状態が病となって現れているだけだと学び、両親との確執や、結婚してからの生活に対する不満が、私の不健康な状態を作り出していたのだと気づいたのです。「心が変われば、この病気が治るのではないか」と嬉しくなりました。思い切って常用していた抗甲状腺薬を止(や)めることにしました。脈が早くなったり体がだるくなったりした時は、『續々甘露の法雨(*3)』というお経を誦(あ)げると、病気に対する恐怖感が消えていき、バセドウ病は次第に消えていきました。

元夫に感謝の手紙を書くと、それまでの気持ちが和いでいくのを感じました。

元夫に感謝の手紙を書くと、それまでの気持ちが和いでいくのを感じました。

 体調が良くなるとともに別れた夫に対する気持ちも整理がつき、生長の家の講師の方から「それなら感謝の手紙を書いたらいいですよ」と言って頂き、離婚して数年後に彼が再婚したことは知っていましたが、思い切って手紙を出すことにしました。私と結婚してくれたこと、子どもが授かったこと、離婚後に養育費を払ってくれたことなど感謝の気持ちを手紙にしました。すると、彼が精一杯私を幸せにしてくれようとしていたことが、よく分かってきました。「こちらこそ申し訳なかった。二人が幸せになることを祈っているよ」という返事をもらった時、元夫に対するそれまでの気持ちが和(やわら)いでいくのを感じました。

自分を責める気持ちから解放される

 長男は高校1年の終わり頃に荒れた時期がありました。私は何か問題が起こるたびに、「人格形成の大切な幼少期に、入院でそばにいてあげられなかったからじゃないかしら」と思っていました。

 その悩みを生長の家の講師に相談すると、「育った過程がどのようであっても、子どもはみんな神の子なんだから、すべてを乗り越える力があるんです。母親のあなたが自分のせいだと思っていたら、その通りになりますよ」と力強く言っていただき、迷いが吹っ切れ、以来、自分を責める気持ちがなくなりました。

 子どもの神性を信じ、高校生でも読みやすい『新版 生活読本(*4)』と、生長の家の月刊誌を渡すと、息子は「生長の家の講習会に行ってみたい」と言い出したりして、本来の明るい雰囲気に戻っていきました。

 勉強に関しては、少しでもつまずくと「俺、頭悪いから」とぽつりと言うのを聞いて、勉強に取り組めないのは、自己限定しているからだと思いました。そんな長男に、「人にはみんな天分があって、必ずそれに向かって伸びていくから大丈夫!」と助言すると、こつこつと努力するようになっていきました。高校2年になって少しずつ自信がついたのか、国立大学一本に目標を絞り、猛烈に勉強を始め、一浪の末、無事国立の埼玉大学に入学し、2年生の時に筑波大学の編入試験にも合格しました。大学院を卒業し、その後、大手IT企業に就職して、今は充実した毎日を送っています。

 私は長男が大学生時代の平成21年に、新潟県から埼玉県に引っ越し、介護ヘルパーの仕事をしながら、ひとり暮らしをするようになりました。介護の仕事を通して体力に自信が持てるようになり、重症筋無力症の症状も徐々に消えていきました。

昨年(2015)春に聡さんと再婚。「結婚は人生を豊かにしてくれるもの。何歳になっても次の幸せへの夢を描いてほしいです」

昨年(2015)春に聡さんと再婚。「結婚は人生を豊かにしてくれるもの。何歳になっても次の幸せへの夢を描いてほしいです」

 離婚後しばらくは男性不信になり、もう二度と結婚をすることはないだろうと思っていました。しかし、結婚相手は魂の半身(はんしん)であり、互いに愛を与え合い、互いに生かし合う掛け替えのないパートナーであると生長の家で学び、結婚は互いを高め、成長させてくれる、豊かな人生の始まりであると確信できるようになりました。

 長男が自立したら、新しいパートナーと出会って幸せになりたいという希望を描くようになり、『日時計日記(*5)』に理想の男性像を具体的に書いたり、「幸福な結婚を得る祈り(*6)」を書き続けました。それでも理想の男性にはなかなか巡り合えず、あきらめかけそうになると、埼玉県でお世話になっていた生長の家の講師に「あきらめずに『日時計日記』に書き続けてね」と励まされました。

 そして、埼玉に来て3年ほど経ったある日、その講師から突然、「あなたにぴったりの男性がいるから、ぜひ会ってみませんか」と伝えられました。お会いしてみると、優しい人柄に心惹かれていき、長男が就職した平成27年4月4日に、53歳で再婚することになったのです。“長男が自立したら、私は再出発”と願っていた夢がまさに叶えられました。

 主人は同じ生長の家を信仰しており、とても信仰心が篤い人です。私をいつも讃嘆してくれ、明るく楽しいことを言って笑わせてくれます。長男も私の幸せを祝福してくれ、また、主人と長男とは自転車やマラソンの趣味も合い、よい親子関係を築いています。

 シングルマザーとして、病気も重なり、落ち込んだり、人や自分を責めたりする日々を送ったこともありましたが、生長の家を知ってからは、明るく前向きな心によって、病も自分を責める気持ちも消え、生き生きと子育ても仕事もできるようになっていきました。振り返ってみると、今までの出来事はすべて、幸せな未来のための勉強だったのだと思います。

*1 母親のための生長の家の勉強会
*2 神によって創られたままの完全円満なすがた
*3 生長の家のお経のひとつ
*4 谷口雅春著、日本教文社刊
*5 生長の家白鳩会総裁・谷口純子監修、生長の家刊
*6 『真理の吟唱』(生長の家創始者・谷口雅春著、日本教文社刊)に収録