中倉富子 長崎市在住。2006年11月に25歳で結婚。小学校4年生、2年生、5歳の3児の母。リハビリの仕事と家事、育児に奮闘中。美味しいものを作るのと食べるのが大好き。

中倉富子
長崎市在住。2006年11月に25歳で結婚。小学校4年生、2年生、5歳の3児の母。リハビリの仕事と家事、育児に奮闘中。美味しいものを作るのと食べるのが大好き。

 私の家は祖父の代から生長の家の信仰をしています。私は子どもの頃から「人間は神の子」「現象は心の影」という教えを信じて成長してきました。

 父と母は生長の家の方に紹介されて出会い、結婚しました。家族は仲が良く、休みの日には家族で遊びに出かけました。しかし、両親は一緒に遊んでくれるわけではなく、私は弟としか遊べずにあまり面白くありませんでした。そのため、私は若いうちに結婚して、たくさん子どもを産んで、一緒に思いっきり遊ぼうと心に決めていました。

 幼い頃から生命学園(*1)に通い、教えを学んでいましたが、友達に生長の家の話をすることはありませんでした。

 大学2年生の時、母に勧められて宇治別格本山(*2)での大学生練成会(*3)に参加しました。そこで、楽しそうに青年会(*4)の活動をしている同世代の人たちを目の当たりにして、私も活動をしたいと思い、長崎に帰ってから青年会に参加するようになりました。

 大学最後の年に運転免許を取得し、就職後の通勤のために車を購入しました。将来結婚して子どもが生まれた時のことを考えて、チャイルドシートを載せやすいファミリーカーを選びました。ちなみにその時、彼氏はいませんでしたが、何か確信があったのかもしれません。

イラスト/石橋富士子

イラスト/石橋富士子

 大学卒業後、県内の病院に作業療法士として就職しました。リハビリテーション部の新人は、私ともう一人の男性の二人だけでした。就職して不安だらけだった私は、同期の男性とくらい仲良くならなくてはと思い、しきりに話しかけましたが、仕事のことに関して一言二言返ってくるだけでした。

 たいして仲が良くもなかった関係が少し変わったのは、新人歓迎の飲み会がきっかけでした。先輩方から「同期は二人だけなんだから、連絡先くらい交換しとかなきゃ」と言われ、携帯アドレスを交換しました。その帰りにメールが来ました。かなりの文字数とテンションの高い絵文字がたくさんのメールに唖然(あぜん)としましたが、そのメールから、彼は面と向かって話をするのがあまり得意ではなかったのだと分かりました。そして、私が嫌われているわけではなかったことも。

 それからはメールをし合うようになりました。同期の仲間ができたのは心強く、仕事のことでよく話すようになり、慣れない仕事で遅くなることも多く、帰りにご飯を一緒に食べたりして、ますます仲良くなっていきました。

 そうしているうちに、彼から「付き合おう」と言われました。私の気持ちははっきりしていませんでしたが、彼の優しさに惹かれていたので、お付き合いすることにしました。  (つづく)

*1 幼児や小学児童を対象にした生長の家の学びの場
*2 京都府宇治市にある生長の家の施設。宝蔵神社や練成道場などがある
*3 合宿形式で教えを学び、実践するつどい
*4 12歳以上40歳未満の生長の家の青年男女の組織