昨年(2019)10月に、日本列島に上陸した台風19号は、関東甲信地方や東北地方を中心に、住宅の床上浸水などの甚大な被害をもたらした。S.Y.さんは、生長の家大阪教区青年会(*1)の仲間に呼びかけ、被災地の一つである長野県を11月に訪れ、ボランティア活動に取り組んだ。助けを求めている人たちへ手を差し伸べるために、「まず一歩を踏み出してほしい」とSさんは話す。

S.Y.さん
大阪府・36歳・社会福祉士
取材●中村 聖(本誌)
笑顔の大切さ
Sさんは、母親の勧めで中学1年生のときに生長の家の青少年練成会(*2)に参加した。以来、「生長の家の教えは、自分の人生を導いてくれる羅針盤になっている」と話す。
「病院に相談員として勤務しています。医療費や退院後の生活などについて、患者さんやその家族から相談を受ける際は、敬意を持って、相手の中にある力を信じ、その方が自分の力に気づいて、力を発揮してもらえるようなアプローチを心がけています。何か問題が起こっても『勉強になる。これで良くなる』と思えるのは、生長の家で学んできたおかげです。また、生長の家で笑顔の大切さを学び、笑顔を心がけていたら、以前、退職した上司に道でバッタリお会いしたときに、『あなたのその笑顔を忘れないように』と激励して頂き、嬉しかったですね」
仲間と一緒に被災地へ
昨年(2019)10月に台風19号が発生した際、Sさんは、長野県の災害ボランティアへの参加を、すぐに思い立ったという。
「東日本大震災が発生した際も、陸前高田市にボランティアに行きました。作業は側溝の泥の掻き出しで、大人30人が半日かかって綺麗にできたのは約20メートル。一度でできることは限られており、継続的に多くの人が関わり続けることが必要と感じました。実際に被災地に足を運び、そこで生きる方々の想いに触れさせて頂くことで、災害を“他人ごと”ではなく“自分ごと”と受け止められるようになれた気がします。長野は父親の故郷で、人一倍愛着もあり、少しでも役立てればと思いました」
休みがとれる11月末に行こうと思ったが、その頃にまだボランティアの募集があるか不透明で、安全面で責任が持てないことから、一人で行こうと考えた。ボランティアの受付は当日朝8時半からなので、夜行バスの利用を検討したが、長野行きは既に満席で、長野県の松本行きを一席確保するのがやっとだった。
その後、SNI自転車部(*3)のフェイスブックページで、Sさんは救援活動への参加を表明した。すると、同部に所属する水島・生長の家本部講師が「一緒にいきましょう」と声をかけてくれ、万全の体調で臨めるように、昼便のバスで前日入りすることを助言してくれたという。
「昼便には空きがあり、大阪教区青年会の仲間にも声をかけてみたところ、『行きたいです!』と続々と反応があり、みんなの熱い想いが嬉しかったです。水島講師以外にも、生長の家国際本部の職員で、長野の復興支援を経験された方々もプライベートで参加されることになり、普段のお仕事や自転車部のライドで培われた抜群のチームワークで、ボランティアの団体登録や備品の調達などを段取りよく手配して下さり、大変心強く感じました。本部の方々のお姿から、必要時にアウトプットできるように経験を蓄積し、日頃から周りの人と協力できる関係を築いておくことも、災害が多発する時代を生き抜く上で重要だと思いました」
大切なのは謙虚に、丁寧に取り組むこと
Sさんら大阪教区青年会のメンバーは11月22日の夜に長野市に到着した。
「私たちのために、岡田・生長の家本部講師も前日入りして、心構えをレクチャーして下さいました。岡田講師からは、『被災地では、異様な臭いやひっくり返った車など、非日常的な光景に衝撃を受け、“よし、やったろう!”と軽い興奮状態に陥ると思います。1日や2日でできることはほんのわずか。謙虚に被災者の心を想って、丁寧にチームワークよく取り組むことが大切。ボランティア活動を通して学んだことを持ち帰り、自然と調和した生活を実践していきましょう』と教えて頂きました。その後、当日活動する格好になり、備品の装着方法を練習し、忘れ物はないか確認しました。災害ボランティア活動は完全自己責任なので、安全に作業するための事前準備がとても大切なんです」

大阪教区青年会の仲間と
(写真提供:Sさん)
翌朝、Sさんたちは愛知教区や生長の家国際本部勤務の参加者たちと合流し、2班に分かれて活動した。Sさんが担当したのは、屋内に土砂が流入し、全ての部屋の床板が剥がされた民家の、剥き出しで泥だらけになった基礎部分を拭き上げていくことだった。
「これから本格的な冬に向かうなかで、『土足ではなく、せめて上履きで家の中を歩けるようになりたい』という依頼主の言葉が胸に刺さりました。何度拭いても雑巾が真っ黒になり、今まで意識せずにいた、 “住まいがあることの有り難さ”を強く感じました。依頼主のおばあさんが、何度も『ありがとう』とお礼を言われる姿に、被災してからの1カ月間、入れ替わり立ち替わりやってくるボランティアに、頭を下げ続けなければならなかったご苦労に胸が痛みました」
まずは自分のできることに取り組んでみる
東日本大震災発生直後に、上皇陛下が国民に向けて発表された、『国民一人びとりが、被災した各地域の上にこれからも長く心を寄せ、被災者と共にそれぞれの地域の復興の道のりを見守り続けていくことを心より願っています』というお言葉が、今も心の真ん中にあるとSさんは話す。
「長野から戻ってからは、地域の自治会と大学がコラボした避難訓練に一市民として参加したり、大阪DWAT(*4)に登録したり、自分の守備範囲で災害に備え、意識を拡げられるよう努めています。災害ボランティア活動に挑戦してみたいと思ったら、まずはその意志を周囲の人に伝えてみて下さい。そうすれば、経験者に出会えるかもしれないし、一緒に行く仲間が見つかるかもしれません。ボランティアのコーディネート機関である、お住まいの地域の社会福祉協議会に問い合わせたら力になってくれますよ。『具体的に動けば、具体的に見えてくる。決意して動き出せば、きっと協力者が現れる』とお伝えしたいです」
*1 12歳から39歳までの生長の家の青年の組織
*2 合宿して教えを学び、実践するつどい
*3 生長の家のプロジェクト型組織の1つ
*4 Disaster Welfare Assistance Teamの略。福祉や介護専門職で構成されるチームのこと。災害時に避難所や福祉避難所などにおいて、高齢者等に福祉的な支援を行う