本道佳子(ほんどう・よしこ)さん(和ビーガンシェフ、NPO法人 国境なき料理団代表) 聞き手/源 明子さん(生長の家国際本部職員、生長の家本部講師補、SNIオーガニック菜園部部長)写真/堀 隆弘 本道佳子さんのプロフィール 東京都生まれ。高校卒業後、フードコーディネーターの道に進み、25歳で単身ニューヨークへ。高級レストランで修業後、エグゼクティブダイニングで働き、ロサンゼルスに移って、ケータリングを手がけながらオーガニックやマクロビオティックに触れる。2000年に帰国後、フリーの料理人として映画の撮影現場やコンサートツアーの帯同シェフを務める。2010年、「国境なき料理団」(2013年にNPO認定)を起ち上げ、その本拠地として野菜料理レストラン「湯島食堂」をオープン(2014年閉店)。自然災害被災地での炊き出し、医療施設などでも出張料理人として活躍する。著書に『大人気野菜レストラン湯島食堂ちからがわく野菜の100皿』(メディアファクトリー)、『夢を叶える精進料理 湯島食堂のミラクルごはん』(マガジンハウス)などがある。

本道佳子(ほんどう・よしこ)さん(和ビーガンシェフ、NPO法人 国境なき料理団代表)

聞き手/源 明子さん(生長の家国際本部職員、生長の家本部講師補、SNIオーガニック菜園部部長)写真/堀 隆弘

本道佳子さんのプロフィール
東京都生まれ。高校卒業後、フードコーディネーターの道に進み、25歳で単身ニューヨークへ。高級レストランで修業後、エグゼクティブダイニングで働き、ロサンゼルスに移って、ケータリングを手がけながらオーガニックやマクロビオティックに触れる。2000年に帰国後、フリーの料理人として映画の撮影現場やコンサートツアーの帯同シェフを務める。2010年、「国境なき料理団」(2013年にNPO認定)を起ち上げ、その本拠地として野菜料理レストラン「湯島食堂」をオープン(2014年閉店)。自然災害被災地での炊き出し、医療施設などでも出張料理人として活躍する。著書に『大人気野菜レストラン湯島食堂ちからがわく野菜の100皿』(メディアファクトリー)、『夢を叶える精進料理 湯島食堂のミラクルごはん』(マガジンハウス)などがある。

 和ビーガンシェフとして、「国境なき料理団」の代表を務める本道佳子さんは、食べ物に感謝することで心が穏やかになり、そこから生まれるエネルギーで楽しい未来が開けるという信念のもと、日本や世界各地に出向いてビーガン料理を作り、ビーガン料理を普及させる活動を展開している。「食を通して世界を平和に」と語る本道さんに、これまでの活動の歩みや、食を通して世界を平和にするとはどういうことなのかについて聞いた。

食卓を囲んでごはんを食べるとみんな笑顔で幸せになれる

──どんなきっかけで国境なき料理団を始められ、どのような活動をされているのかお話しいただけますか。

本道 私は、長い間料理人をしていますが、ある時、ふと思い立って、「食を通して世界を平和にしたい」という目標を掲げることにしたんです。それはどうしてかと言うと、「食べる」ということには不思議な働きがあるからなんですね。初めて会った人でも、食卓を囲んで愛情のこもったごはんを一緒に食べると、帰る頃にはみな笑顔になって、仲良しになり、幸せな気持ちになりますよね。

inoti122_rupo_2 そういう経験を何度もしているうちに、食というのは、実は世界を平和にすることができる、すごく重要なツールじゃないかと思ったんですよ。そういう信念を深めながら、日本をはじめ世界各地に出向いてビーガン料理を作るようになり、それをもっと幅広く展開するために、2010年に「国境なき料理団」を立ち上げたんです。 

 そのキーポイントになったのは野菜でした。私はビーガンシェフですから、野菜料理しか作りませんが、野菜料理なら宗教上の理由で牛肉や豚肉を食べないといった人たちでもオーケーなんですね。肉や魚、卵、乳製品を使わない野菜だけの料理なら、国も宗教も関係なく、すべての人が仲良く一緒にごはんを食べられるわけですから。国境なき医師団というものがあるなら、国境なき料理団(*)があってもいいのではないかと思ったんです。

 ですから、国境なき料理団が目指しているのは、食を通してみんなと友達になり、喜びを分かち合える世界を創りたいということです。そして、人がいつの間にか背負ってしまった、目には見えない大きな荷物をそっとおろすことができる優しい世界、世界中の人々とおいしく料理を食べ、楽しく調和していく世界にしたいということです。

──国境なき料理団に入るには、何か条件があるんですか。

本道 どうやったら入れるんですか、とよく聞かれますが、特に条件はありません。料理が作れなくても大丈夫ですし、歌や絵など「自分のできることで国境をなくしたい」と思っている人なら誰でも入れます。

 また、おいしいごはんを食べたいと思っている人も大歓迎です。おいしいごはんを食べたくないと思っている人っていないでしょうから、「国境なき料理団に入りたいんですが」と聞かれたら、「皆さん、既に一員ですよ(笑)」とお答えすることにしています。

被災地での炊き出し愛ある食卓をつなぐプロジェクト

──具体的には、どのようなことをされているんですか。

本道 私や団員は、お呼びがあれば日本はもとより世界のどこへでも出かけて、ビーガン料理を作っています。毎年、タイで開かれる世界仏教徒会議でも料理を作ったら、それが縁となって、築地本願寺のお坊さんから声をかけられ、東日本大震災で津波の被害を受けた福島県四倉町(よつくらまち)や、宮城県石巻市などに出向き、被災した人たちに炊き出しを行いました。熊本地震の後にも、現地に出向いて料理を作りました。

inoti122_rupo_3 また、2014年から始めたのが、「愛ある食卓をつなげようプロジェクト」です。これは、私たちが賛同者のもとへ出かけ、ロングテーブルを使って、集まってくださった人たちに料理を振る舞うというものです。その食卓を囲んだ人数を長さに換算(1人1メートル)し、愛ある食卓をどんどん伸ばしていき、やがて地球を一周して、食卓を囲んだ人の愛あるエネルギーによって地球を囲んでいこうという取り組みです。

 東京の丸の内をはじめ、福島県の猪苗代町などで行いましたが、昨年(2019)の猪苗代町の時は、田んぼのあぜ道に30メートルほどのロングテーブルをしつらえ、130人あまりの老若男女に料理を振る舞いました。和気藹々と喜んで食されていた皆さんの姿が印象的でした。

 ついこの前は、フィリピンのケソン市で、貧困問題の解決に取り組んでいるNPO「ソルト・パヤタス」と連携し、ゴミを拾って生活しているようなお母さんや子どもたち35人が参加し、ロングテーブルを使って料理を食べてもらいました。外はゴミの臭いが漂い、空気も悪かったので、やむなく室内で行ったんですが、それでも、実においしそうに笑顔を浮かべて食べている皆さんの姿を見て、改めて食の持つ力を実感しました。

終末医療を受ける人たちに夕食会を催して

──病院にも出向いて料理を作っていると聞いていますが……。

本道 10年ほど前から岐阜県養老町にある船戸クリニックに出かけています。この病院は、がん治療、漢方診療、代替療法をはじめ終末医療も行い、老人施設もあるところですが、ここで月に2日ほどビーガン料理のお店を開いています。この病院には、末期がんの方も入院していて、そういう方もご家族と一緒にお店に来られ、私の作った料理を召し上がってくださいます。

上:2019年、福島県猪苗代町で行われた「ロングテーブル平和の食卓」での一コマ/下:018年、世界で2位に輝いた「The Vegetarian Chance」(イタリア・ミラノ) の決勝戦で腕を振るう(写真提供:ベス企画)

上:2019年、福島県猪苗代町で行われた「ロングテーブル平和の食卓」での一コマ/下:018年、世界で2位に輝いた「The Vegetarian Chance」(イタリア・ミラノ) の決勝戦で腕を振るう(写真提供:ベス企画)

 また、熊本県御船町(みふねまち)にある藤岡医院では、終末医療を受けている人たちを対象に夕食会を開いています。車椅子に乗った方、酸素吸入器をつけている方など、いろんな方が食事に来られますが、家族と食卓を囲む顔は穏やかで、皆さん、とっても幸せそうなんですね。自分は少ししか食べられなくても、お子さんが食べている姿を見て、優しくほほえんだり、思い出話に花を咲かせたり、同じ病気の方同士も食卓を囲んで、和やかに話をされたりしています。

 その姿を見ると、「食べることの持つ力は偉大だなあ」としみじみ思います。そこには病気など存在しておらず、“楽しい今”があるだけなんです。「おいしかった」「また食べたい」という気持ちが生きる力になって、余命が伸びたという人もたくさんいらっしゃいます。

──素晴らしいお話ですね。

本道 病院だからこそ、食のことを大切に考える必要があります。病院食だと、飲み込みが難しい人には肉じゃがなんかでも全部すりつぶしてしまうでしょう。別々につぶすならまだしも、一緒くたにしてしまったら味もへったくれもなくなってしまいます。そんな食事、誰も食べたくありませんよね。

 だから私は、老人施設で野菜料理のバイキングをして、ゼンマイの煮物だとか豆腐料理などを並べて、好きなものを取って食べてもらっています。すると、最初は食べられないなんて言っていた人も、何回もお代わりしたりします。

 料理人はお店だけでなく、こうした介護施設やいろんな所に出向いて料理を作る必要があると私は思っています。さまざまな人の人生を目の当たりにすることが、すごく勉強になるからなんです。

野菜の持つ生命力を食べる人につなぐ

──料理人として大切にされていることは何でしょうか。

inoti122_rupo_5本道 よい食材を集めてよい料理を作ることもいいんですが、私の場合は、余ったり捨てられてしまうような食材も使って、ちゃんとした料理を作るということです。私の料理がシンプルだと言われるのは、野菜の持つ生命力を削ぐことなく、真っ直ぐ食べる人につなぎたいという思いがあるからなんです。私は、食材を作ってくださる生産者とのチームプレーによって、大切ないのちをつなぐお手伝いをさせてもらっていると思っています。

 全国の心ある農家さんから無農薬の野菜を仕入れていますが、その一方で、スーパーの片隅で売られているしなびた野菜にも目がいくんですね。しおれたり干からび始めた野菜もちゃんと食べてあげたいし、野菜の切れ端まで使って出汁にしたりして使い切るのは、「野菜のいのちをいただいている」という気持ちがあるからです。

──食材を無駄なく使い切るというのは、とても大切なことですね。

本道 その通りです。今話した農家さんなどを訪ねると、規格外で商品にならないため、捨てられてしまう野菜がたくさんあるんです。実にもったいない話で、こういう野菜を率先して使う料理人が増えたら、世界の貧困問題もずっと緩和するのではないかと思いますね。

アメリカで料理を修業し、野菜料理に目覚める

──ところで、なぜ料理の道に進まれたんでしょうか。

inoti122_rupo_6本道 小学生の頃から、この店のラーメンがおいしいなどと聞くと、親に内緒で食べに行くような子どもでした。それでだんだん、自分の手で一番おいしい料理を作って食べたいと思うようになりました。

 そして高校1年の時、母が白血病で亡くなったことが大きな引き金になりました。それまで私は、ほとんど料理をしたことがなかったんですが、長女である私が料理せざるを得なくなり、寿司屋をやっている伯父に、包丁の使い方や、お米の研ぎ方などの基礎的なことを習って料理を始めました。それがきっかけで料理が好きになり、料理の道に進もうという気持ちが生まれたんです。

──プロフィールには、「高校卒業後、フードコーディネーターの道に進む」とありますが、どこかで修業されたんですか。

本道 ちゃんと料理の修業をしたいと思って、ある料理人のところに行って、「シェフになりたいんです」と言ったら、「女はシェフになるより主婦になれ」と言われたんです(笑)。当時は、女性のシェフなどいなかった時代でしたから、端から相手にしてもらえなかったんですね。

 それで、思い切って25歳の時に、単身ニューヨークに渡りました。英語もろくに話せませんでしたが、好奇心だけは旺盛なので(笑)、アルバイトをしながら、無給でいろんなレストランの厨房で下働きをさせてもらいました。すると、「あそこの店に行ってみろ」「この店に行ってみろ」といろんなつながりができて、幅広く料理を勉強することができたんです。

2時間にわたったインタビューに答える本道さん。右は、聞き手の源明子さん

2時間にわたったインタビューに答える本道さん。右は、聞き手の源明子さん

 アメリカは開けた国で、私のいた地域では、日本人であることや女性であることで差別を受けたり、辛い経験をすることもなくて、本当に楽しく料理の修業ができました。

 そして、ハドソンリバークラブという一流レストランのVIP専用ダイニングのスーシェフ(副料理長)となり、さらに野村エグゼクティブダイニングで働くようになりました。そこは、世界中からゲストが訪れるVIP専用のコーポレートレストランで、メニューはなく、オーダーされたものを何でも作るというスタイルの店でしたが、もっともオーダーが多かったのが、シンプルな野菜料理だったんです。

 世界中の美食を知っているはずの人たちが、「おいしい」と言って野菜料理を食べる姿を見て、アメリカでは、日本の精進料理のようなものが求められているんだと実感し、それがきっかけで野菜料理に興味を持つようになりました。それからオーガニック野菜へとつながっていくんですが、ビーガン料理の道に進む大きなきっかけとなったのは、2000年に日本に帰り、ある光景を見たことからでした。

野菜を生かす料理を作ろうとビーガン料理の道に

──その光景とは?

inoti122_rupo_8本道 日本に帰って驚いたのは、都会のスーパーマーケットなどに並んでいたパック詰めのトマトなどの野菜が、あまりにもきれいに見えたことです。でも、手に取って直に触ることもできないし、ただきれいなだけで、野菜のいのちが感じられませんでした。こんな野菜ばかりを食べていたら、日本人はダメになっちゃうと思ったんですね。

 アメリカでオーガニック野菜のことを勉強していたので、ちゃんとしたオーガニック野菜を作っている農家を訪ねてみようと思い、父の出身地である長野県に行きました。ある農家を訪問したら、何かを捨てている光景に出くわしたんです。聞いてみると、それは規格外で売り物にならないジャガイモでした。

 私にしてみたら、スーパーで売られているものより、よほどいのちが感じられるジャガイモでしたが、それを捨てるというんです。

 そんな光景を見て、「こんなことをしていたら野菜がかわいそうだし、日本はもともと菜食の国なんだから、もっと野菜を生かす料理を作ろう。それには、ビーガン料理しかない」と思ったんです。アメリカで精進料理が求められていることを実感していたことも大きな後押しになって、和ビーガンシェフの道に進んだというわけなんです。

もっと野菜を食べる社会になれば子どもたちにいい地球を残せる

──最後になりますが、これからの抱負を聞かせていただけますか。

inoti122_rupo_9本道 「いただきます」という日本語は、“いのちをいただく”からきた言葉ですから、料理を通して、祈りが込められたこの言葉を世界の共通語にできればいいなと考えています。感謝して食べ、いただいたいのちを自分の中に取り込んで、さらに自分自身を輝かせながら、日本から世界へと、ビーガン料理のおいしさを発信し、広めていきたいと思っています。

 肉を食べるために森林を破壊したり、牛や豚にトウモロコシなどの餌を与えるのではなく、その代わりにもっと野菜を食べる社会になっていけば、未来の子どもたちに今以上にいい地球を渡せる気がするんです。ですから、皆さんも野菜をたくさん食べて、足取り軽くるんるんと笑って生きていただきたいと思います。

 そして、どこかの町で私を見かけたら、ぜひ、一緒に愛ある食卓を囲んでください。よろしくお願いいたします。

──生長の家では、魚や卵、乳製品を食べることは認めているんですが、肉食を避けた食生活を勧めていますので、お話を伺い、食と世界平和についての方向性は一致していると大変意を強くいたしました。本日はありがとうございました。(2020年2月1日、東京都港区・芝浦アイランドブルームタワーにて)

*=1971年にフランスの医師とジャーナリストのグループによって作られた非政府組織で、世界最大の国際的緊急医療団体。国際援助分野における功績によって、1999年にノーベル平和賞を受賞した