福岡寛和(ふくおか・ひろかず)さん│48歳│奈良県吉野町 福岡さんは、自宅の裏山にある杉林でも下草刈りをしている 取材/多田茂樹 写真/堀 隆弘

福岡寛和(ふくおか・ひろかず)さん│48歳│奈良県吉野町
福岡さんは、自宅の裏山にある杉林でも下草刈りをしている
取材/多田茂樹 写真/堀 隆弘

林業の盛んな吉野町で祖父の代から続く製材所を営む

 奈良県の中央部に位置し、桜で有名な吉野山がある吉野町は、吉野杉、吉野檜(ひのき)の産地として知られ、古くから林業が盛んな土地柄。福岡寛和さんは、この地に住み、祖父の代から続く製材所を営んでいる。

 昨年(2019)12月初旬の昼下がり、山間にある福岡さん宅を訪ねると、材木を売買する原木市場から帰ったばかりという福岡さんが、笑顔で迎えてくれた。

車庫の隣にある小屋には、森林整備に使う用具がきれいに保管されている

車庫の隣にある小屋には、森林整備に使う用具がきれいに保管されている

「材木を売る場合は、こうした市場に出して買ってもらうか、大工さんに直接買ってもらうか、そのどちらかなんですが、両方とも信頼が第一。ですから、信頼に値する材木を提供できるよう心がけています」

 福岡さんは、製材所ばかりでなく、山林所有者の依頼を受けて、杉や檜を産出する山の管理を請け負い、間伐や枝打ちなど森を健全に保つ仕事もしている。昨年の秋は、相次いで台風が襲来したため山が荒れ、その手入れで目が回るほど忙しいと苦笑するが、故郷の森を守ろうという意気込みには強いものがある。

「吉野の山は、急な斜面にある人工林が多いので、しっかりと管理する必要があるんです。適度に間伐をしてあげないと、木の根がしっかりと張らず、倒木や土砂崩れにつながる恐れがあるからです。また、山肌は剥き出しになるより、適度に草が生えている方がいいんですが、最近は、鹿が増え過ぎて、草を食べ尽くしてしまうので困っています」

 さらに言葉を継ぎ、どのような思いで森を手入れしているのかについてこう語る。

「樹木や雑草が生い茂り、真っ暗だった森に入って間伐し、枝打ちをして整備してあげると、日光が差し込んで明るくなります。すると下草も生え、切り株からも新しい芽が出てきて、森の雰囲気が一変するんです。こうして、森のいのちが蘇っていく姿を見ると、本当に嬉しくなりますね。こういう感動があるからこそ、山の仕事を続けていられるんだと思います」

人間が手入れしてこそ健全な姿になる森

 福岡さんの仕事ぶりを肌で感じるため、福岡家が所有している自宅の裏山を案内してもらった。家を出ると、すぐ鬱蒼とした杉林に入り、緩やかな斜面になる。地下足袋を履いた福岡さんは、軽い身のこなしですいすいと登って行くが、記者は、山歩きに備えて登山靴を着用してきたにもかかわらず、日頃こうした場所を歩かないせいか、時折、斜面に足を取られ、地面に手をついて体を支えなければならない。

製材され、積み重ねられた吉野杉の材木。どれにも、美しい木目があるのが分かる

製材され、積み重ねられた吉野杉の材木。どれにも、美しい木目があるのが分かる

「この辺りは、まだまだ楽な方です。これよりずっと急な斜面に、不安定な姿勢で立って木を切ったり、間伐したりする作業を2日も続けると、長年やっている私でも、足と腰がぱんぱんに張って、歩くのも大変になることがよくあるんですよ(笑)」

 実際に山を歩きながら、そうした話を聞くと、山仕事の厳しさが身をもって実感される。しかし、そんな中にあっても、森林の保全に力を尽くしていることが、次のような話からもよく分かる。

「人工林は、人間が手間暇をかけて手入れしなければ、健全な姿にならないんです。最近は、お金を儲けるために山林を所有したものの、管理に手が回らず、放棄してしまうような人が多い。そうすると山が荒れ果ててしまい、どうしようもなくなってしまうんです。森は、すべてのいのちの源であり、神様からの大切ないただきものですから、ちゃんと管理して、次の世代に豊かな山を残してあげる、それが私の大切な務めだと思って仕事をしています」

 その言葉通り、福岡さんは木を決して無駄にしない。製材後に出る樹皮は、文化財の屋根の修理などに使うほか、端材は割り箸に、間伐材は土木用の杭などに利用し、廃材は薪ストーブの燃料にしている。「木に捨てるところはない」というのが信条だ。

「必ずよくなる」という教えで、林業の厳しい環境を乗り越える

 祖父の馨(かおる)さん(故人)、父親の廣次(ひろつぐ)さん、母親の俊子さんを通して、子どもの頃に「人間・神の子」という生長の家の教えに触れた福岡さんは、今は相愛会(*)の一員として生長の家の活動に携わっている。

福岡さん宅の玄関に飾られた、吉野杉の一枚板のついたて。100年という長い歳月を経て育ったものという

福岡さん宅の玄関に飾られた、吉野杉の一枚板のついたて。100年という長い歳月を経て育ったものという

「『よい種を播けば必ずよい実ができる』というのが祖父の口癖でした。石油ショック、輸入木材の参入などで林業を取り巻く環境が厳しくなり、同業者がどんどん辞めていく中、製材所を続けることができたのは、祖父の言葉と『必ずよくなる』という生長の家の教えがあったからだと感謝しています。見ている人は見てくれている。だから、神様に恥ずかしくない仕事をしなければならないと思っています」

 天気の良い日には、廣次さんと従兄弟の3人で、山に入って木を伐採し、間伐や枝打ちを行い、雨や雪の日には、工場で製材作業をするという具合に、一年を通して山や森と共にある生活を送っている。そんな福岡さんは、最後にこう言った。

「山の中で作業していると、ああ、祖父もこうして森を守ってくれていたんだと、祖父への感謝の思いが湧いてきます。そして、『全てのいのちは、神様からいただいた一つのいのち』なんだとしみじみ感じます。これからも、人間のいのちの源である森を守り、育てていきたいと思っています」

 3年前、生長の家信徒の志名子(しなこ)さんと結婚し、幸せな日々を過ごす福岡さんは、意欲に満ちていた。

*=生長の家の男性の組織