
松原純一(まつばら・じゅんいち)さん│73歳│岐阜県中津川市
FUJIFILM X-E1などの愛機を横に、これまで撮った写真について語る松原さん
取材/佐柄全一 写真/永谷正樹
中津川市在住のアマチュアカメラマン、松原純一さんの最近のベストショットは、隣町の恵那市内を流れる阿木川(あぎがわ)の夕景である。オレンジ色に染まる空、製紙工場から立ち昇る煙、中州を挟んで流れる川……。黄昏時の瞬間を捉えた写真は、見る者の郷愁をかきたてる。
「今年の夏、車で通りかかったときに目にし、思わず車を降りて撮影したものです。1分後には、もう違う景色になっていましたから、本当に写真は一瞬の勝負だと思います」

最近のベストショット。美しい夕焼けが心に残る作品だ
主に撮影に使うのは、意外にもスマートフォンのカメラ。高性能の上、常に手元にあるため、シャッターチャンスを逃さないからという。
撮った写真は、SNSのフェイスブックにアップしている。フェイスブックには、500点を超える写真が掲載され、フォロワー数も多い。
「今では、投稿した写真やコメントをご覧になった方々からいただく反応や言葉の数々が、日々の励みとなっています」
高校時代、写真クラブで活動しているうちに写真家を志し、写真学校に進みたいと思うようになった。しかし、担任の教師から「一般の大学を出てからにしなさい。写真家を目指すのはそれからでも遅くない」と言われ、やむなく明治大学に進学したものの、2年目に大学紛争が始まると学内が荒れ、勉強どころではなくなった。
そんな大学が嫌になり、2年で中退して大手印刷会社に就職。社内の写真スタジオで撮影助手として働く傍ら、夜間の写真専門学校に通って3年間学んだ。
「しかし、写真を仕事にすることと自分の作品を撮ることのギャップに悩み、カメラマンになる夢は諦めたのです。女手一つで育ててきてくれた母親に、これ以上、迷惑をかけられないと思ったことも大きな引き金になりました」
24歳で故郷の中津川市に戻り、印刷関係の仕事を起ち上げて自立した。そんな松原さんが生長の家の教えに触れたのは、25歳のときに結婚したみち子さんを通してだった。

左:中津川市高山地区にある芝居小屋「常盤座」の前で/右:常磐神社の石段で、ぴたっとくるアングルと構図を探る
「講習会に参加したときに、『神様が創られたままの完全円満な実相世界』を心の眼で観ずる神想観(*1)という行に感銘を受け、栄える会(*2)に入って教えを学ぶようになったんです」
その後、岐阜教区栄える会事務局長、同副会頭を務め、産業人に教えを伝える活動に尽力した。10年ほど前から仕事の合間に再びカメラを手にし、若い頃に打ち込んだ写真を楽しむようになった。
「写真を撮って思うのは、生長の家で教えられている通り、美や感動は身近なところにあるということです。それが見つけられるかどうかは自分の感性にかかっているわけですから、これからも感性を研ぎ澄ませて、一瞬の美しさを写真に収め続けていきたいですね」
*1=生長の家独得の座禅的瞑想法
*2=生長の家の産業人の集まり